第8話 序章
丸一日、ベッドの上で過ごした彦根はついに退院の朝を迎えた。
病院から出ると、カンカン照りの太陽が彦根の額を突き刺した。
「今日は晴れか……」
天気は気象庁が管理している。雨の日と晴れの日が人間の精神にどのように影響を及ぼすかを考えて、日数を調整しているのだ。天気予報は百発百中で唐突な雨に降られることも無くなった。もしも傘を忘れて、駆け足で雨の中を抜けていく人がいれば、天気予報を確認しなかったのだろう。
彦根は固まった体を動かしながら、ロータリーの方へと向かった。すると、黒いハイヤーは彦根の目の前に停まる。
ドアが自動で開き、中からスーツを着た女が現れた。
「室長、退院おめでとうございます」
そう言って頭を下げたのはサイバー庁官僚。彦根の部下に当たる持永由芽だった。ショートカットの丸顔で可愛らしい顔をしているが、その眼光はかなり鋭い。背筋を伸ばし、彦根の顔を見ると、バッグを受け取った。
「退院と言われるほど長く入院していないよ」
「長く入院されては困ります」
「辛辣だな」
彦根はハイヤーの後部座席に乗り込んだ。中は外見よりも広く、運転手はいない。車は自動運転が普通である。人は後部座席に座り、行き先を指定すれば、あとは何もしなくていい。もはや運転免許は必要なくなり、車の運転はスポーツとして昇華してしまった。
彦根が座ったのを見計らい、持永も隣に座る。ハイヤーのドアは人が乗り込んだことをセンサーで感知すると、勝手に閉まった。
次に座席の中央にタブレットが表示され、ここに行き先を打ち込めば、あとは自動で動き出す。
持永は慣れた手つきで行き先を指定すると、もう一度深く座り直した。
ハイヤーが動き出し、病院の敷地内を出たあたりで彦根が口を割った。
「宮部先生との会談はどうなった?」
「代わりに局次長が向かわれました」
「それは、さぞお怒りだっただろうな」
「ええ、どちらも」
「まぁ、ああいう人間のほうがお役所仕事は向いている。別に悪いとは言わないよ」
「それ皮肉ですよ」
「そんなことないさ、俺たちは国家の駒に過ぎないんだから」
「それで局次長からこのようなものを渡すように言われています」
持永が取り出したのはメモ用紙だった。それもARのメモ用紙ではない。本物の紙である。
それは明月亭で局次長が宮部から貰ったメモ用紙だった。少し湿っていて、局次長が先日の会談でどれほど焦っていたかが伺える。ヒューマノイドになっても冷や汗は出るものだ。
「まったくあの方もアナログだな。メールで送ればいいものを」
「それほど用心深いということなのでしょう。メールでは削除したとしてとしても、ログが残る可能性がありますから」
「確かに、日励党の代表ともなるお方が一介の官僚と密談するなど前代未聞だ。しかも野党だからな。大臣の耳にで入りもしたら――」
彦根は苦笑いを浮かべながら首を横に振る。
「特別延命処置法案のことでしょうか……」
「特別延命処置法案のことでしょうか……」
「恐らく、その話だろう」
彦根は腕を組み、深く頷いた。
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