第32話 ゴースト

 国民の脳裏にへばりついて離れなくなるであろう、総理大臣の死という凄惨な事件から数分前のことだ。

 生嶋は意気揚々とマイクの前に立ち、国際展覧会の祝辞と述べていた。そこから二百メートルほど離れた場所に産業テレビの本社があった。日本を代表するテレビ局で丁度、夕方のニュースを放送していた時間帯である。

 そのビルの高層階には食堂があり、そこのテラス席からは国際展覧会の会場が見渡せた。時間も昼時ではないため、あまり混んではいない。特にテラス席などはまばらであまり人はいなかった。

 だがそんな公共の場で、堂々とテーブルの上に胡坐をかき、ライフルを構えている青年がいた。テラス席を鉄柵に銃身を乗せ、ライフルを固定している。覗くスコープの先には演説する総理の額があった。

 しかし誰もその存在に気が付いていない。

 普通に考えれば異様な光景だ。危険物を裸で持ち歩いていれば、誰かが通報する。そもそもこのような行為自体、警護ロボットが許さないだろう。

 だがその横を通る社員も清掃員もウエイトレスも誰もその青年が見えていない。監視するセンサーにも映らず、警護ロボットの関知していない。まるでその場に誰いないように通り過ぎていく。

 青年は大きなあくびをし、深く息を吐くと、トリガーを引き込んだ。

 その瞬間、ここら一体に甲高い銃声が響き渡る。一瞬にして食堂が凍り付き、人々の動きが止まった。時間が止まった世界で青年一人だけが、ボルトを引き戻し、薬莢を弾いた。

 そしてその薬莢が地面に落ちる頃、国際展覧会の会場から悲鳴が聞こえてくる。食堂にいた人々は皆、鉄柵に手をかけ、会場を見つめた。そこには逃げ惑う人々といきり立つデモ隊、そして崩れるように倒れた総理大臣の姿があった。


「撃ったのか……」


 慌てふためくテラス席でただ一人落ち着いてコーヒーを飲む男がいた。男はライフルを構えた青年の隣の席で、真正面を向いたままそう言った。


「君も肝が据わっているよ、宮部君」


 ライフルのベルトを肩にかけ、青年は席の上に立ち上がりながら言った。そうである、そこにいたのは日励党党首の宮部陣である。

 宮部ももちろん、男の姿が見えていない。だがあの耳鳴りのする銃声だけは聞こえた。


「白昼堂々よくやる」


「君こそ、こんな場所にいたら怪しまれんじゃないか。なんたって君は生嶋内閣と対立する野党の筆頭だ」


「今日はテレビ局の討論番組の収録だ。私がここに居ても、誰も不思議には思わない。しかし警護ロボットを撒くのは一苦労だったがな」


「まぁこのシステムを掻い潜ること自体が異例だ。この世界で誰が犯罪を理解する? 君は総理の訃報を聞いた後、落ち込んだ顔をして、辛辣なコメント述べてればいい。所詮、政治家なんて人気商売なんだからな」


「知ったような口を利くな」


「間違ってはいないだろ?」


 宮部は視線を逸らし、黙りこくった。


「まだ人類は理解するのに時間がかかる。だが今後はいやというほどに理解するだろう。ヒューノイドの神話が崩れ去ったことを、宮部君はその歴史的瞬間に立ち会えたんだ。光栄に思いたまえよ」


「ただ私は君に教えただけだ」


「これだから政治家は嫌いだよ。いつだって責任逃ればかり考えている」


 二人の会話は誰にも聞こえていない。傍から見れば、この騒動にも動じずに黙ってコーヒーをすする宮部がそこにいるだけだ。


「君は暴走する進化の列車を止めたい、私はこの世界は破壊したい。ただそれだけのことだ。君の考えも正義だし、あそこで倒れた総理の考えだって正義だ。もちろん私の考えだって正義なんだよ」


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