第84話 弾丸
気を失った恵奈を担いだ彦根は水路の中を駆け抜けていった。一度だけしか通ったことのない道だが、彦根の頭の中にはその地図が浮かび上がった。記憶力が別段いいというわけではない。だが恵奈のぬくもりを背中で感じながら走っていると、不思議とあの時の情景が頭に蘇ったのだ。
息を切らした彦根が膝に手をつきながら顔を上げると、ついにジェンダーの住む地下都市の入口があった。
彦根は小さなガッツポーズをすると、そのまま印波のラボへと直行するのだった。
ラボへと続く階段を駆け下りると、その音を聞きつけた印波は眉間にしわを寄せながら扉を開けた。
「印波博士……」
彦根に担がれ、ぐったりとする恵奈を見た印波はすぐに事の重大さを理解し、二人を中に入れた。
「何があったんだ?」
「恵奈が撃たれました」
「撃たれたのは腕か……幸い応急処置は出来ているようだな」
「いまは気を失っているだけです」
「ああ、分かった」
印波は恵奈の顔と傷口を見ると、小走りでラボの奥へ走った。AIロボットが横たわっているベッドから部品やら何やらをどこかし、スペースを作ると、彦根に指示を出す。
「すぐにそのベッドに横たわせなさい。ゆっくりとだぞ」
彦根は恵奈の頭を支えながら、腰からゆっくりとベッドに寝かせた。
「君はそこのソファに座って待っていたまえ。いまから治療を始める」
「恵奈は大丈夫でしょうか」
「僕を誰だと思っているんだ。銃弾を取り出すなんぞ、朝飯前だ」
「頼もしいですね」
印波は青いマスクを付けると、恵奈の傷口に消毒液を塗り、局所麻酔を注射した。二つともこの世界からは消え去ったものだ。治療から修理に命名を変えた医療行為に消毒も麻酔もない。彦根はソファに座りながら、施術をする印波の背中をまじまじと見つめていた。
ピンセットが赤く染まり、印波のつけていた青いゴム手袋は朱色になっていった。慎重に取り出した弾丸は銀色のトレイに置き、傷口には縫合を施した。
「今は眠らせとこう。外傷だけではない、心的ショックも大きかろう」
「印波博士、恵奈は俺を庇って撃たれたんです。俺には拳銃もその弾丸も見えなかった」
「見えない拳銃か……」
印波はそう呟きなら、弾丸をピンセットで掴み上げた。
「こいつもただの弾丸では無さそうだな……一般的に使用されている弾丸は鉛なんだ。鉛は非常に和らかい金属の為、体内から取り出したとき、必ず変形がある。だがこれには一つも外傷がない」
そう言いながら印波は彦根に背を向けて、棚から小瓶と磁石を取り出した。その二つをピンセットで掴んだ弾丸に近づけたり、中身の液体をかけたりしながら話を続ける。
「見ての通り、磁石もつかないから鉄でもない。さらに強酸液も反応を見せないから銅でもない」
「特殊な金属によって出来ているということですか」
「君にはいま、この弾丸が見えているかね」
「はい、いまは確かに……」
「そうか……」
印波は深く頷きながら、この弾丸が置いてあった銀トレイに目を向けた。
「これは……」
その銀トレイには弾丸の形をした穴が開いていたのだ。
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