第109話 解放のバベル

「そ、そんな馬鹿な……」


 宮部は頭を抱えながら後退りをした。その記憶にはしかとあった。あのテラス席で由良島と話した。確かに柵の向こうにドローンが舞い上がった。あれは由良島がやったのだ。ヒューマノイドには視認することのできない由良島がドローンを操作した。そうでなければならない。でなければ、生嶋総理を殺したのはこの手だと言うのか。

 宮部は自分の両手を見つめたまま、俯いた。


「宮部さん。あなたはあのドローンのメーカーを知っているかい」


 朱雀が唐突に言った。その瞬間、宮部の青ざめた顔が上がった。唇を震わせ、目の下をヒクつかせる。


「ファンドソフトはドローン開発にも従事していた。これは公式な記録だよ。そしてあの時、生嶋総理を含め各界の著名人を襲ったドローンは……」


「やめてくれ!!」


 宮部が叫び声を上げた。


「私が生嶋総理を殺したというのか。私がこの手で……」


「それが由良島という男なんだ。宮部君、あんたは由良島という男の認識、つまり大脳皮質に焼き付いた記憶の断片に支配されているんだよ。あの場所にジェンダーは一人もいなかった。君がドローンを操作し、君があの弾丸を撃ち込んだ。すべて君が一人で考え、一人で実行したことなんだ」


 宮部の記憶が塗り替えられていく。あの時も、あの時も、あの時も、あの時も、由良島と過ごした、由良島の声によって導かれた記憶がバラバラと抜け落ちていく。そこに保管される記憶は全て自分一人、自分の内面意識との対話にすり替わっていく。

 宮部は真っ赤に目を腫らしながら、叫び声を上げた。


「ならすべて私の妄想だというのか!!」


「そうだ。由良島天元は君が殺した。あの時、奴は死んだ。ただし君の心に影響の種子を植え付けて」


 甦る十年前の記憶。その核が消滅するのを見届け、由良島の遺体を車に乗せて走った国道。まだAR化が完璧に施されていなかった山奥まで足を運び、車のヘッドライトの明かりに照らされながら、腐葉土を掘り進めた。あの孤独と焦りと罪悪感が入り混じった蒸し暑さと、体の疲労。

 由良島を思い出そうとすると、その記憶だけが刻まれた。

 宮部はその場に泣き崩れた。肩を震わせながら、床に手をつき、突きつけられた真実に黯然銷魂となった。


「全て私の独壇場だったのか」


「宮部先生……」


 彦根は顔をしかめたまま、その惨めに崩れ落ちた頭部を見下ろした。


「これが真実なのね……」


 持永がそう言った。

 その信じがたい、いや信じるには実に滑稽な現実に言葉を失った。


「じゃあ渾沌のマスターは宮部先生だったんですね」


 すると宮部は首を振った。


「確かに私は記憶の断片に残された由良島の指示に従った。だがはっきりしていることが一つだけある。それは私も渾沌のマスターが由良島だと思っていたということだ」


「どういうことです?」


「あれを見ろ」


 宮部が振り返った視線の先にあったのは赤く明滅するファンドソフトのメインコンピューターだった。


「私はそのマスターに管理権を譲渡した。だからもう私には止めることができなんだ。つまり由良島が私の妄想だとしても渾沌のマスターは私ではない。他に実在する」

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