第4話 AR革命

 彦根は脱線事故に巻き込まれたというのに、体はどこも異常がなかった。学生時代やっていた柔道がまたしても役に立った。うまく受け身を取ることで、体の外傷を極力減らすことできる。生身なら青たんくらいは出来ていたかもしれないが、この体なら骨折ほどの衝撃を与えない限り平気だ。

 それでも痛覚プログラムは作動する。痛みは人体の警報であり、もしも人間に痛覚が無ければ、知らず知らずのうちに取り返しのつかない怪我をする、そして気が付いていた時には死んでいるだろう。それはヒューマノイドでも同じことで言える。

 痛みとは煩わしいが、最も人の脊髄に問いかける信号なのだ。


 だが事故が事故なだけに念のため、彦根は救助用ロボットに助け出された後、すぐに救急搬送された。歩けるが、ストレッチャーに乗せられ、救急車で病院へと連れていかれる。そこで体に異常が無いが、心的異常が無いが精密検査を行わなければならない。

 現在、病院は主に二つの分野に分かれている。体のメンテナンスを行う技師と心のメンテナンスを行う医師だ。ヒューマノイドの技術が発展したおかげで、内科も外科も歯科も全て科学者と技術者に仕事を奪われた。いまでは医者と言えば、精神科と心療内科くらいである。昔エリートと言われた外科医はいまでは過去の遺物と揶揄され、大学では医学部よりも理工学部が遥かな流用性と期待値を持ち、そのエリート枠をかっさらっていった。

 この世界に変わり、消えていった職業は数多くある。

 人類が人体を超越したあの日、まず消えたのが医者だった。医療とは人類にとって多大なる進歩を生んだが、人体そのものが無くなってしまった現代ではその卓越した研究も意味を持たない。


 二十一世紀がその歩みに陰りを見せた頃、環境汚染が進み、世界は感染症の闇に覆われた。さらには食糧危機、水不足、ありとあらゆる問題が津波のように押し寄せて、人々を路頭に迷わせた。

 医療は逼迫し、医学界ではありとあらゆる技術で対抗を試みたが、そのどれもが人類が積み上げてきた負の遺産によって踏み倒された。細胞の再生、感染症の特効薬、遺伝子の組み換え、その全てをもってしても打破はできず、医学は八方塞がりとなりとなった。

 千年王国を築き上げた人類にも、ついに種の存続が危ぶまれる時が訪れた。白亜紀まで派遣を握り続けた恐竜が絶滅したように、人類にもついに終焉の兆しが見えてきたのだ。

 世界中の教会で連日連夜祈りがささげられ、終末思想を持った人々はプラカードを掲げて、ヨハネの黙示録に則ったハルマゲドンの到来を訴えた。

 神の怒りを買った人類の終わりを誰もが覚悟し、黒い霧で覆われた空の下、最後の希望に目を向けたのだ。

 人類は「人体の克服」を目指したのである。

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