第78話 地上
「何よあれ? あれじゃあ弾が出ないじゃない」
「それが狙いだ」
彦根は階段を駆け上がりながら短く説明した。
「一発の弾丸でどうこうなる相手ではない。せいぜい一人の足が止まるくらいだ。だからあれはむしろ暴発を狙って作ったんだ。このマンションは思いのほか老朽化が進んでいる。ARで隠しているとはいえ、触れば分かる。所々にひび割れがある。その上、普段使われていない非常階段なんて点検にも入らない。だから火薬を詰め込んだリボルバーが暴発し、大きな衝撃を与えれば薄壁の一つや二つは崩れる」
「瓦礫で押し潰すってことね」
「想像通りにうまくいくかは運次第だ。だが大きな音がすればそれだけでここまで来たことが分かる」
「でも相手はプロでしょ。あんな見え透いたトラップ意味があるのかしら」
「むしろそこがもう一つの狙いだ。突入したのがSATやSITなどの現場のプロなら、あるだけで効果が発揮される。奴らはプロだからこそ、無駄に警戒するんだよ」
そう言うと、彦根は天窓の下で跪いた。膝の上に手を乗せて、踏み台にするように促す。
「この先にマンションの水道ろ過庫がある。天窓から降りたら、その上で待っていてくれ」
「分かったわ」
恵奈は彦根の手のひらに片足を乗せると、肩を掴みながら、窓枠に手をかけた。体重を一身に受け止めた彦根はそのまま押し上げ、恵奈をサッシに届かせる。
先に行かせた彦根は、無駄に糸をばらまき、さらなるカモフラージュを重ねると、恵奈に続いて外に出た。
出てすぐにある真っ白くて四角い建造物が水道ろ過庫である。この中でろ過された水をマンションの住人は繰り返し使っている。そのろ過庫の先はマンションの敷地外で、一軒家などがひしめき合っていた。
「待ち伏せとかされないわよね」
「こちら側に出入り口はない。流石にこんな場所には張り込まないよ」
彦根の手を借りて、ゆっくりと梯子を下りていると、マンションのほうから大きな爆発音が聞こえてきた。
「どうやらSATは来てないみたいだな」
彦根はそう言うと、周りを見渡し、素早く梯子を下りた。民家の陰から微かに見える大通りも公安関係者らしき人物はいない。あの部屋に入ってきた二人の刑事の会話から察するに自宅の警戒は所轄に一任しているらしい。そのため、あのような簡単なブービートラップにも引っかかるのだ。
二人はまるで猫のように、身を隠しながら住宅街の塀をよじ登った。そこから平均台のようにバランスを取りながら先へと進む。
「私たち隠れているの?」
恵奈には民家に庭に植えられたAR上の木々が見えない。
「ああ、大丈夫だ。ここまで来れば奴らも追ってはこないだろう」
彦根はそう言うと、庭の中を潜り抜け、街路字へと出た。マンションで爆発音があったとのこともあり、野次馬が集まりつつある。そんな中でも仕事に勤しむサラリーマンは事件など気にも留めずに背を向けて歩いていた。彦根たちもそれに倣い、フードを深くかぶると、マンションから早歩きで離れていった。
そして路地を曲がり、駅の方へと足を向けると、一人の男の影が足元に広がった。男は彦根を見つめて立ち止まっている。
なぜその男に気が留まったのか。それはこの無数の雑踏中で唯一、プライベートモードを使っていなかったのだ。
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