第33話 ゴースト

「お前はこの後、どうするつもりだ?」


「愚問だね、宮部君。科学者は常に理論との戦いだ。誰かが作った理論に反例を示し、それを改良して新たな理論を構築する。だが私の理論はこの百年、誰も覆してくれなかった。なら私自身でこの完璧と言われた理論に反例をもたらさなければならない」


「その反例が築き上げた進化の破壊か」


「まさしくその通りだ。私は私の手で作ったこの理論に反例を示す。君はただその中で理想を実現させればいい。それが共闘関係というやつだ」


「私は貴様と共闘するつもりなど微塵もないがな」


「だが向かっている方向は同じだろ。その終着点が別にあろうが、ベクトルは一致している」


「貴様がやっていることは、まるで子供の遊びじゃないか」


 宮部がそう言うと、青年は笑った。


「科学はいつだって道楽だ。私は道楽を求める子供で、君は理想を追い求める子供、何も変わらないじゃないか。神の前では等しくみな子供なのだよ」


「人の命もそうやって片付けるのか」


「この世界で命を語るのかね? 私の目指す破壊が尊き命を絶つ行為だというなら、そんなことはもう百年前に地球規模で成し遂げている。肉体を捨て、一律八十年の終わりはもはや死とは言えない。それただの終わりだ。命とは死があってこそ成り立つ概念。よって私は一度、全人類の命を奪っているのだよ」


「戯言だな」


「そんなことはない。私はああやって不死の神話に終止符を打った。つまり人々から命を奪った私が此度、人々に命を与えるのだ。こんな親切なことはないだろう、宮部君。君が目指している理想郷に近づくためには破壊が必要不可欠なんだよ」


 男は二つの拳を前に突き出し、強く握りしめながら言った。


「破壊しなれば創造もない。それが三次元世界の摂理だ」


 宮部は背もたれに体を任せた。男の姿は見えていないが、テラスから広がる空をぼんやりと見つめながら言った。


「そのための私兵か」


「そうだね、私一人ではそれこそただ道楽になってしまう。新しい世界には新しい住人が必要だし、人手が多いに越したことはない」


「渾沌は世界に対して戦争を仕掛けるつもりなんだろ?」


「戦争? そんな物騒なことはしないよ。君も孫氏の兵法を読んだ方がいい。まぁ基、これは別に勝負でもなんでもないけどね。つまり戦っている時点でそれは弱者なんだよ。戦うだけなら私独りで十分だ。これは人類を苦しまずに破壊するための算段なんだよ」


 青年は鉄柵の上にぴょいっと飛び乗った。その上を平均台のようにして歩くと、人差し指を立てて、説明を加える。


「だからね、安楽死にはその先駆けとなる無数の死が必要なんだ。そして人類は思うんだ。死ぬことは恐ろしいことではない。そして死ぬ事によって私たちは人類に戻れるんだとね」


 青年はおもむろに指を鳴らした。その瞬間、背後から数十機のドローンが一斉に飛び立ち、地上へと向かっていった。


「まずは見本を見せて先導しないと、人は動かない。山本五十六が言っただろ、やって見せ、言って聞かせて、させれてみて、褒めてやらねば人は動かじってね」


 テラスの向こうから一斉に跳び発ったドローンを見つめた宮部はコーヒーを飲み干して、席を立った。


「貴様のことをサイバー庁ではゴーストと呼んでいるらしい」


「ゴースト。不可視な存在か」


「本当に言い得て妙だ。貴様はこの世界に百年の呪いをかけた張本人なんだからな」


「ああ、だから私がその呪いを説いてやる。それが人類の解放だ」


 宮部は背中でその言葉を聞いた。拳を握り締め、一度も振り返ることなく、食堂を後にした。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る