9. 二つの月の光

『こっち、こっち、こっちぃーーーーっ!』

そう言いながら、無邪気に、僕の腕を掴んで走る彼女。

『私、この森で迷ってて、すっごい宝物、見つけちゃった。でもポケットに入らないの。でもとても綺麗だから、誰かに、私が見つけたんだぞって自慢したくって』

森?

森にいるのか?

確かに森のようだ。

樹々が続くトンネルから抜けると、そこは絨緞が敷き詰められたように広がる真っ白な花畑け。

太陽の光で一層輝く白い花——。

『ね? 綺麗でしょ、私が見つけたんだよ』

彼女は振り向いて、僕に微笑む。

彼女は誰だろう?

『ディジーっていうの』

——え?

『花の名前。ディジーっていうの。私、この花から名前貰ったんだよ』

彼女はディジーの花畑の中央に立ち、優しい笑顔でそう言った——。

シンバは目を覚ます。

夢から覚める直前の、彼女が言った『約束だよ、また逢えるよね』と言う声が、耳にまだ残っているようだ。

只、いつもと違うのは、目覚めて、消えている香りが、今は残っている。

優しい香りが、ふんわり漂っている。

地下の牢屋の中だと言うのに——。

起き上がり、ふと牢屋の扉が空いているのに気付いた。

「あ、あれ? 僕は釈放されたのかな? 眠ってたから、そのままにしておいてくれたのかな?」

そんな馬鹿な話はないだろうが、扉は開いている。

シンバは、見張りの兵士もいない事に、

「それにしても無防備な城だなぁ」

と、呟く。

今の王が頼りないのだろう、それはその城の兵士にまで反映する。

初代シュロ王が創り上げたルピナス。

だが、大きくなればなる程、シュロ王が創り上げたかったものとは変わるんじゃないだろうか。それでも、時間の流れは止まらない。全ては変わり続ける——。

シンバは地下牢を出て、優しい香りに誘われるまま、歩いた。

大きな城の中、シンと静まり返り、壁に飾られた只の絵画も不気味に見える。

そして、中庭に出た。

そこには、夢に何度も現れた景色がある。

白い花びらが一面に広がり、そして、その中央には——

「・・・・・・シンバ?」

中央に立っている誰かが、振り向いて、そう聞いて来た。

「・・・・・・誰?」

そう聞き返すと、

「シンバ、約束守りに来てくれたの?」

そう言いだした。これは夢の続きだろうか——?

「約束?」

聞き返すと、雲に隠れた月が顔を出したのか、辺りが明るくなる。

その月明かりで、ディジーの姿がハッキリ見えた。

花畑の中央に立つディジーは、手を差し伸べている。

シンバに、手を差し伸べ、

「手、絶対に離さないって、約束したじゃない」

そう言った。

シンバはとても懐かしい気持ちで一杯になる。

その差し伸べられた手を、絶対に離してはいけないと、そう思う程、気持ちは勝手に高まる。だから、シンバも手を伸ばし、ディジーの手を強く握った。

何かに誘われるままに、何かに引き付けられるように、二人、この場所で手を握り合う。

「良かった、またシンバに逢えて」

そう言ったディジーに、

「もうやめよう」

と、突然、シンバはそう言い出し、

「もうやめよう! その約束は!」

と、真剣な顔。

「どの約束?」

意味がわからず聞き返すディジー。

「また逢えるよね、また逢えるさ、そういう風に約束するのはやめよう!」

「え? 何が? どういう事?」

「もう離れなければいい」

「え?」

「いちいち逢う必要なんていらない。僕の隣にキミがいて、キミの隣に僕がいて、手を伸ばさなくても、そこにいるから、いつでも振り向けば、僕がいるから、もう淋しくない」

「・・・・・・どういう意味?」

「・・・・・・どういう意味だろう?」

言ったシンバ本人が聞き返す始末。

「前にディジーの花畑の夢を見るって言う話をしただろう? ここに来て、わかったんだ。僕はキミに逢う為に生まれたんだよ。誰かの為に、何かを残す為に、自分の為に、夢を見る為に、希望を持つ為に、そうやって生まれ変わったんじゃないんだ、僕は、キミに逢う為だけに生まれたんだ。ここに来て、わかったんだよ」

「・・・・・・私は何もわからないわ。ここに何気なく来たら、シンバが来ただけ。偶然か奇跡か、只、出逢っただけ。自分がどうして生まれたのかなんてわからない」

そう言ったディジーに、

「僕に逢って、良かった?」

そう尋ねた。ディジーは、当たり前のように即頷く。

「それは確実。あなたに出逢って、本当に良かった。化け物だった姿から解放してくれたからとか、そういう事じゃなくて、あなたという人に出会えた事が嬉しい」

「・・・・・・それだけでいいよ、何もわからなくても——」

そう言ったシンバに、ディジーは、

「抱き締めて?」

そう言い、繋いだ手を離して、両手を広げて見せた。

シンバは少し考える。

なんせ、女の子を抱き締めたのは、ディジーが前世の呪いが解けた時が初めてで、あの時は感極まるものがあって、その勢いがあった。

でも今は、割りと冷静だ。

女の子を抱き締める、そんなシミュレーションさえした事がない。今、突然、頭の中でのシミュレーションさえなしの、本番状態。

やはり、自分も手を広げるべきかと、両手を広げてみたが、一歩、踏み出せずに、そのまま、硬直してしまう。

だが、何も言わず、ディジーが、両手を広げたシンバの中に入り、シンバの背中に、そっと手を回した。シンバは硬直したまま、自分の両手をどうしようかと、そっとディジーの背に回してみる。

