第79話 継ぐ者
その男は取り憑かれたような血走った目で、ゆっくりと両手を前に突き出す、一体何をしているのか、彦根はただただその両手を見つめていた。
だが次の瞬間、高い破裂音が響き渡り、男の手の先から眩い光が拡散した。
その場から動くことが出来なかった。全身が死を受け入れたような感覚、音、光、そして底知れぬ絶望感。いま彦根は何者かによって撃たれたのだ。
ヒューノイドに銃は通じない。だがなぜだろうか。この感覚に覚えがあった。コンマ一秒にもみたない僅かな時間、走馬灯のように溢れかえった記憶の断片は消え行く生嶋総理だった。
ただ唯一動く瞼を落とし、スローモーションの世界から通信を切った。だが不思議なことに胸の痛みはなかった。力が抜ける感覚も無かった。二本の足は地面を掴み、鼓動はうるさいくらい全身に反響している。
閉じた瞼を再び開いた時、目の前に広がったのは暗闇でも無ければ、閻魔の手鏡でもなかった。真っ赤な鮮血が視界を覆ったのだ。
恵奈の伸ばした腕が銃弾から彦根を守っていた。飛び散った血がガラスの眼球に着地したとき、彦根の意識は過去から現実へと引き戻された。
恵奈が庇って撃たれた……
目の前に広がった惨劇は普段見ることのない血液の赤によって際立った。
彦根は血を流す恵奈の体を支えると、男のほうを睨みつける。すると男は後退りをして、その場から逃げるように立ち去っていったのだ。
その男を追おうとしたが、腕の中でぐったりとする恵奈を見捨てるわけにはいかなかった。
「おい、恵奈大丈夫か。なんてことを……」
血液が溢れだす恵奈の前腕を必死に抑え込むと、うつろな目をした恵奈が呟いた。
「あの拳銃、見えてなかったでしょ」
「拳銃? あいつは拳銃……を持っていたのか」
「やっぱりね……」
辺りの視線が集まり始める。血を流し、倒れこむジェンダーの女とそれを解放するフードの男。この構図はあまりにも目立ちすぎる。警察に嗅ぎ付けられたら、一巻の終わりだ。
すると一台の車が二人の元に横付けした。助手席のドアが開き、二人を迎えに来たようだった。
「彦根君、早く乗り込むんだ」
「宮部先生、なぜここに?」
運転席には座っていたのは宮部だった。
「いいから、乗り込め。ここにいたら捕まるぞ」
彦根は深く頷き、車の後部座席に恵奈を担ぎ上げた。二人が無事に乗車したことを確認すると、低いエンジン音を立ててその場から走り去った。
「トランクの中に救命道具が入っている。赤い箱だ」
宮部は自動運転に切り替えると、そう言った。
「これですか」
後部座席から手を伸ばして引っ張り上げると、宮部はバッグミラー越しに答えた。
「その中に、止血道具なんかも入っている。我々と違ってジェンダーは血が出るだけで死ぬんだ。弾丸を取り出したりする前に、血を止めろ」
「分かりました。恵奈、大丈夫か」
彦根が名前を呼びかけ続けたが、答えはなかった。ぐったりとしていて、目を瞑っている。
「気を失っているだけだ。まだ死んではない。とにかくいまは傷口に包帯を巻き、肘の動脈を圧迫するんだ。そうすれば一命は取り留める」
「宮部先生、でも俺たち病院には……」
「分かっている。君が指名手配犯であることは知っている。知っている上で助けたんだ。心配するな、このまま警察署に突き出すような真似はしないよ。君が生嶋総理を手に掛けるような人ではないことは、この私が一番知っている。それにジェンダーは治療を受けることができないだろ。この地上でいま一番安全な場所はこの車の中だけだ。それにしても済まない、一歩遅かった」
「なぜあんな場所に……」
「私は君たちを見ていたいのだよ、ずっとね」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます