第14話 会談
「脱線事故に巻き込まれたそうじゃないか」
日本酒をお猪口に注ぎながらそう言った。卓上にひときわ目立つ刺身の盛り合わせには手を付けずに、宮部は小皿に盛られたふきを箸でつまんだ。
「その折は申し訳ございませんでした」
「不慮の事故だ、仕方がない……」
宮部は視線を流しながらそう言った。
「ええ、あれは不幸な事故でしたよ」
「それが官庁の表向きの意見か」
「そうですね」
宮部の見透かしたような言葉に目を細める。
「近頃、国会は揺れている。特別延命処置法などという馬鹿げた法案が委員会まで通ってしまった。恐らく自由党はこの法案を強行的に通すだろうな。君はこの法案をどう思う? いやそれは愚問だったな。君はジェンダーをどう思っているんだ?」
その問いに対して、間を置かずにすぐに答えた。
「ヒトですね」
彦根はお猪口に口を付け、その淵を指先で撫でるとさらに言葉を付け加えた。
「私たちが倫理的な人だとするなら、ジェンダーは生物的なヒトです。そして地球も宇宙もこの三次元空間にある全ての祖は生物的な物質によってできている。ヒトを形作っている物質はステンレスではない。紛れもないタンパク質と水がなければ人類とは呼べないでしょう」
「全く持って君らしい意見だ。私もその意見に賛同している。人類がヒューノイドに移行するとき、生まれてきた赤子は解体し、機械を体に埋め込んだ。君が言ったようにタンパク質と水の体ではなく、ステンレスとカーボンの体に生まれ変わったのだ。まさしくテセウスの船といえよう」
「部品を全て変えた船は本当にその船なのかという哲学的思考実験ですよね」
「そうだ。生まれてきた赤子は本当にその赤子なのか。それとも赤子は殺され、そっくりのロボットに差し替えられたのか。レンズを通して見られる世界はどこまでが真実でどこまでが嘘なのか。仮に特別延命処置法が施行されたとして、その者は本当に生きていると言えるのか。その延命された生もARによって作り出されたただの幻想にすぎないのではないだろうか。私はそう考えてしまう」
「基、昔からこの世界が本当に存在しているなど誰も証明できなかったのです。だが、仮にこの世界が五分前に作られた世界だとしても、私たちの生活は続いていくし、明日はやってくる。やってこなかったとしても、受け入れがたい終わりが待っているだけなんですよ」
「君は常盤宗という小説家を知っているか」
彦根は少しだけ息が上がった。あの電車の中で出会った女の顔が脳裏に浮かんだからだ。
「ええ、知っていますよ」
「『時を刻む』のヒロインが主人公を生かすために命を投げ出そうとするシーン上がるだろう。そこで主人公はこう言うんだ。『俺は時間を繰り返しても、この君にはもう二度と会えないんだ』とね」
「印象的なシーンですから覚えていますよ」
「私はこう思うのだ。自分が死んだ後にこの世界が存在し続ける保証などどこにもない。『時を刻む』はただの物語だが、ヒロインを助けることのできなかった世界は物語の中から消滅している。なら一体この世界が普遍的に存在している理由などどこにあるのだろか」
宮部はバッグから扇子を取り出し、その扇を開いた。
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