第106話 解放のバベル
彦根はしゃがみ込み、樽井の肩に手を当てると耳打ちをした。
「樽彦、お前はここで大人しく待っていろ。俺たちはすぐに行ってくる。神経系が回復しても絶対に動くなよ、安静にしておけ」
「分かりました」
深く頷いたのを見納めると、立ち上がり、赤く明滅するランプを見て言った。
「どうやら、もう始まっているらしいな」
「そうですね」
施設内のパンクしていた電気回路が回復し、電力供給が自動的に始まっているらしい。解放のバベルのモーター音は春を待ちわびながら眠っているヒグマさながらの威圧があった。
「すみません、俺のせいです」
樽井が険阻な表情で言った。
「この施設の電力をパンクさせるには、この塔に電力を集めるほかなかった。その判断は正しかったわ。樽彦がいなかったら、私は今頃、ベッドの上よ」
持永が落ち込む樽井を慰める。
「ああ、それにもう俺たちがここにいるんだ。あとはこいつの中に入るだけだからな」
すると朱雀も彦根に追随する。
「安心して、それでも二十四時間の猶予はあるよ。元より電力供給は今日の未明から始まる予定だったんだ」
「しかし、室長。ここに入るにはマスターキーが必要です。それを持っている沢渡は……」
「大丈夫だ。俺が持っている」
持永の危惧する声を待っていたかのように、彦根はポケットから由良島の遺伝子データを取り出した。
「それがここで役に立つのね」
恵奈が彦根の肩口から覗き込んだ。
「なぜそれを……」
「母の形見だ」
彦根は遺伝子データが入った小瓶の蓋を開け、少量指に垂らすとその手で認証ガラスに手をついた。
すると連絡橋から延びる丸い扉が開き、五人を飲み込んでいった。中はエレベーターのようになっていて、最上階の艦橋まで直通しているようだった。五人が乗った瞬間、丸い扉は自動で閉まる。
「行ってくるわ」
持永は閉まりゆくドアの隙間からそう言った。樽井は回復が始まった腕を持ち上げ、拳を突き出した。
そこに言葉はなかったが、うつろな目の奥に灯った熱き光が、魂を具現化していた。
「少し会わないうちに、熱くなったな」
「私は昔からどこでも熱い女でしたよ」
「ちょっと、二人ともどういう関係なのよ」
恵奈が半眼の粘りつくような視線で二人を見つめると、持永は顔を赤らめた。
「断じてそういう意味で言ったわけではありません。室長も変な言い方しないでください」
「変な言い方をしたのは君だろ」
すぐに朱雀が突っ込んでくると思って、目配りをしたが黙ってにこにこしているだけだった。
内部にボタンなどの操作機器はなく、そこはシンプルな箱だった。
エレベーター特有のワイヤーで引っ張り上げられるときに響く金属音も一切聞こえず、まったくの無音だった。
そして最上階に到着したエレベーターがついに開く。開いた扉の向こうは薄暗く、シンプルな造りになっていた。ただしその中心で異彩を放つ、六角柱の巨大な機械。赤い光が呼吸しているかのように明滅を繰り返していて、その上部にプラズマが集まっている。その六角柱の元で何者かが足を組んで座っていた。
赤い光の逆光のため、その者の影しか分からない。きれいに整えられた髪型、磨かれた革靴、そしてしわのない背広の稜線に光が反射していた。
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