第6話 序章

 都内の高層ビルが建ち並ぶ一等地に密かに構える隠れ家。

 政府要人御用達の知る人ぞ知る明月亭という料亭は明治時代から続く老舗だった。政治各界から信頼されている女将は寡黙で、品性に充ち溢れていた。この料亭は会員制で、一般人は立ち寄ることすらも出来ない。この店の存在はマスコミすらも知らないだろう。

 その料亭の一番奥の座敷で宮部陣は刺身を頬張っていた。


「宮部先生、今日はお忙しいところ申し訳ございません」


 腰を低くしてそう言ったのは中年の男だった。髭を生やして貫録はあるが、目が泳いでいる。唇は小刻みに震えていて、かなり緊張していることが伺える。


「私は君に会いたかったわけでは無い」


「ええ、それは……しかし」


「分かっている。電車の脱線事故なら仕方がない。だが時間に空きが出来たなら、今頃、他の仕事をしていた。別にこのくらいの料亭はいつだって取れる。わざわざ予定をキャンセルするくらい造作もない」


 宮部は醤油に浸した本マグロを咀嚼し、冷酒で流し込むと、メモ用紙を胸から取り出した。


「これを君の部下に渡してくれ」


 メモ用紙には日時が書かれている。場所は明月亭、宛て先は彦根である。男はそのメモ用紙を大事そうに受け取ると、それを手帳に挟み、胸ポケットにしまった。


「宮部先生、一つ私からもお聞きしたいことがありまして……」


「なんだね?」


「なぜこうも彦根に固執するのでしょうか」


 すると宮部は座椅子のひじ掛けに体を任せた。


「局次長、私はサイバー庁の官僚としてあの者と話したいわけでは無い。彦根桐吾という男は人間であるから話したいのだ」


 局次長は眉をひそめた。


「それはあれが元ジェンダーであるからですか」


 すると宮部は鋭い視線を送る。


「君は人類がいま間違った方向へと進もうとしていることに何のためらいもないだろう。君は官僚で私は政治家だ。与えられた仕事が違う、国の憂いは政治家の役目。君たちの仕事はそうじゃない。与えられた仕事を確実にこなすことだ」


 その言葉に少し機嫌を損ねた局次長は下手くそな笑顔を作った。


「それは心外ですよ、私たちだって国を憂いている」


「ならば今回の脱線事故をどう見る?」


「どうってあれは……」


「管轄外のことで下手なことは言えないよな。ましては飲みの席で同期と喋っているわけではない。あれがただの事故なのか。それともテロなのか」


「テロなんて起こるはずがありません……だって」


「ヒューマノイドならな」


「まさか……御冗談を……」


「君の優秀な部下ならすでに調査を始めているかもしれない。それが管轄外であろうと、責任外であろうと、時世代のエースがこの大きな渦に巻き込まれたんだ」


 宮部は立ち上がり、障子を開け放つと、ネオンが差し込む日本庭園を見下ろした。


「こうやって私が見ている庭園は幻だ。龍安寺の崇高に作られた石庭とは違う。だがこの幻を見ていない人類がほんの一握りだけ存在する。そしてこの力に慢心して、終わりを終わらせてしまったら、もはや我々はこの地球の上に立つ資格がないと思うんだ」


 局次長は黙っていた。言い返す言葉がなかったのだ。




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