第77話 地上

 廊下を見渡した恵奈は当然ながらエレベーターのほうへ足を向けた。だが彦根は手を引き、廊下の奥を見据えていた。


「待ち伏せされている可能性がある。さらにエレベーターは止められたら終わりだ。非常階段から行くぞ」


「嘘でしょ。ここ十五階よ。それに囲まれたら、それこそお終いよ」


「電波と警察どっちが早い?」


「え?」


「俺なら先にこのマンションを一時停電状態にする。奴等ならそのくらいやりかねない」


 まさしく彦根の言った通りだった。非常階段を駆け下りている途中、マンション内が停電状態となり、階段の電光が消えた。あのままエレベーターに乗っていれば、今頃、閉じ込められているところだった。

 これもサイバー庁で長年勤めた彦根の勘と言ったところだ。だがこれではっきりした。今まさに警視庁は総出でこのマンションに向かっている。テロの首謀者ともあれば、SATも出動するだろう。なら猶更、こいつが効くかもしれない。彦根はポケットに入れた糸束を指で弾いた。


 十五階から駆け下りてきた二人は五階と六階の間の踊り場で足を止めた。彦根は壁をよじ登り、天窓に指を掛けると、懸垂をして外を見つめた。

 外もかなり騒がしくなり始め、突然の停電に住人が逃げ出している。そこへサイレンの音と赤色灯の赤い光が重なり、警察からすれば、逃亡犯である二人の心象は煽られているかに思われた。少なくとも恵奈は気が気ではなく、落ち着きのない様子で周りを見渡し、立ち止まっている間も震えが止まらなかった。

 一方彦根は至って冷静で、外の状況を確認すると、恵奈に耳打ちをする。


「少しだけここで待っていてくれ」


「どこに行くのよ」


「ちょっとした仕掛けを作ってくる」


「私も一緒に行くわ」


 彦根は焦りの隠せない恵奈を見つめると、小さく頷いた。


「分かった。なら俺の後ろから離れるなよ」


 彦根はそう言うと、一フロア下り、四階から五階へと続く階段でしゃがみ込んだ。壁を触りながら、ポケットから糸を取り出すと、それを手すりに括り付けて、足元まで垂らした。反対側の手すりでも同じような作業をすると、今度は刑事から奪った拳銃を取り出す。

 シリンダーを開くと、一発の弾丸を取り出し、信管を回し始めた。中から火薬を取り出すと今度はそれをマズルの中に流し込む。


「何やっているのよ」


「ちょっとしたブービートラップだ。足止めくらいにはなる」


 さらにシリンダーからもう一発の弾丸を取り出すと、今後はそれをマズルの先に詰め込んだ。指で押し込み、バレルの奥まで詰め込むと、手すりから垂れ下がった糸を小指に引っ掛けた。

 その糸をトリガーに括り付け、リアサイトに巻きつけると、慎重に床に置いた。そしてゆっくりと安全装置を外し、ハンマーを引くと、糸に触れぬように潜り抜け、元の五階と六階の踊り場へと戻るのだった。



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