第29話 ディープウェブ

 押し返された拳銃を受け取った恵奈はホルスターにしまうと、そのままホルスターを外した。上着を脱ぎ、彦根に背を向けながら喋る。


「私、そろそろ仕事に行かなくちゃだから」


「仕事?」


「ここに住んでいる人たちは皆、仕事をしているのよ」


「なら、私はおいとまするよ」


「別にここに居てもいいのよ」


「いや、この町をもう少しだけ調べたらすぐに戻る。私も仕事は山積みだ」


「そう、じゃあこの町の観光がてら私のステージでも見に来る?」


 恵奈はそう言うと、彦根の胸に一枚のチケットを差し出した。


「なんだ、これは?」


「ライブのチケットよ」


「見に来いってことか」


「興味があればね。別にないなら、地上に帰ってくれて構わないわ」


 恵奈はそう言うと、バッグを肩にかけ、彦根など無視してさっさと部屋を出て行ってしまった。一人取り残された彦根は慌ただしい恵奈に小さな溜息をつき、ソファに体を任せた。

 照明にチケットを透かしながらぼんやりと考える。

 渾沌という組織、それを仕切るマスターという存在。そして人類の解放という思想。そしてジェンダーの集落。あの国際展覧会で起こった悲劇からまだ一日も経っていないのに、自分の時間だけが実にゆっくりと動いているように感じた。

 サイバー庁の官僚としてかなりの情報を管理している彦根だが、この世界には未だ知らないことが多すぎる。

だがこの穴倉に来て、はっきりとしたことがあった。それはゴーストは心霊現象なんかではないということだ。

 追うべき実態は必ずそこにある。マスターがゴーストを作った、あるいはマスターこそがゴーストなのだろか。ヒューノイドが築き上げた虚像は崩れつつある。その組織名の通り、この世界を渾沌へと誘うマスターとその信徒たち。この電波の先には必ず〝人〟がいるのだ。

 彦根はチケットをポケットに押し込むと、膝に手をついて立ち上がった。


「勝手に地上に帰れって言われても、道覚えてねぇよ。それにどこのライブ会場なんだよ」


 彦根は呆れたような笑みを浮かべると、恵奈の部屋を出て、あの高い階段を下りていった。


 街に繰り出した彦根はポケットに手をつっこみながら、散策する。恵奈と二人でいるときも思ったが、この町はどこかノスタルジックな気持ちにさせる。全てが手作りで築かれた建物で、内装も当たり前ではあるが、全て本物だ。

 ヒューノイドがいかに目に見えるだけのだけに頼っていたかがよく分かる。すれ違う人々の顔ははっきりと見えるし、話し声もしっかりと聞こえてくる。

 アルファオメガという非常に懐かしいアプリを見たのもあるが、ここにある者の全てがレトロに感じる。そもそも人体そのものがレトロな骨董品なのだ。

 彦根が何となく歩いていると、ある看板が目に留まった。

 それはストリップ劇場の看板だった。

 地上ではこのような店は全て摘発されてしまった。日本でも風俗産業は全て政府が介入し、かなり数を減らされたのだ。そもそも相手は鉄塊の女だ。あくまでのヒューノイドなのだ。そこに温もりも無ければ、柔肌もない。単なる射精の感覚を味わいたいだけならば、プログラムを入力すればいい。

 人類が機械化する過程で本当に性別を失くしてしまった。この身でジェンダーと売春することは不可能だ。だがストリップショーならどうなのだろか。彦根は興味本位で劇場へと足を向けるのだった。

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