不自然だが、抱き合っている二人。

「ウルフが言ってた。私の体から出た化け物を追うって——」

「うん」

「化け物は強い?」

「どってことないよ」

「余裕?」

「しゃくしゃく」

そう言ったシンバに、シンバの胸に顔を押し当て、クスクス笑うディジー。

シンバはディジーを抱き締めながら、庭の隅にある銅像を目にしていた。

女性の銅像はどこかディジーに似ている。

「待ってるから」

「え? 一緒に——」

「一緒には行けない。これから王女として、やる事もあるし、父様があんなだから、養女のエリカさんだって大変だと思うの。私がしっかりしなくちゃ」

確かに今のルピナスは余り良いとは言えないとシンバも感じている。

「シンバに手紙を書くわ。毎日、手紙をバブルに届けさせる。シンバも書いてくれる? バブルに手紙を渡してくれればいいから」

「・・・・・・それじゃあ、遠いよ」

「でももう離れないでしょ?」

「うん、もう離れないけど」

「だったら、アナタとの約束を信じて待ってるわ。私の手を絶対に離さないって信じて待ってる。だから、アナタも私を信じて?」

「・・・・・・うん」

シンバは頷くしかなかった。

まだ幼い二人に、残された道は、自分の与えられた使命を果たす事。

それさえ出来ずに、自分の気持ちだけで突っ走れない。

二人、抱き合っていたが、離れ、見つめ合う——。

「また逢えるよね?」

もうその約束はやめようと言ったのに、ディジーが、言い出す。

そんなディジーに、笑いながら、

「また逢えるさ」

そう答えるシンバ。

そして別れ——。

シンバとディジーは互い、背を向け、歩き出す。

二人、振り向かない。

また逢えるから、これは別れじゃないのだと、二人、わかっている——。



城から出ると、ウルフが待っていた。

シンバは笑顔で、ウルフに駆け寄ると、ウルフも笑顔で、シンバに駆ける。

「どうだった? 地下牢は?」

「なかなか快適で、熟睡」

「マジで? 自分ちよりマシ?」

「うるさい親いないしね。てか、親、泣くよね、旅に出た修行中の息子が地下牢に入れられたなんてさ」

言いながら笑うシンバに、

「ごめんな」

と、会話に紛れるように、言うウルフ。

「何が?」

「何て言うか、俺のせいだから」

「誰のせいでもないよ。どの道、アイツは倒さなきゃいけないんだ」

「・・・・・・倒せるか? 俺達、半人前所か、修行中の身だぜ?」

「だからって、許せないだろ。ディジーをずっと苦しめてたし、ウルフ迄も苦しめた。アイツが神と名乗ろうが、チカラのある悪霊だろうが、絶対に無にしてやる」

「・・・・・・無にしてやる、か。お前はいいな、クリムズンスターがあるから」

そう言ったウルフに、シンバは困った表情をする。

「あ、いや、変な意味でとるなよ? 素直にいいと思っただけだから」

慌てて、そう言ったウルフに、シンバは笑顔で頷く。

「ウルフ、僕もさ、操られてるんじゃないかって時々、思うんだ」

「誰に?」

「クリムズンスターに」

「まさか」

「時々、自分が怖くなる時がある。誰にも、自分にさえ気付かれないよう、僕は僕を保っている。そんな感じがする」

「嘘だよ、だってシンバは全然そんな風に・・・・・・もしかして操られた俺に慰めのつもりか?」

「そんなんじゃないよ。只、操られる事の怖さ、僕もわかる気がしたんだ」

そう言ったシンバの顔が優しく微笑んでいて、ウルフは胸が苦しくなった。そして、

「龍の牧場あるだろ? あそこにいる親方のうちで、みんな寝てるんだ。まだ夜明け前だし、俺達も行こう」

ウルフはそう言って、歩き出す。

ウルフの背はまだ恐怖に警戒しているようだった。

左腕には包帯が巻かれている。

「大丈夫か?」

そう言ったシンバを振り向いて見て、シンバの視線が自分の左腕にあると、ウルフは、

「・・・・・・まるで植物の根のようだった」

そう答えた。

「植物?」

「トルトって言ったっけ、あの化け物。トルトの思念は、まるで根のようで、俺の体に根が広がって行く感じで、全てを支配されて行くのがわかった。だから、今も俺はいつ俺でなくなるかと、怖いんだ」

「もうディスティープルのカケラはウルフの体にはないんだろう!?」

「でも根が残っている感じがする。だからシンバ、もし俺がおかしくなったら、クリムズンスターで殺してくれな?」

「何言ってんだよ」

真剣に怒るシンバに、ウルフは笑って見せる。

親方の小さな家の屋根の上で、マルメロがオペラグラスを覗き込み、空を見ている。

「おーい、天体観測もいいけど、そんなとこに登って落ちるなよー?」

シンバが声をかけると、

「あら、釈放されたの?」

と、言いながら、ハシゴを使って、下りて来た。

「ちょっと気になる事があって、明日の朝にはポスティーノに戻りたいわ」

「気になる事?」

「ええ、星の動きが、なんだかやっぱりおかしいの。帰って、本を読んで見直さないと、まだ何とも言えないけど」

「わかった、じゃあ、明日の朝、出発しよう」

シンバがそう言うと、マルメロは頷いて、またハシゴを登り、屋根の上で天体観測を始める。ウルフは、シンバを見て、

「俺達は休むか」

そう言いながら、家の中へ入って行った——。



朝、ウィードは、ディジーが一緒に行かないと知るとぐずり出した。

ポスティーノには、リュースに乗って行く。

親方がリュースに言い聞かしているのを、アルは黙って見ていた。

「あ、あの、ポスティーノの次はグリティカンに行くよう、言ってくれますか?」

シンバはアルの視線を気にはしていたが、それでも親方にお願いした。

「エリカさんの弟を成仏させに、グリティカンには行かなきゃいけないから、寄り道してられないだろ?」

と、何故か、シンバは無言のアルにそう言った。アルはシンバを見て、

「俺に言われても知らないよ」

と、冷たく返す。

アルにとって、龍使いとして未熟だと言われているようで、それが苛立ってしょうがない。

そして、リュースの背に、皆、乗る。

リュースは大きい。

懐かせるには大変そうだが、それでも一番大人しい龍らしい。

親方の話では聞き分けもいいと言う。

リュースが親方の命令に従い、皆を乗せると、バサバサと翼を上下に振り、空へ舞い上がる。フワッと宙に浮く感じがしたと思ったら、ブワッと一気に空を駆け抜ける。まるで風になったように——。

「うぉ! すげっ!」

と、シンバは1オクターブ高いはしゃいだ声を出した。

ウィードは怖くて、アルにしがみ付く。

アルはうっとうしそうに、しがみついてくるウィードを睨む。

マルメロはこんな時までオペラグラスを覗き見ている。

「太陽が近いな」

と、ウルフが眩しそうに見上げる。

リュースは大きな体が、重くないのか、優雅に空を駆ける。

高く舞い上がり、雲の上を滑るように行ったり、フワァッと急下降して、町を見下ろせる程、低く飛び、人が手を振ってるのが見えたり。

シンバが手を振り返すと、更に手を振ってくる人達。

「あの旗のマークはガータ城だ」

と、ウルフが指差した先には立派な城がある。

塔の天辺で旗が風で大きく揺れている。

世界は、広いなぁとシンバは思う。

こんな広い広い世界の中で、どれだけの人が何を想い、何を感じ、生きているのだろう。

トルトはその全てを支配すると言うのだろうか——?

