第88話 地下フロント

 重たいマンホールを外すと、深くて底が見えない奈落があった。中は暗くて、終わりは見えず、ずっと見ていると吸い込まれそうになる。

 樽井が砂利を投げ込むと、かなりの時間間隔を置いてから石が弾ける音が響き渡った。


「深さはだいたい三十メートルと言ったところかしら」


 持永はそう言うと、取り付けられたいはしごを指でなぞる。


「落ちたらバラバラですね」


「でもいまも使われているみたいだわ」


 指先を擦りながら、そう言った。はしごの真ん中にはホコリがなく、使われている痕跡が見受けられた。


「私から入るわ」


 持永は躊躇することなく、はしごに足を掛け、どんどん深く下りていった。樽井も周りを見渡しながら、中へと下っていく。

 はしごを下りきると、コンクリートブロックで囲まれた水路が広がった。

 思いほか綺麗で、明かりが点いていた。だが外に比べるかなり薄暗く、不気味な雰囲気が立ち込めていた。


「こんなところに水が流れているんですね」


 コンクリートの足場の脇には川が流れていて、よく見ると魚も泳いでいる。


「これはジェンダーにとっての生活用水というわけね」


 流れる水を掬い、その水質に感心した。


「レイレイ、ここから先の道案内、任さられる?」


 するとレイレイは少し渋い顔をして言った。


「中に入ると、さっきまでの地図がいかにテキトーだったか分かるな……」


「分からなくなっちゃったの?」


「僕はサーバーの電波を辿れば行けるけど、長年ジェンダーの居住区が政府に摘発されなかった理由が分かるよ。まるで旧水路とは違う」


「そうなのね」


「これじゃあ、まず外部の者が地下フロントにたどり着くのは不可能だね」


 レイレイはそう言うと、二人の先頭に立った。空中を歩くようにして、難解に入り組む水路をサーバーの電波を頼りに進んでいった。二人にはもうここがどこなのか、どれほどの距離が歩いたのか分からなくなっている。

 どこまで歩いても同じ景色のため、時間の感覚も狂いそうになる。曲がり角もまるで意図して造られたように同じ見た目の為、どこを曲がったのか見当もつかない。


「ジェンダーたちはこの道を把握しているのよね」


「そうですよね。いったいどんな記憶力をしているんだか……」


 するとレイレイがいきなり立ち止まった。辺りを見渡すと、振り返ってこう言う。


「あともう少しだよ」


「よかったぁ、もう足が無くなるかと思ったよ」


 樽井が安堵の溜息を洩らすと、暗い通路の先に光が見えた。いつの間にか隣を流れていた水も消え去り、道も少しずつ狭くなっている。道も一直線にまっすぐと伸びていて、二人を導くような入り口が目の前に迫ってきた。


「この先が地下フロントね……」


 期待に胸を膨らませた二人は恐怖を孕みながらも子供のような胸の高鳴りを感じていた。小走りでその光源に向かい、壁に手を突きながら一歩踏み出した。

 だがその先にあったのは地下集落ではなかった。


「なにここ?」


 そこは少し開けた広場のようだった。広さとして野球のダイヤモンドほどのドーム型のスペースで、コンクリートブロックで囲まれたただの空間だった。持永たちが通ってきた通路の入り口の他には向かいに出口があるだけで、他には何もなかった。


「レイレイ、ここどこなの?」


 だがレイレイは黙ったまま、なんの反応も示さなかった。


「ねぇちょっとレイレイってば!」


 問いかける持永のほうを見向きもせず、ただぼうっと突っ立ったまま動こうとしない。


「どうしたのよ……」


 すると向かいの通路の先からある一つの影が浮かび上がってきた。


「人を信用しすぎだよ、持永次官」


 革靴の足音をたてながら姿を現したのは沢渡だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る