第55話 決起

 持永は公安の監視が始まった日から、一切の残業をやめた。以前なら部下よりも遅く残っていた持永だが、近頃は誰よりも早く家に帰る。その姿を見た他の官僚は彦根の不在で変わってしまったと思っただろう。あれほどまでやる気に満ちていたのに、今の持永は与えられた仕事をただこなすだけの牙が抜けたロボットだった。室長の不在と持永の空虚な態度に部下の士気も下がり、あれだけ熱気に満ち溢れていた第四管理室は見る影もない。持永を尊敬していただけに樽井が今の姿を見て幻滅するのも無理はなかった。


「じゃあ私はこれで上がらせてもらうわ」


 十七時になると同時にそう言った。部下たちの冷たい視線が痛い。誰もそれを止めるもはいない。皆の意見は今日、樽井が代弁してくれた。それでも変わらない持永に部下たちは大きな溜息をつくのだった。

 だがそんなことは目にもかけず、仁王立ちをする警備員を横目に、廊下を胸を張って歩いていく。エレベーターで下に降りると、そそくさと官庁を後にした。

 電車に乗り、最寄りの駅から降りた帰路、四角く浮き出したスーツパンツのポケットに手を当てた。まるでそのポケットを隠すにように、早歩きでマンションのエントランスに入る。

 高層マンションの上階の位置する自宅のドアを開けると同時、上着を脱ぎ捨て、すぐに自宅用のパソコンに向かった。ポケットからつまみ出したのは公安から配属された警備員の認証カードだった。

 今日、警備員が詰め寄った際に、肩を叩くふりをして抜き取った。

 警視庁の警備は厳重で、ヒューノイドのデータで管理されている。部外者が侵入するのはほぼ不可能であり、ハッキングも難しい。言わずもがなカード一枚で突破できるほど甘いものではない。恐らくこのカードだって再発行しようとすればいくらでも作り直せる程度のものだ。亡くした警備員も些事な事を思っているはずだ。

 だがそんな小さな穴はいずれ大きなきっかけになる。

 持永が目を付けたのは、ここに記載されているデータIDである。このカードを元に公安の警察関係者名簿にアクセスをする。そこからヒューノイドの情報を複製出来れば、あの厳重な警視庁のセキュリティを突破する糸口が見えるだろう。

 だがこのカードのIDでたどり着けるのはたかが関係者の名前くらいだ。だがここにたどり着くまでには綿密な計画と下準備があった。


 持永は誰よりも早く帰宅し、公安の監視が及ばない家で、この下準備に勤しんでいたのだ。このカードが最後の鍵となる。

 持永は大きく息を吐くと、最後の勝負へと乗り出た。まずはサイバー庁の秘密ハッキングソフトとIDを駆使して、警察関係者名簿を割り出す。そこから公安に絞り込み、ずらりと並んだ名前を順番に見て言った。

 その中にはあの男の名前もあった。

 ――沢渡志気

 思わずクリックしてみるが、この男のデータは何もなかった。年齢や学歴すらも不問となっている。だが今回はこの男ではない。持永が探していたのは公安課における総務係の事務職員名簿である。

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