やがてポスティーノの上空に着いた。

リュースは着地する場所を考えながら、ゆっくりと舞い降りていく。

ポスティーノの広場。

恋人達が愛を語り合ったり、親子が遊んでいたり、友人同士の待ち合わせ場所だったりする場所だが、誰もいない。

リュースはシンバ達を背から下ろすと、再び空に舞い上がった。

「なんだか静かだわ」

と、マルメロは辺りを見回し、呟く。

「郵便局ってどこ?」

と、シンバが聞くと、マルメロは、

「あっちよ、手紙でも出すの?」

と、尋ねる。

「いや、ちょっと気になるから、行って来る」

シンバはディスティープルの瓦礫がどうなったのか気になっている。

もう既に、この町にはないだろうと思うが——。

「待て、シンバ! みんなも動くな」

ウルフはそう言いながら、行こうとしたシンバの腕を掴み、

「・・・・・・囲まれてる」

みんなに聞こえる小さな声で呟いた。

「え? 囲まれてる?」

幽霊の気配など、全くしないと、シンバは安心しきった間抜けた顔でグルリと見回す。

すると、建物の影から出てきたのは、涎を垂らし、フーフーと呼吸を乱した人間達だ。

歩き方もヨタヨタと、ふらつきながら、近付いて来る。

「な、なんだ? 様子がおかしい」

そう言ったシンバに、ウルフが、

「凄いこっちを見てるし、殺気を感じる」

と、焦った表情。

「お、おにいちゃん、あの人達、悪霊じゃないの?」

ウィードは、首から下げてる指輪を握り締めながら、そう聞くが、どう見ても生身の人間。

「薬物反応かしら?」

と、まるで頭のおかしな患者でも見るような目で、マルメロは言うが、こんな多くの人間が、一体、何の薬を使ったというのだろう。

見れば、子供もいるし、女性も、男性も、老人もいる。

「ゾンビみたい」

と、怖い事を言い出す癖に、全然怖がってないアルに、

「ゾンビって、死者が肉体を持って生き返るって奴だっけ? それって経や聖剣が効く?」

と、尋ねるシンバ。

「さぁ?」

と、首を傾げるアル。

「冗談言ってる場合か? バラバラに散って逃げよう。お前等小さいから、アイツ等の脇や足の下を通り抜けられるだろ? シンバは授業で習った格闘術、得意だったよな? 襲って来たら、叩きのめせ! 剣は使うな? 殺人で、また牢獄行きになるぞ」

