第30話 人と体

 劇場は地下へと続いていた。狭い階段があり、壁にはストリッパーの宣材ポスターが貼られている。戦後の日本はこのような場所で溢れかえっていたのではないだろうか。レトロな造りは時代の活気を物語る。まるでタイムスリップでもしたような感覚に陥った。

 階段を下りると、受付があり、五十代くらいの女が彦根を見上げた。近頃では年老いた女を見たくなったため、彦根にとっては少し新鮮だった。


「チケットはお持ちですか」


 彦根は首を振った。


「すまない、ここで購入するわけにはいかないだろか……」


 そう言って、胸ポケットに入っている財布に手をかけた瞬間、受付にあったチケットに目が留まった。


「いや、持っている」


 彦根はそう言い直すと、ポケットの奥から一枚のチケットを取り出す。それを差し出すと、受付の女はにこやかな笑顔を見せた。


「どうぞ、そろそろ開演しますので、中へお進みください」


 女が示した方向には黒いカーテンがあり、その奥が劇場になっているようだ。彦根は示されるがまま、そちらに足を運び、カーテンを潜った。

 中は独特な熱気に包まれていた。驚くべきことに観衆は男だけではなかった。若い女の客も見えた。彦根は少し後ろの席に座り、中央にあるステージを見つめた。

 ステージには花道がある。その先に丸い立舞台があり、そこを客席が囲んでいた。立舞台の中心には銀色に輝くポールが立っていて、その上にはミラーボールがあった。

 彦根が座ってから数分で、照明は暗くなり、演目が始まった。

 するとステージの脇から登場したのは恵奈だった。彦根がいることを確認すると、ほんの少しだけ微笑みかける。

 軽快な音楽に合わせて、ダンスを披露し、そして妖艶に誘惑する。そしてその音楽は次第に落ち着き、静かになっていった。

 曲調に呼応するように、その体を覆った布が一枚ずつ剥がれ落ちていく。場と一体となり、一つのストーリーを紡ぎ出し、観衆の耳目を一瞬にして掌握した。

 彦根もその舞台に立つ女が先ほどまで一緒にいたとは思えないほど、遠い存在に感じ、その美しさに引き込まれると、目が離せなくなっていた。


 ストリップなど初めて見た。ずっと俗世的なものだと思っていた。性欲と金にまみれたものだと思っていた。だが実際に目の前でその姿を凝視すると、そうではないと思った。

 揺れ動く乳房も輝く女の体躯も全てが芸術なのである。ヒューノイドには無いものだ。人体のすばらしさ、そして堂々と踊るその姿に感動した。それは性に訴えかけるものではない、鼓動と瞳孔に響き渡り、心が魅了され、この空間の虜になる。

 恵奈が彦根に見せたかったのは自分の肉体ではないし、性的対象としての異性像でもない。人体の素晴らしさ、芸術の根幹、美の象徴となる肉体。彦根は再び認識することなる、この世界の過ちを。

 なぜ中世の西欧諸国ではルネサンスが勃興したのか、彦根は恵奈の踊る肉体を見つめながら、様々な芸術家を頭に浮かべた。ダヴィンチ、ラファエロ、ミケランジェロを代表とする神秘的な絵画、そしてダビデ像やミロのヴィーナスといった美しい造形美、あれから数百年たった今では肉体に変化はない、芸術とは普遍なのである。

 もしも涙を流せるなら、その涙腺は決壊していただろう。全身が震えた。そしてその震えは止まることが無かった。


「どうだね、人体は素晴らしいだろ」


 演目に圧倒されていた彦根の隣で一人の男が呟いた。その瞬間、彦根は違和感を感じ取った。この男は自分と同じヒューノイドではないだろか。直感がそう呟いたのだ。

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