第95話 人類開発センター

 持永の足は震えていた。

 これほど一歩が重くのなるのだろか。まるで鉛の足かせを身に着けているように、ズシリと踏み出した足が地面に食い込むようだった。

 全てはシナリオ、この世界は、このAR世界は由良島天元という男が夢想した創造物に過ぎないのではないか。そう思うと、この血の通っていない、切り開いても導線と人口樹脂が敷き詰められた四肢が嘘のように思えてきた。


「由芽、大丈夫」


 しばし吐き気に苛まれた持永の肩を朱雀がさすった。


「大丈夫よ」


「君の言うように、ここまで由良島のシナリオ通りに事は進んできた。だけど一つだけシナリオには書かれていないことが起こったんだ」


 俯いた持永はその言葉に耳を傾けた。


「それは由芽、君という存在だよ」


「私が?」


「君は由良島の物語ではほんの些細なエキストラに過ぎなかった。いやそもそも登場すら想定されていなかった。彦根桐吾という男の隣にいるただの傍付き、全てを見通していても、そんな認知しかなかったんだ」


「酷い言われようね」


「でもだからこそ、君しかいないんだ。由良島のシナリオに書かれていなかった一ページを作るのは君だよ、持永由芽」


 まさか十以上も年の離れている、こんな年端も行かない少年に未来を託されるなんて、あまりの滑稽さに笑いが込み上げてきた。


「あんた本当に人間?」


「それは君にも言えるよ」


「君だなんて、偉そうね。初めて会った時はおばさんとか言っていたのに」


「そのほうが可愛げがあると思って……」


 そのわざとらしい照れ笑いを見て思った。

 ヒューノイドは所詮、人間の模倣だ。人が人を模して作ったものがヒューノイドであり、こうやって人の真似をしている。体がロボットなら、腕が二本である必要がどこにある? 指が五本である必要がどこにある? 首が一本で、頭が一個で、心臓があり、胃があり、骨が二〇六本あり、食事をし、笑い、泣き、人を愛する。そんな人らしく生きる必要がどこにあるというのだ。

 そうやって人は営みの中で認識し合っている。人を真似して生きるのがヒューマノイドなのだ。

 難しいことは分からない。天才の思っていることなんていつだって不透明で、いつだって理解しがたいことだ。分かる人だけ分かればいいという天才のエゴイズムは自分勝手な言い逃れだ。

 だからそんなエゴイズムの塔を地上に出すわけにはいかないんだ。天才がそのために凡才を道具のように扱っていい言われはどこにもない。

 真実など片腹痛い。この模倣ばかりの生活を守るのが、私という凡才の欠片なのだ。

 持永は深い息を吐くと、吹っ切れたように解放のバベルに向けて手を伸ばす。


「私たちは人のように生きる。それが嘘だろうと、実体が無かろうと、真実からかけ離れていようと、私たちの生活は不可逆な時間の中で、ここにあるわ」


「そうだね」


「あんな鉄の塊、叩き壊しましょ」


 どこか先ほどまでの畏怖は消えていた。なぜならあの巨大さも、名状しがたい奇妙さも、得も言われぬ恐怖心も真実か定かではないのだ。

 だがその覚悟の一歩を踏み出した最中、廊下は真っ赤な光に染まり、耳を塞ぎたくなるような警報音がけたたましく鳴り響いた。


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