ウルフがそう言って、シンバを見る。

「じゃあ、郵便局で落ち合おう。みんな、いいか?」

シンバがそう言うが、ウィードはシンバの足にしがみ付き、

「怖いよ!」

そう言って、泣きそう。

「ウィード、ファング出せ! お前はファングについて行くんだ!」

「で、でも、おにいちゃん」

「大丈夫! ファングはお前の危険に敏感に対処してくれる。とにかく出せ!」

ウィードはシンバに頷き、ファングを指輪から出した。

流石、冥界へ送られ、冥界王までも退かせた魂、アルにもファングが見えるようだ。

「すっげぇ、お前、こんなデカい犬を飼い慣らしてたのか?」

と、こんな場面で、弾んだ声を出すアル。

シンバはファングの頭を撫で、

「子供達を頼んだ。得に不安がってるウィードはつけこまれる可能性がある。郵便局まで頼むな?」

と、言い聞かせる。

「おい、シンバ、そろそろ合図出さないと」

ウルフがそう言い、シンバは頷いて、ファングが駆け出した。それを合図に、シンバはウィードの背を押し、ファングの後へ続かせる。

マルメロもアルも、うまく交わし、駆け抜けるのを確認して、シンバとウルフも走り出した。襲って来る人の攻撃を交わし、習った格闘術で、相手の腹部にパンチを打ち込む。

だが、結構、きついパンチを放ったつもりだったのに、相手は倒れない。

相手が子供だろうが、女性だろうが、攻撃がまるで効いてない。

「な、なんなんだ、コイツ等は!」

焦るシンバに、

「とにかく、この場から逃げよう!」

と、ウルフが走り去る。シンバも、なんとか捕まらないように、攻撃を交わし、その場から走り抜けた。

広場を抜け、住宅街は静まり返っているが、家の中に人がいる気配はあった。

シンバが視線を感じ、見ると、家の窓から見ていた誰かが、ブラインドをバッと閉める。

他の家の人達も似た行動をする。見ると、見ていた癖に、サッと身を隠したり、カーテンを閉めたり。

「・・・・・・家の中にいる人達はマトモなのかなぁ」

どうやら、さっきの変な奴等が外でウロウロしている為、家から出て来れず、外にいるシンバを家の中からジロジロと観察しているようだ。

「あのぉ、僕はマトモなんですけど、何かあったんですか? さっき、僕、襲われたんですけど、僕を襲ってきた人達は、ここの町の住人ですか?」

誰に聞く訳でもないが、住宅街の道の真ん中で、そう大声で聞いてみるが、誰一人、家の中から出てくる者はいない。

シンバは仕方なく、皆と落ち合う郵便局へ走る。

途中、また変な奴に出くわすが、うまく交わし、郵便局に着くと、ウルフとウィードとアルが既にいたが、中から鍵がかかっていて、中には入れないと言う。

「なぁ? マルメロは?」

そう聞いたシンバに、

「遅いよな」

と、ウルフも心配そう。

「アイツ、自分のうちに戻ったのかも。僕、見てくるよ」

「なら、俺達はどこか窓が空いてないか、調べてみる。結局、大きな建物って郵便局しかないだろうし、万が一の為の避難所として必要だろ?」

そう言ったウルフに、シンバは頷く。

そして、シンバはマルメロの屋敷に向かって走る。

何故、町が一つ、こんな事になったのだろうか。

トルトが絡んでるのだろうが、こんなにも多くの人間をどうやって操ると言うのだろうか。

幾ら思念を飛ばせると言っても限界があるだろう。

それに限界を広げるとしても、そう短期間でチカラをつけれる筈がない。

とりあえず、今はマルメロの無事を祈るしかないと、シンバは猛スピード。

屋敷は相変わらずドーンと構えて立っているが、無用心に門も開いているし、扉も開いている。シンバは中にズカズカ入り、

「マルメローーーー!? いるのかーーーー!?」

そう吠えた。

誰も出て来ない変わりに、

「二階よー!」

と、声が聞こえた。マルメロの声だと、シンバはホッとする。

「お前なぁ! 勝手な行動する前に、一言なんか言えよ! 郵便局に集合って言ったら、まずは郵便局に行け! 心配するだろう!」

そう言いながら、階段を上り、上に辿り着くと、ドアが開いている部屋に入った。

本が沢山あり、マルメロは本を漁るように読んでいる。

「今、勉強してる場合じゃないだろう! お前も避難しないと! 屋敷には誰もいないみたいだから、一緒に郵便局に行こう」

「待って。あなたも見たでしょう?」

「ああ、お前が薬物反応かって言ってた奴等だろ? 見たよ。だから避難しようって」

「ここ迄、逃げてくる最中に、他にも同じ症状の人間達を見たわ。あたしを襲って来ようとした」

「ああ、多分、操られてるんだよ」

「操られてる? またそんな根拠もない事言わないで。あれはある特定の疾患もしくは病的変化を基盤として出現する一群の身体、精神症状だわ」

「は? 病気だとでも?」

「あれは原因の異なる疾患が同一の症候群を現しているわ」

「症候群?」

「・・・・・・見て。これは第2の月があった時の動物達」

と、マルメロは大きな本を開いて、見せてきた。

そこにはネズミが恐ろしい姿に変異した化け物が描かれている。

「よくわからないけど、第2の月の光が生物達の理性を破壊して、凶暴化させてたんだよな? でもパト博士が、第2の月を破壊するレーザーキャノンを作り、その第2の月の破壊後から数年後、生物達にも理性が取り戻され、平和が訪れたんだろう?」

シンバがそう聞くと、マルメロは頷いた。

「でも、あの理性のない人間達を見たでしょう? あれはティルナハーツを浴びたかのようだわ」

「ティルナハーツ?」

「今ある月の光と、第2の月の光が重なった2つの月の光の事。その光をティルナハーツと言うの。アイツ等はティルナハーツ症候群とでも言う感じね」

「だから昔にパト博士が第2の月は破壊したんだろう? それに、月の光は人間には無効化だって聞いた事ある。だから人間は滅びなかったんだろう?」

「いいえ、それは間違った情報だわ。本当は人間にも影響があったのよ」

「・・・・・・まさか」

「本当よ、一部の本には記されてる事なの。でも誰も信じないから、それは只の理論で終わってるけど」

「・・・・・・嘘だろ?」

「嘘じゃないわ。ティルナハーツに犯された人間は恐ろしく凶暴になり、やがて、自我を失い、全てを殺し、自滅さえ望む。あの強くて有名な英雄も、ティルナハーツ症候群の一人だって言う話もあるわ。英雄の強さは月の光のせいだって言う話よ」

「・・・・・・英雄は自滅したの?」

「さぁ? 英雄の最後なんて聞いた事ないから知らないけど、でも治す方法もあるの。それは優しさと愛——」

「・・・・・・なにそれ? 薬の名前?」

「そんな訳ないでしょう! だからあたしもお手上げなんだし!」

「いや、やっぱ有り得ないよ、だって月は破壊したんだから」

「パト博士が月を破壊する迄、国々の王との話し合いが何度もあったと言うわ。パト博士に賛成の国は多かったけど、反対の国もあったの。反対国の意見は、月を一つ破壊した場合の、この星の影響を考えたものだった。月をなくす事で、どんな影響が出るか、生物の凶暴化だけでなく、もっと恐ろしい事も起こるんじゃないかって意見もあったわ。パト博士は全く影響がないとは言えないが、今より恐ろしい事はないだろうと予測し、論を出し、国々の王に認めてもらおうと頑張ったけど、結局、全ての国が賛成をする事はなく、月は破壊すると決まったの」

「いや、だからさ、月は破壊されたんだろう? もう昔に——」

「黙って聞いてよ!」

「いや、だって、あ、うん、わかったよ、続きをどうぞ」

「月が破壊されて、動植物が大人しくなり、ティルナハーツ症候群がなくなったと思われたけど、その反面、ディジーの花を始めとし、様々な動植物が死に絶えたわ。ディジーの花は毒を吸い込み、綺麗な空気を吐き出し、世界中の生物達を救った植物だった。それがなくなってしまった。だけど、もう毒を吐く植物もいなくなり、パト博士は罪に問われなかった。それどころか、皆、パト博士には感謝したわ。平和な世界が訪れたのはパト博士のおかげだと。でもやっぱり反対してる人達もいたの。同じ学者達の中でもね」

「・・・・・・そうなんだ、僕はパト博士は素晴らしい人だと教科書で学んだよ」

「ガルボ村のエリアはぺージェンティスエリアに入るからよ。ぺージェンティスは賛成国だったから。反対国のエリアの村や町の人々は、パト博士を悪人のように言うわ」

「・・・・・・そっか」

「それに学者達もね、未だにティルナハーツの影響が強くて、それを失った動植物達が絶滅寸前で、保護されてるのも多くあるの。それを助ける為に、まだ研究は続いてる。中でも、第2の月の復活の論を、去年出した人がいたわ」

