第54話 決起
室長不在となった第四管理室はお通夜のように静かだった。モニターに映し出された彦根の報道で皆、仕事に身が入らず、呆然としていた。
そこへ人数分の缶コーヒーを抱えた持永が入って来る。その音に反応した部下たちは暗い表情で扉を見つめ、勝手に絶望していた。
「なに暗い顔をしているのよ」
「持永さん、俺納得いかないですよ」
缶コーヒーを受け取った時にそう言ったのは樽井依彦だった。樽井は持永の後輩で、まだ何の役職にも就いていない。だが人懐っこい性格をしていて、彦根にも可愛がられていた。高校までサッカーに青春を捧げ、国体にまで出場した実力者。引退後、大学からのスポーツ推薦もあったがそれを断り、その熱量を勉強に切り替えた。結果、浪人して名門大学に入った生粋の努力家である。
官僚らしからぬ熱い男で、皆には樽彦という愛称で親しまれていた。
だが今回に関しては熱くなったのは樽井だけではなかったようだ。樽井の一言に続いて、他の仲間たちもぶつぶつと不平不満を漏らした。
「俺はこの事件は室長がやったようには思えません。持永さんもそう思うでしょ」
「今はやるべきことをやるだけよ」
持永はドライにあしらうと、デスクに座って仕事に戻った。
「いや、ちょっと待ってくださいよ」
「しつこいわね、いま私たちに出来ることは何もないのよ」
「それ本気で言っているんですか」
「ならどうしろと言うの? 私たちは官僚よ、国民の血税で食っているのよ」
「持永さん、俺たちはあなたが室長のために徹夜していたのを知っています。必死になって今回の事件について調べていたじゃないですか。それを警視庁に横やり入れられたくらいで簡単に引き下がるなんて、持永さんらしくないですよ。室長がテロリストなんて絶対にありえません」
「話はそれだけ?」
「持永さん!!」
樽井は持永の机を強く叩いた。その衝撃で缶コーヒーが倒れ、焙煎の香りと共に茶色い液体が机の端から滴る。
「樽彦……やめろ」
今にも持永の胸倉に掴みかかりそうな樽井を同僚が止めに入ろうするが、それでも勢いが止まらず、澄ました顔をした持永を睨みつけていた。
「俺は室長がいない第四官室なんて認めたくありません……」
「私も仕事に私情を持ち込む部下なんていらないわ」
「そうですか、なら出て行きます」
樽井は同僚を振りほどくと、バッグを持って管理室から出て行こうとした。
「ちょっと待てよ、樽井!!」
出て行こうとする樽井を止めようとする同僚たち。それでも持永は動こうとしなかった。その騒ぎに警視庁の公安から配属された警備員たちが駆け寄ってくる。
「何事だ!!」
「何でもないですよ」
不貞腐れた顔をした樽井がそう言った。
「何があったか説明しないさい、持永次官」
「いえ、ただの仕事上のトラブルです」
「仕事上のトラブルって……」
「ただ内閣府からの送られてきた資料を訂正する上で、ぶつかっただけです。何の問題もありませんよ」
持永は先ほどまでの冷たい表情から一変し、愛想のよい笑顔を見せた。詰め寄ってくる警備員の肩を叩き、なだめるようにそう言った。
「そ、そうか。まぁくれぐれも暴力はするなよ」
「はい、了解いたしました」
持永のあまりに温和な対応に、警備員たちは口ごもりながらも引き下がった。
「もっと熱い人だと思っていましたよ。では失礼します」
樽井はそう言うと、廊下を早歩きで去っていった。
「本当に追わなくていいんですか」
「ええ、やる気のない官僚はいても邪魔なだけよ……他に出て行きたい者はいるかしら」
持永がそう言うと、皆顔を伏せた。
「なら仕事に戻りなさい」
いつもに増して冷たい口調で目も合わせずにそう言った。
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