第76話 地上

 彦根は土壇場で、大きな声で叫び声を上げた。


「恵奈! やれ!!」


 その瞬間、先輩刑事の腰が砕ける。放たれた銃弾は天井を撃ち抜き、先輩刑事のこめかみには大きな穴が開いていた。

 クローゼットのほうを見つめたまま、膝をつき、そのまま意識を失った。


「先輩!!」


 叫び声を上げた後輩刑事の意識が倒れた先輩刑事に向く。彦根はその隙を見逃さなかった。すぐに体を翻し、奥襟を掴み込むと、そのまま後輩刑事の体を投げた。フローリングに叩きつけられた後輩刑事の顔面を肘で殴打し、そのまま頭を掴み上げると壁に投げつけた。

 その隙に後輩刑事のベルトから手錠を抜き取り、倒れる後輩刑事の腕を掴み上げ、拘束した。

 すぐに彦根がクローゼットに目を向けると、暗闇の隙間から白い煙が上がっていた。


「大丈夫か、恵奈」


 急いでクローゼットを開けると、暗闇の中で拳銃を構えたままの状態で硬直する恵奈の姿があった。目には涙を浮かべていて、顔面蒼白といったところだ。動揺した目で彦根を見つめると、震えた唇で呟いた。


「私……人を……」


「安心しろ恵奈、あれは人ではない。撃っても死なない。俺は君に二度も助けられた。一度目のドローンの時と同じだよ。あのドローンに命はなかっただろ」


「でも……」


 恵奈は倒れる先輩刑事に目を向けて言った。


「ヒトではなくとも人間だわ……」


「恵奈、よく見るんだ」


 彦根はそう言うと、先輩刑事を指さした。


「生きとし生ける物には総じて血が流れている。そして人が人たらしめるものは真っ赤な血だ。君が撃った弾丸を貫いた場所をよく見ろ。そこにただの空洞でしかない。君は人を殺していない。機械を壊しただけなんだ」


「ごめんなさい……」


 恵奈は叫ぶような声でそう言うと、彦根に抱き着いた。溢れ出した涙が彦根の冷たい胸に打ち付けられた。


「大丈夫だ。君は俺を救った。殺してなんかいない」


「ええ、そうよね。あなたにこんなことを言わせてしまった私が情けないわ」


 恵奈はそう言うと、拳銃をホルスターにしまい、顔を上げた。彦根の顔を見つめると、涙を拭き、クローゼットから立ち上がった。


「さぁ行こう。今の銃声でここら一帯はすぐに警察に囲まれる」


「ええ、欲しいものも手に入れたしね」


 彦根は恵奈の手を取ると、机の引き出しを開けた。裁縫用の細い糸をポケットに押し込むと、床に落ちていた拳銃を拾い上げた。六発式のリボルバーで残段数は五発。安全装置を確認すると、シャツを捲し上げ、ベルトに挟んだ。


「よし行こう」


 二人が書斎から出ようとすると、拘束された後輩刑事が叫んだ。


「おい! 彦根桐吾!! お前はなぜジェンダーの味方をする?」


 彦根は書斎の入り口に手を突いて足を止めた。


「見え透いた時間稼ぎよ。無視して行きましょう」


 恵奈に手を引かれるが、彦根はその手を握り締めたまま振り返った。


「ジェンダーの味方じゃない。俺は人類の味方だ」


 彦根はそう言うと、後輩刑事に背を向けた。


「だから総理を殺したのか!!」


 彦根はその言葉を聞くと肩を震わした。振り返らずに正面だけ見つめ、その言葉を反芻する。いくら噛み締めても血の出ない下唇が切るほど強く噛み締めると、小さく目を瞑り、恵奈の手を引いた。


「行くぞ、恵奈」


「え、ええ。早く出ましょう」


 二人は部屋を飛び出した。



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