「月の復活? そんなのできんの?」

「論だから、実際に、できるかどうかはわからないけど、でも、衛星を作る事なら可能よ」

「衛星?」

「惑星の周りを公転している天体の事。それを創るのは可能よ。人工衛星って言って、この星の周りを公転させる機体。気象観測や科学観測などに使用できるわ」

「・・・・・・意味がちょっとわからないんだけど、それは気象観測や科学観測? とかに使うんだよね? 月とは違うんだよね?」

「月と同じ光を放ち、この星に届ける事も、論の上では可能だわ」

「・・・・・・そしたらどうなるの?」

「第2の月の誕生よ。今ある月の光と第2の月の光が重なり、ティルナハーツが、この星に届くの」

「そんなの誰も賛成しないだろう!?」

「今の所は論だけの事だわ。只、論の上では、生物が凶暴にならない程度の月の光を、この星に送り、絶滅寸前の生物が、また増える可能があるという話」

「ん? あれ? それって、いい事なんじゃん?」

「そうかしら、そう都合良くいくかしら。生物が凶暴にならない程度の月の光って、どれくらいのティルナハーツ? それにティルナハーツがなくなって、絶滅寸前の動植物達が、そんな少量のティルナハーツで再び、命が芽吹くかしら? それだけじゃないわ。そんなモノを創って、それを悪用する人もいるかもしれないじゃない? 多くのティルナハーツがこの星に注がれたら、この星はティルナハーツ症候群だらけの人で、全滅よ」

シーンと静まり返る部屋。

「でも論だけの事なんだろう?」

そう聞くと、マルメロはコクンと頷く。

「なら、大丈夫だよ、月の復活なんて——」

有り得ない、そう言おうとしたシンバは、

「その論を実際にやってのける人物はいると思う?」

そう言い直した。

「いないと思う」

そう答えたマルメロに、ホッとするが、

「いるとしたら、手におえない程の知力のある科学者ね」

そう言われ、シンバは嫌な心臓の速さを感じていた。

「でも、この町の人達はティルナハーツ症候群のようだわ。まさか反対国の研究者達が、この町を実験に使ってるんじゃないかって思うの。だってね、最近、星の動きがおかしいって言ったでしょう? 衛星が一つ増えるだけでも、星の動きは微妙に変わる。その衛星の輝きが、他の星にも影響する訳だから。もしかしたら衛星は放たれたんじゃないかしら」

「衛星って、創るのに時間かからないの?」

「かかるわよ。でも反対国の研究者達は、第2の月を何度も創っているって聞いてる。実際、賛成国の方が多い訳だから、本気でそれを放ったら、戦争になるかもしれないじゃない。ティルナハーツ症候群が現れる前に、戦争になったら大変だわ。それはどこの国の王もわかってるから、実際、放たないだけで——」

「・・・・・・でも、反対国の王を操れたら?」

「え?」

「・・・・・・なんか物凄い嫌な予感がする」

シンバはそう言いながら、床に開いたまま置かれている本を見る。

笑顔のパト・アンタムカラーの写真が載っている。

嘗て第2の月を破壊し、生物達に理性を取り戻させたと言われる人物。

その弟のヤーツ・アンタムカラーと言う人物がポスティーノという街を作った。

『私の部下であった男がポストという便利な機能を開発してくれていた御蔭で。あぁ、部下の弟だったかなぁ?』

そう言ったトルトの台詞。

そして、『私はね、究極生命体になる筈だった。だが邪魔されたんだよ』その台詞——。

「なぁ? この町を実験って言うけど、月の光って、この町だけ届けさせられる訳?」

「ええ、可能よ、人工衛星ですもの、こっちで操作できるわ。光を分散させずに、一点に集中させるの」

「だったらさ、なんで、外にいる僕等はおかしくならないの?」

「それは、まだちょびっとしか浴びてないから? 今、日中だし?」

「日中でも月の光は届いてるんじゃないの?」

「うーん、でも夜の方がティルナハーツは本領発揮するのよ! ・・・・・・多分ね」

そこら辺はあやふやな答え方のマルメロ。

「とりあえず、郵便局に行こう。ウルフ達が心配だし、お前も親が心配だろう?」

「うちの親は大丈夫よ、金に物言わせて、どこかで身を隠してそうだもの」

それはそれでどうなんだろうとシンバは苦笑い。

そして、二人で屋敷を後にし、郵便局に走る。

確かに、ティルナハーツ症候群かもしれないと思う症状の人々。

衛星は飛ばされたのだろうか——?

郵便局の扉はこじ開けられていた。

「アイツ等、無茶するなぁ」

と、シンバは呟きながら、マルメロと中に入る。

「おーい、ウルフー?」

広い郵便局内に、シンバの声が響く。

世界中から送られてきた手紙があちこちでバラバラに散らばっている。

「誰もいないみたいよね?」

と、マルメロは言うが、そんな筈ないとシンバは首を振る。

「誰かがいたから、扉が閉まってたんじゃないのかな、ウルフ達が扉を壊して中に入ったんだよ。きっと誰かいるだろうと思って、こじ開けたんだと思う」

言いながら、階段を上る。

「二階は?」

「ご相談窓口よ。幾らかかるとか、手紙が届いてないとか、そういう苦情受付でもあるの」

「へぇ、じゃあ、地下は?」

「地下は転送してくる手紙や小包をエリア別に分ける場所だと思うわ」

そんな会話をしながら、階段を上りきり、2階へ辿り着くと、そこには郵便局長の服を着た化け物が、ウニョウニョとした手のようなモノで、ウルフとウィードとアルに巻き付き、縛り上げている。

