第10話 序章

「まさかあの電車にジェンダーが……」


 持永は咄嗟に出たその言葉をすぐさま修正した。


「あ、すみません」


「私に気を使う必要はないよ。ジェンダー……確かに皆はそう言っているな」


 ジェンダーは未だヒューマノイド化していない人間のことを指す。いわば差別用語だが、公的な場でもごく普通に使われている。

 それは公的な場にジェンダーが立ち寄ることが出来ないからである。


 肉体を持たなくなった人々は性別の垣根を超えることが出来た。そのため性同一障性害がこの世から根絶されたのだ。生まれながらして自分のことを女だと思った男は女のヒューマノイドに付け替えればよい。その逆もしかりであり、さらには状況によって男女のヒューマノイドを使い分ける者が現れた。そのため、男女による格差などは消え去り、今日に置いて性別の違いはただ一つの個性として見られるようになった。

 人は真の男女平等社会を達成したのである。だがその代償として、この世界から性別という概念が消え去った。そのため未だに肉体を持って暮らしている人間は性別に囚われている〝ジェンダー〟という言葉で呼ばれるようになった。

 ジェンダーに人権などほぼなかった。ヒューマノイドでないと定職に就くことも難しい。さらに部屋に入居するにしても審査が通らないのがほとんどで、ヒューマノイド化を推奨する世界はジェンダーに対して徹底的に牙をむいた。

 施行が始まった時はジェンダーから猛反発を受けたが、民主主義を盾にして、その勢力を弱まらせていった。

 いずれジェンダーから人権が剝奪され、いまや差別対象となった。ヒューマノイドの人々にとって忌み嫌われる存在となり、その人口は一パーセントにも満たないと言われている。

 ヒューマノイド化は無料でできるし、ただ肉体を捨てるだけで人権を取り戻すことができる。ジェンダーからヒューマノイドにアップデートした人間に対しては政府が全力でサポートするため、メリットしかない。

 ゆえに今ではほとんど見なくなった。

 世界規模のいじめが嫌なら、ヒューマノイドとして生まれ変わればいい。それが世界の総意だった。

 だが彦根は首をかしげなら異を唱える。


「本当にジェンダーと呼ばれるのは我々の方かもな」


「そもそも性が消えましたからね」


「まるで動物を生物と呼んで差別しているほど、矛盾しているよ。やはりこの世界は狂っている。だが私の目ではその狂っている部分を見ることが出来ない。むしろ生身の人間はこの世界を根底から見つめているんだろうな」


 彦根は瞼を抑えながらそう言った。この地球が荒廃していることは知識として知っている。だがその荒廃がどの程度まで進行しているのかは、このレンズのおかげで見ることが出来ない。

 そもそも生身ではこの汚染された地球で生きていくこと自体が困難とされている。もはや地球が真っ二つになっても人類は足掻きを繰り返すだろう。生物を殺しても尚、繁殖し続ける寄生虫のように。


「その電車のことなんですが、私たちが極秘に調べまして……」


「事故ではなさそうだな」


「考えたくはありませんが、この世界の電車が脱線するなど、あまりにも珍しい。いやあり得ない」


「ああ、きっとあの脱線事故には情報の一端が詰まっている」



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