第82話 機密文書

 明くる日の朝、無断欠勤を重ねた樽井は何食わぬ顔で出勤した。

 あれだけ派手に持永と喧嘩したのだ。樽井の登場に第四管理室の一同をざわめいたが、当の本人はまったく気にしていなかった。それは持永も同じである。普段通りにデスクに座る樽井を見ても声一つかけず、資料に目を通し始めた。

 むしろよそよそしい態度が、犬猿の仲を際立たせた。同僚たちはさぞ仕事がしづらかっただろう。オフィス内の空調が少し寒く、そして息がしづらいほどに重く感じられた。

 だが周りの杞憂はさることながら、普遍的な業務は恐ろしく続いていった。

 その日も昼を越え、仕事が少し落ち着き始めたころ、持永はデスクから立ち上がった。そのままオフィスを回り、パソコンにかじりつく樽井の肩を叩いた。

 一同がその二人に注目する。


「樽彦、少し話があるわ」


 すると手を止めた樽井は素直に頷いた。


「分かりました」


 その空気は学生時代に誰もが味わった教室さながらだった。みんなの前で問題を起こした生徒が生徒指導の教員に連れていかれるあの様を、ほとんどの同僚が思い浮かべていた。

 樽井に背を向けて、オフィスを出て行く持永の後を追いかけ、二人は第四官室を後にした。その状況から見て、誰もが疑わなかった。それはもちろん第四管理室を警備する公安の警察たちも同様だ。

 二人は廊下に出ると、そのままフロア奥の資料室へと入った。扉をゆっくりと閉め、鍵を掛ける。

 持永に悟られぬように、オフィスから首を出して見守った同僚たちは一様にこう思った。

 ――樽彦のやつ、たっぷり絞られるだろうな

 口に出さずとも皆の焦燥と憐れみの目がそんな会話を生んでいた。持永が出て行ってから数分後、同僚たちは仕事をやりながらも、樽井のことを思ってにやにやと笑っていた。


「みんな今頃、俺が怒鳴られていると思っているでしょうね」


「そう? 私は怒鳴るタイプじゃないわ」


「そのタイプが一番怖いんですよ」


「失礼ね」


 持永はそう言うと、メモリーカードを取り出した。それを立体式のプロジェクターに差し込む。これならネットを介していないため、ログも残らない。資料室の長机の上にそれを置くと、持永は椅子の背もたれに手を突いた。プロジェクターの液晶を片手で操作し、セッティングをしながら喋っていた。


「俺たちのことはニュースになってないみたいですね」


「ニュースに出来るわけがないわ。多分、公安の上層部は顔から火が出るほど焦っているだろうけど、盗まれた情報が情報だけに大々的に捜査することはできないはずよ」


「そこまで見越していたんですか」


「見越すも何も、私たちが探っているのはそのくらい闇に包まれている代物よ」


 持永がプロジェクターから手を放すと、空間上に画面を浮かび上がった。

 しかしそのほとんどのデータが不十分な状態で読めたものではなかった。破損したデータのほとんどが文字化けしていて、解読は不可能である。


「このくらいしか復元できなかったわ」


「仕方ないですよ。多分、削除されたときにデータそのものが破壊されています。ここまで復元できたのは奇跡みたいなものですよ」


「文字化けが酷いわね」


「でも多少は読み取れますよ」


「樽彦、文字化けを直したり、ここから破壊される前の文字を予測できるソフトとか持ってない」


「持ってますけど、あんまり期待しないでくださいよ」


 樽井はそう言うと、EYEを操作し始めた。


「いま持永さんにメールで送信しました」


「ありがとう。これでやってみるわね」


 樽井は渋い顔で頷いた。

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