「な!? なんだあれ!?」

「面白い生き物ね、あれは触手かしら?」

「しょ、触手!?」

「捕食機能があるのかと思って」

「捕食機能!? ウルフ達を食う気なのか!?」

「知らないわよ」

「よく冷静だな!」

余りに平静なマルメロに言うと、

「失礼ね、さっきから驚いてるわよ! 見た事のない生命体に!」

と、マルメロは眼鏡をクイッとあげる。

化け物は触手が3本しかないのか、シンバ達まで襲って来ないが、ウルフ達が気絶しているのか、それとも何か吸い取られて、意識がないのか、わからない。

シンバはどうしようと、慌てながらも、クリムズンスターを抜く。

そして、触手に向かって飛び掛り、3本のウニョウニョを切り裂いた。

ぎゃぁぁと悲鳴をあげる化け物と、ドサドサと触手から解放され、床に落ちるウルフ達。

マルメロはウルフ達に駆け寄り、頬を叩いたりして、意識を確認している。

シンバは、化け物に向かってクリムズンスターを向けた。

「うぬぬぬぬぬ、その剣は我を切り裂いた憎っくきクリムズンスター! 忌わしき剣!」

「!? お前、トルトか!? トルトの思念体? いや、実体化しすぎてるな、もしかして、体にディスティープルのカケラの根をはってるんじゃないか!?」

「ふははははは、その通りだ、小僧!」

そう言って、郵便局長の制服をバリバリと破り、見せた体には、びっしりと根がはってあり、心臓部にカケラがキラリと光る。

「お前が町の人達を操っているのか!?」

「操っている? フッ、あんな者達はどうでもいいのだ、私の本体がこの世で究極生命体になる為に必要な事に勝手に反応しただけの事」

「・・・・・・2つの月の光」

「ほぉ、よく知っているな。ティルナハーツ復活の日まで近し!」

「この町だけにティルナハーツを放っているのか!?」

「この町など知った事じゃない。本体が究極生命体になれるかどうかの実験が行われただけだよ。見よ、私の体を! 究極生命体には程遠いが、ディスティープルのカケラの昔からの人々の思念を使い、その思念が時間を深め、ティルナハーツを何時間も浴びたかのように体に反応させる。そうしたら、このような体になるのだよ! 素晴らしいだろう!」

「・・・・・・いや、究極生命体ってそれなの? そうはなりたくないよ、僕は」

思わず、普通に突っ込みを入れてしまうシンバ。

それにしても考えたなと、シンバは舌打ちをする。

ディスティープルのように昔からある物体には、人々の想いが宿りやすい。

遥か遥か昔、誰かが、何かを想う思念が、物体に留まり、それが多ければ多い程の思念は時間を作る。

つまり、昔の想いと今の想い、それが層のようになり、その物体の昔と今を繋ぐ時間となっている。

ディスティープルのカケラは、遥か昔の人間達の思念が、瓦礫となり、博物館に飾られていた時に、今現在の誰かの思念が留まっていて、そのカケラには昔から今への時間が留まっていると言う訳だ。

その時間は恐ろしく長く、ティルナハーツをそれだけ長い時間浴びたかのように、生物の記憶に入り込み、思念を送り込んで、その体に反応させた。

そうする事で、化け物が造られたという事だろう——。

制服からして、普通の人間の郵便局長さんだったに違いない。

「おい! お前、ディスティープルのカケラを他にどこへ送り込んだ!? ディスティープルのカケラを持ってる奴の所にティルナハーツを放っているんだろう!?」

そう言ったシンバに、答える気はないのか、切られた短い触手を振り翳して来た。

シンバはそれを素早く避け、クリムズンスターで更に切り落とす。

ぎゃぁぁと悲鳴をあげる化け物。

意識を取り戻したウルフが戦闘に加わり、ムーンライトで別の触手を更に切る。

「ウルフ!」

「シンバ、お前は本体に止めを!」

そう言われ、シンバは頷き、触手3本をウルフに任せ、本体に駆け寄り、そして、飛び掛った! 化け物は悲鳴をあげ、クリムズンスターにより、斬り裂かれる。

そして、ディスティープルのカケラが床に転がり落ち、粉々になった。

その化け物となった体からフワリと現れた郵便局長さんの魂は普通の人の姿だった。

シンバとウルフは、魂が、あの世に無事、旅立てるよう、経を唱える。

この世に留まる事のないよう、悪霊にならぬよう、シンバとウルフは祈る。

逆にトルトの思念はクリムズンスターにより、斬られた事で、無となったのだろう、気配すら消え失せた。

マルメロは気味の悪い化け物の死体を見つめ、

「どんな強力なティルナハーツを、どれだけ長い時間浴びて、こうなるのかしら? 人の精神状態の他に、こんな化け物に姿を変えるなんて」

と、まるでサンプルでも見るような学者の顔。まだ子供の癖に——。

「なぁ、マルメロ、人工衛星だとさ、微弱な光から強力な光まで、コントロールして放てるんだよな? 物凄い強力な光だったら、こんな化け物に、みんななるのかな」

「そうね、なるわね。物凄い強力なティルナハーツなら。でも容姿がこんな風に化け物になるなんて、物凄い月日をかけての子孫へ変わる程の長い時間がなければ、無理な筈よ。だから不思議だわ、こんな化け物」

「外にいる人達、ティルナハーツ症候群? あの人達は、見た目は変わってない。それは多分、ディスティープルのカケラを持ってないからなんだ。精神状態だけ凶暴化してる。だから、あの人達を剣で切る事はできないし、あの世に送る事もできない」

そう言って、シンバは考え込む。

ウルフとウィードとアルは、ティルナハーツの話をマルメロから詳しく聞いている。

「問題はもう一つ、他にディスティープルのカケラをどこへ送ったんだろう、きっと、こうして、トルトは自分の思念を誰かにとり憑かせて、実験してるんだと思う。どれ程の強力なティルナハーツを浴びれば、どれだけ強くなれるのか。ディスティープルのカケラを送りつけた場所に、ティルナハーツを放ってるんだよ、他では放ってない筈だ、もし自分の知らない所で、強い生物が生まれたら困るからね。だからカケラを送った場所さえわかれば——」

