第31話 人と体

 恵奈に対する集中が途切れ、その声のほうを見つめた。

 話しかけられた時は瞬間的にこの男はヒューノイドであると錯覚したが、そこに座っていたのはただの老人だった。もしかしたら、老人というAR映像なのかもしれない。だがその肌には生気がある。人の見た目などあまり気にせず、じっくり注目したことなどなかったが、ここに来て、その僅かな違いが読み取れるようになった。


「いきなり話しかけてすまなかったね」


 困惑する彦根を気遣い、そう続けた。


「いえいえ、こちらこそ固まってしまってすみません」


 暗がりの中、にやりと笑った老人の歯が、ミラーボールの光に当たって煌いた。


「君も人体に陶酔する迷い子だね」


「私がヒューノイドだからそのように思うのですか」


「他のヒューノイドは誰も人体に興味など示さないよ。だがこうして踊る肉体を見ていると、私たちは何だがもったいないことをしたと、酷く後悔することがよくあるのだよ。だから僕はこうして、この劇場に度々足を運ぶんだ」


 老人はそう言うと、さらに続けた。


「君は僕のことがどう見えてる?」


 その言葉に眉をひそめた。質問の意味が分からなかった。額面通りに答えれば、老人としか言いようがない。


「私と違うことは確かですね」


「そう思うか、確かに僕はどの人間とも違う、中途半端な人間なんだよ」


 老人はそう言うと、彦根の目の前に手を出した。しわの入った老いた手のひらだった。


「この腕は肉で出来ているが、血は通っていない」


 彦根は眉間にしわを寄せた。


「僕はここに誰とも属さない」


 最初に感じた違和感はこれだったのか。


「あなたはまさか……」


「そうだ、僕の体内には人口臓器が埋め込まれている。だが外面はジェンダーだ」


 老人の言っていることが正しければ、この人はAR革命以前の人間であることになる。もうそのような非効率な手術は誰も施さない。地球が次第に廃れていき、人類が住めなくなり始めた時代に作られた人工臓器、それを埋め込んだ人間がまだこの現代にいるというのか。


「そんな馬鹿な、いったいあなたはいくつ何ですか……」


「AR革命が起こってから今年で百年を迎えるだろ。僕は今年で一三二歳になるね。それでもこうやって生きて入れられんだから、人間の皮膚も捨てたものではないよ」


「あなたはずっと人工臓器を保ったまま、この地下で暮らしているのですか」


「老体の肌に今の紫外線はあまりにも辛すぎる」


 老人は鋭い視線を向けて言った。


「百年前を鮮明に思い出すよ……」


 老人がそう言って、彦根に体を向けた瞬間、音楽が鳴りやんだ。恵奈の演目が終わったのだ。会場に明かりが灯り、その老いた顔が露になる。彦根は開いた口が塞がらなかった。この老人の顔をはっきり覚えている。生唾を飲み込み、老人の口の動きを見つめていた。


「丁度、百年前だ。由良島天元、君の父親とこの過ちを起こしたのは……」


 資料で見た写真は若い時のものだったが、面影はある。その老人は由良島と二人でヒューノイドの共同開発を務めた印波湘洋という男だった。

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