第107話 解放のバベル

「由良島……ですかね」


 持永が呟くように言った。

 それに応じて、五人の緊張感が高まる。

 すると椅子に座っていた者が立ち上がった。ゆっくりとこちらに近づいてくる。五人は警戒しつつ、浮かび上がるその男の顔に注目した。


「いや、違う」


 赤い光の中、男の正体に彦根が目を細める。


「宮部先生、どうして」


 そこにいたのは宮部だった。


「彦根君、また会ったな」


 宮部はそう言うと、五人の顔をそれぞれ見つめた。


「こいつを止めに来たのか」


「そうですよ。こんなことをやった日にはあたなの目指した未来も全ての壊れてしまいます」


「馬鹿を言うな、今の世界のほうがずっと壊れている。そうだろ、由良島」


 宮部はそう言って明後日の方向に向かって話しかけた。彦根には宮部が見えているものが見えなかった。持永を含めヒューマノイドは皆、首をひねった。


「君たちには見えないか。私にも見えていない。ただしヒューマノイドには見えなくても必ずそこにいるんだよ」


 宮部はそう言うと、印波に目を向けた。


「印波さん、あなたには見えるでしょ。由良島の姿が」


 すると印波は真っすぐとその方向を見つめながらこう言うのだった。


「誰もいんよ。ここにいるのは二人のヒューマノイドと一人のロボット、そして二人のジェンダーだけだ」


 その言葉を聞いた瞬間、宮部の表情が凍り付いた。先ほどまでの余裕が剥がれ落ち、膠着した瞳で印波を見つめた。


「なにを言うのです。由良島はファンドソフトの技術でARから逸脱した。ゆえに私たちには見ることができなくても、生身の目からだけその姿を見ることができる。そのはずだ」


「確かにそれは正しい。だが宮部、お前の視線の先にあるのはただの空間だけだ」


「そんな馬鹿な……私はずっと由良島と共にいた。あの生嶋事件の時も、私は由良島と話している。確かにあの時は声が聞こえた。そして無数のドローンが飛散し、生嶋総理を撃ち殺した。これは紛れもない事実のはずだ」


「宮部先生、本当にそこに由良島はいたんですか」


 彦根が根本的な疑問符を投げかけた。


「いた。私はその後も、彼と何度も会っている。ファンドソフトの管理権を由良島に譲渡し、彼と共に……」


「本当に実態はあったんですか」


「何を言い出すんだ。由良島はARに視認されないジェンダーとなって、確かにそこにいるはずなんだ。私は先ほどまで由良島と話していた。だから再び由良島の声が……」


 宮部は息を切らしながら、恵奈に目をやった。


「お前か、お前が来たから、由良島は隠れたのか……」


「どういうことですか、宮部先生。あなたは先ほどから何を言っているんだ」


 すると宮部は恵奈のほうを向きなおした。


「まさか彦根君。君も気が付いていなかったとはね。印波さん、あんた意地が悪いよ」


「どういうことですか」


 彦根は印波を見つめる。


「なに? 私がどうしたっていうのよ?」


 恵奈もなぜ自分が名指しされているのか訳が分からない様子だった。


「お前に由良島が引き寄せられたんだ。由良島天元の娘、鈴鳥恵奈。いや由良島恵奈」



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