言いながら、シンバはまた一つ、問題点に気付く。

「・・・・・・本体の宿り木は誰なんだ?」

その問題点は小さな呟きで、誰にも聞こえていない。シンバは思わず、ウルフを見てしまう。ウルフはそんな疑問を抱えて見られているとは思わず、シンバに、

「ティルナハーツ症候群に守護霊を憑かせるってのはどうだろう?」

と、提案して来た。

「守護霊を?」

「ああ。誰だって守護霊がいる筈だろう? あの世から守護霊を呼び寄せ、憑いてもらい、大人しくさせる。どうだろう? 全て解決する迄、そうするってのは?」

そう言ったウルフに、

「みんな、ファングみたいなのを持ってるの?」

と、ウィードが聞いて来た。

「いや、ファングはゴールデンスピリッツ。守護霊と似てるけど、また違う。守護霊って言うのは助けてはくれない。只、見守っているだけ。たまに、見守っていて、そっちへ行っては駄目とか、そういう気持ちが、この世の人間に届く場合もあって、偶然、そっちへ行かなくて良かったなんて事もある程度の事。それが守護霊。大抵、成仏してるから、あの世で見守ってるんだよ」

ウルフがそう言って説明をするが、ウィードは、

「ねぇ、どうして死んで直ぐ生まれ変わらないの?」

と、聞いて来た。

「生まれ変わるよ。だけど、生まれ変わるには長い長い魂の旅が必要なんだ。だから生まれ変わった時には、前世、自分が誰だったのか、何をして来たのか、全て忘れ、無垢なまま生まれる。だから前世、何者だったかなんて、神にさえ、見抜けない」

またウルフがそう説明するが、

「でもたまに前世が見えるって占いとかであるよ」

と、ウィードが言う。

「見える訳ないだろう? 長い長い旅が無駄になるじゃないか。もし見抜けるとしたら、自分自身だろうな。どこかで同じ事をした事があると感じる時、もしかしたら、それは前世の記憶かもね、デジャヴって奴」

そう言ったウルフに、ふーんと頷き、

「あの世には旅立たないで、留まってる人も一杯いるの?」

と、ウィードがまた尋ねる。

「いるんじゃないかな。でも結局は旅立つよ。あの世で、この世を見守ってて、きっと、またこの世に戻りたいって思うんだと思うよ。俺達の村に伝えられる数え歌があるんだ。シンバ、覚えてるか? 異界送り」

そう言ったウルフに、シンバは、異界送りという数え歌を思い出す。そして、

「ひとつ、一夜の命でも

ふたつ、二つ目の世界へと

みっつ、皆で送りましょう

よっつ、黄泉への道標

いつつ、いつかは世に帰る為

むっつ、無垢な魂に戻るまで

ななつ、泣く子も忘れ去る長い旅

ここのつ、ここには戻れない

とお、遠くに送られ遠くで見守り、遠くに生まれる」

シンバは歌って聞かせた。

「例え今夜限りで、命が終わっても、二つ目の世界、つまりあの世に送られるだけであって、またいつか、この世に帰って来る。その為には無垢な魂に戻る長い長い旅があり、それは泣く子も忘れ去る、つまり自分という存在が誰からも忘れ去られた頃じゃないと、この世には戻れない。それ程、遠くに送られるが、遠くから見守り続け、その後は、また生まれて来れても、誰も自分を知らない、自分さえ、誰だったかも知らない、そんな遠くに生まれて来るって言う歌だよ。わかるかな?」

ウルフが歌の説明をしてくれたが、ウィードは、首を傾げる。

「だから、あれだろ? あの世でちょっと一服して、暇つぶしに生きてる俺達を見てるんだよ。で、暇つぶしも飽きたから、そろそろ生き返るかって、生き返る為の旅に出るって事だろ?」

と、有り難味も何もない言い方をするアル。

まぁ、当たらずとも、遠からず、そういう事にしとけばいいかと、シンバもウルフも苦笑い。そして、シンバは、ウルフの提案を考えて、

「あの世から守護霊を呼び出すって事だよな? それで、町の人達にとり憑いてもらう。そうだな、いいかもしれない。もともとあの世に向かった成仏してる霊だから、協力してくれるだろうし、皆が正気に戻れば、とり憑いてるのを止め、勝手にあの世に戻ってくれるだろうし」

と、言いながら、頷いた。

「異界送りは簡単でも、呼び戻すのは難しいぞ? それにとり憑くよう交渉しないとな?」

そう言ったウルフに、

「あれ? できると思ったから提案したんじゃないの?」

と、聞き返すシンバ。

「できないと思っても提案くらいさせろよ」

「なにそれ。却下」

「却下できる程、選択の余地はない」

「なら、許可」

「なんだそれ、シンバ、お前、考えナシだろ?」

「考えるのはウルフの役目だろ」

「誰が決めたんだ、それ?」

「僕」

「それこそ却下だ」

「まずこの町に成仏できずにいる霊達の説得からだな」

「だな」

なんだかんだ言いながら、二人、床に剣で陣を描いている。

まずはこの町にいる霊達を説得する為の陣のようだ。

マルメロはまたくだらない事を始めたと、

「その儀式、いちいちやらなきゃ、次に進めないの?」

そう言いながら、眼鏡をクイッと上げて、溜息。

「あ、僕、これ知ってる、コックリさんだ」

床に描いた陣を見て、ウィードが言った。

「キューピッド様だろ?」

アルがそう言うと、

「エンジェル様でしょ? 深層心理とのコミュニケーションだわ」

と、マルメロが言い出した。

すると、シンバとウルフが、声を合わせて、

「これは浮遊霊様だ!」

そう吠えた。

「まぁ、簡単に誰でも書ける陣だからな、俺達みたいに霊と交信する為に、誰かが描いた陣を見て覚えた子供達が、真似して遊んでるんだろう。エリア事に子供のオカルト遊びとしてやってるんだよ、呼び方もそれぞれ違うみたいだし」

ウルフがそう言うと、

「危ないなぁ、そんな遊びして。お前達は真似なんかするなよ?」

と、シンバが言う。

「危ないの?」

ウィードが尋ねる。

「これは近くにいる霊を呼んで、その霊と交信する為の簡単な陣なんだ。その時、例えば、呼び寄せた霊が、近くにいる誰かに、とり憑いたら、その誰かの精神が、その霊と波長が合わなかったとしよう、そしたら、どうなると思う? 精神状態がおかしくなる。普通は波長が合わなかったら、とり憑いて来ないんだけど、呼び出されただけあって、気が荒い奴もいるんだよねぇ」

