第13話 会談

 それから数日が経ったが、あの脱線事故の話題は見事に消え去った。生嶋内閣も何事も無かったかのように法案を進め、いよいよ委員会を通り、国会は連日、揉めていた。

 脱線事故は国民の頭から完全に消し去られた。ネットニュースはめくるめく変化していく、情報で溢れた社会であるがゆえにたった一つの小さな記事は人々の目に留まらずに流れて行ってしまう。情報の濁流は記憶を洗い流し、人々の関心は転がるように変化していくのだ。

 彦根は室長としての仕事を全うしながらも、持永と時折コンタクトを取り、ゴーストについての話を進めていた。しかしあれ以来特に動きはないらしい。真相は闇の中で、未だのあの映像の詳細は掴めず、サイバー庁の技術を駆使したとしても謎は一向に解けなかった。


「このオカルトとはかけ離れた世界で心霊映像とはな……笑えるよ」


 彦根は度々、シニカルな笑みを浮かべながらそう言った。

 だが事件は解決しなくとも、時は無慈悲に流れていく。山積みになった仕事をこなしながら時計を見つめると、気が付けば定時が迫っている。最近は残業ばかりだが、今日だけは官庁に留まるわけにはいかなかった。

 彦根はデジタル化された手帳を開き、暗号化された今日の予定を見つめた。

 メモ用紙書かれていた日付は今日である。

 八時半から明月亭で宮部が待っている。彦根はデスクから重い腰を上げ、ジャケットを羽織った。


「今日は先に上がらせてもらうよ。君たちもあまり根詰めるなよ」


 部下にそう言い残すとエレベーターに乗り、官庁を後にした。


 明月亭はサイバー庁から電車で数十分ほど距離にあった。環境問題を考えなくなった夜の町のネオンは昼間のように明るい。可視化されない工業廃棄物は海に垂れ流され、空を覆う真っ黒い煙も星空に変わる。

煌びやかな歓楽街を抜け、少し静かな雰囲気が漂う場所に明月亭はあった。ビルの森に隠されたその日本料亭は一筋縄ではたどり着けない。

 かなり入り組んだ地形を利用して、隠れるようにひっそりと佇んでいる。

 彦根は襟を正し、社会人としての不足が無いか、EYEに映し出されたミラー機能を使って確認した。

 ふっと息を吐き、明月亭の門をたたくと、中から彦根が訪れるのを待っていたように、膝をついた女将が深々と頭を下げた。


「彦根様でおありですね」


「そうです」


「お座敷をご用意しております」


 女将はそう言うと、彦根を一番奥の間へと案内した。女将は扉の前で膝をつき、戸を軽く叩くと、「失礼致します」と断りを入れ、ゆっくりと開けた。

 するとまだ三十分も早いというのにそこにはおしぼりで手を拭く宮部があった。座椅子に深々と腰かけ、ぎろりと鋭い視線を向けている。

 目を丸くし、体を硬直させていた彦根を仰ぎ見ながら宮部は低い声で言った。


「そんなところで突っ立っていないで、座りたまえ」


 実に落ち着いた重厚感のある声だった。


「宮部先生、お早いですね」


「前の仕事が少し早く終わっただけだ。君こそ三十分前に来るとは律儀な事だ。そんなに私と会うのが楽しみだったのかね?」


「ええ、楽しみ過ぎて足が鉛のようした。私はあくまでも官僚ですからね。与党側です」


「相変わらず皮肉を言う男だ」


「それは先生も同じでしょう」


 彦根は向いの座椅子を引き、ビジネスバッグはその脇に置いた。



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