第80話 継ぐ者

「見ていた……? いつからですか!」


「君がその女の子に連れられて、地下フロントに逃げ込むところからずっとね」


「どこから見ていたというのですか」


「君なら知っているだろ。私の前職を」


「前職?」


 彦根は口元に手を当てて、深く考えてからもう一度口を開いた。


「宮部先生だったのですか」


「そうだ、ジェンダーが使っているインターネットは弊社のブラウザだ。だから地下フロントのことなら全て手に取るように分かる。もちろん君が印波博士とコンタクトを取っていることも知っている」


「だからアルファオメガが……」


「察しが良くて助かるよ。私はジェンダーを支援するためのサービスを作り上げようとしていた。それはこの荒廃した地球を過去の美しい星に戻すことだ。だからあのブラウザは過去に戻ることができる。まだヒューマノイドなんて夢物語だった時代にタイムスリップできる装置を作ったんだ」


「ならなぜ渾沌を止めなかったんです」


「止めたさ」


「どういうことですか」


 宮部は視線を窓にずらした。


「十年前、私は殺人未遂の容疑で逮捕された。噂では陰謀論なんかが囁かれているが、あれは本当だ。私は一人の男を殺した。いや殺したと思っていたんだ。だが奴は死んでいなかった。それを知らされたのは取調室だったよ」


「その男って……」


「君の父親だ。十年前、由良島は私の元に突如現れた。ぼろぼろの姿でな。奴は何度も他人の体に姿を入れ替え、生き永らえていたんだ。だがそんなことをしていれば、外観は保てても、神経系に異常をきたすのは当たり前だ。もうあの男の細胞核は靴底みたいにすり減っていたよ。だから私に持ち掛けたんだ。完全なる魂の電子化を……つまり奴は自分の魂、言わばすり減った細胞核をデータ化し、アップデートし続けるシステムを作ろうとしていたんだ」


「奴にとって、新しい記憶は邪魔でしかないのか、とことん自分勝手な人間だな」


「もちろん私はそれに反対した。だが今考えると、ある意味では同じだったのかもしれんな。由良島が過去の自分に囚われるように、私も過去の地球に囚われていた。ただし、由良島の考えはもはやヒューマノイドどころではない、形を捨てるものだったのだ。もしもそんなことが成功すれば、それこそこの地球に、私たちが生きた形すら残らなくなってしまう」


 間を置いてから話を続けた。


「私は眠れない夜を過ごしたよ。そして決断したんだ」


 宮部は自動運転に切り替わっているというに、ステアリングを握り締めたまま手を放さなかった。


「その日、実験と称して、彼の体に電子チューブを差し込んだ時、そのまま電子チューブから高圧電流を流し込み、細胞核をこの手で破壊した。そしてその壊れた核を持った私はそれを握り締めたまま、由良島が間借りした遺体を山に捨てに行ったんだ。そのままの足で出頭しようと考えた。だが犯した罪に罰を求めるのは、ただのエゴだ。私は会社に戻ると、すぐに開発業務に勤しんだ。だが私の開発したブラウザが発表される前日に、埋めた遺体が見つかったんだ。そして私は数多くの証拠から逮捕された」


 大きな溜息をついた宮部はシートにもたれ掛かった。


「だが奴は死んでいなかった。私が細胞核を潰したその時にはすでに奴の魂は電子と同化してたんだ」

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