そう教えるシンバに、マルメロが噛み付いた。

「詐欺師! 嘘教えないであげて! いい? ウィード、さっきも言ったけど、これは深層心理とのコミュニケーションなの。確かに、この遊びをして気が違えた人がいるわ。それはね、些細なことに過敏に反応し、霊に憑かれたなんて思い込んで、呪われたと思い込んでいる心が精神異常を起こしただけの事なの」

「でも、コインが動いたりするよ? コックリさんが来たからコインが動くんだよ」

ウィードがそう言う。

どうやら、この遊びにはコインを使うようだ。

「それはね、誰もがコインに「動け」と思う状況の中、フラクチュエーションの揺らぎが発生し、それがトリガーになり、誰かが無意識にコインを動かし始めたら、次はそれがトリガーになり、他の誰かが無意識に動かし始めるだけの現象。そして、それはエンジェル様が来たということになるの。わかる?」

何を言っても、マルメロには全ての事に理由づいてしまう。

「コインなんだ? 俺、ペンだったよ」

と、アルが、そう言うと、ウィードが、

「ペンでもできるの? ボクんとこは10ゲルドコインなんだ、1ゲルドコインでも100ゲルドコインでも駄目なんだよ、10ゲルドなの」

と、言い、マルメロの話を聞いてない。

「俺達は剣だよ」

と、ウルフはムーンライトを鞘から抜いた。

「クリムズンスターも必要?」

そう聞いたシンバに、ウルフは首を振る。

「いや、ムーンライトでいいだろ? どうする? とり憑かれる役」

「ウルフやれよ」

「やだよ、当分、憑かれたくないし」

「トルトの事、気にしてるのか?」

「ちげぇよ、あれは只の不覚。今は浮遊霊如きに、俺の体を貸すのは嫌なだけだ」

「うわ、自信過剰。じゃあ、じゃんけん」

「マジかよ、シンバでいいじゃん」

「僕だって体を貸すのは嫌だよ、最初はグー!」

シンバがグーを出すと、思わずウルフもグーを出し、じゃんけんに参加。

「あいこで、しょっ! しょっ! しょっ! あ、きったねー、後出し!」

シンバがそう言って、怒るが、ウルフはベッと舌を出し、

「俺の勝ち」

と、後出しで勝ったチョキでピースして見せる。

「あーあ、僕が憑かれ役かよ」

シンバは諦めてそう言うと、文字がズラッと並ぶ陣の、上に座禅を組んだ。

「浮遊霊様が入ってこれるように、北向きの窓を開けて」

と、ウルフが言うので、ウィードが、窓を開けに走る。

陣に鳥居のような絵が描かれた場所に、ウルフは剣を置く。

そして、シンバとウルフが、詠唱する。

「浮遊霊様、浮遊霊様、おいでになりましたら、北の窓からお入りください」

それは本当に簡単な言葉で、子供達の遊びとなるのがわかる。

「浮遊霊様、浮遊霊様、来ましたら、ハイの方へ剣を動かしてください」

何度かそう詠唱すると、剣がズズズッと音を立て、床を勝手に這い出した。

「うわ、うわ、うわ、ほら、手とか使ってないのに、動いてるよ」

そう言うウィードに、

「何かトリックがあるのよ。こんな演出して馬鹿じゃないの」

と、マルメロはフンッと鼻息を出し、眼鏡をクイッとあげる。

剣が、陣の中にハイと言う文字の場所に辿り着くと、

「浮遊霊様、浮遊霊様、あなたはこの町の中で一番強い霊ですか?」

と、ウルフが詠唱する。

剣は陣の中にイイエという文字に辿り着く。すると、

「浮遊霊様、浮遊霊様、有難う御座いました、北の窓からお帰り下さい」

と、ウルフは霊を帰した。

そして、またシンバとウルフは同じ言葉を詠唱する。

「浮遊霊様、浮遊霊様、おいでになりましたら、北の窓からお入りください」

何度か同じ事を繰り返し、

「浮遊霊様、浮遊霊様、あなたはこの町の中で一番強い霊ですか?」

と、ウルフが詠唱した時、剣がハイという文字で動かなくなった。

「浮遊霊様、浮遊霊様、あなたの名前を教えて下さい」

ウルフがそう言うと、剣は、陣の中の文字を彷徨う。

そして、剣が、ひとつの文字に辿り着くと、止まり、また、次の文字へと動き出す。

全ての文字を繋ぐと——

「トライス・バーニー。それがあなたの名前ですか?」

ウルフが尋ねると、剣はハイの文字へと動いた。

今度はシンバが、

「汝トライス・バーニーに願いたい。我が名はシンバ・ジューア。我が体に入り、この世の者と話をせよ」

と、座禅を組み、瞳を閉じたままで、呟くように言い出した。

「まだ新しい霊だ。無茶しかねない、気をつけろ、シンバ」

小さな声で、ウルフがそう言うと、シンバはそのままの姿勢で、コクンと頷いた。

「トライス・バーニー?」

ウィードが、霊の名を呟いた——。

『チッ! クソガキ共めが、呼び出しておいて、何の話だ!?』

シンバの口から、シンバの言葉ではない台詞が飛び出した。

「トライス・バー二ー?」

ウルフがシンバに向かって尋ねる。

『ああ、そうだよ、何か文句あんのかよ』

「あなた、最近、亡くなった霊ですよね? まだこの世にハッキリ残る気を感じますから。なのに、本当にこの町の中で一番偉い霊なんですか?」

『悪いかよ!』

「悪くはないですけど」

『この町の奴等なんて、生きてる奴も死んでる奴もボーっとしてる連中ばかりだからよ』

「では、この町の生きている住人達がおかしくなってるのは知ってますよね?」

『ああ、知ってるよ』

「協力してもらえませんか?」

『なんで?』

「俺達があの世から守護霊を呼び出し、おかしくなった人達にとり憑いてもらいます。あなた達、町に住んでる浮遊霊達は突然、あの世から戻った霊達が気に入らないかもしれませんが、手出ししないでほしいんです」

『いや、だから、なんで協力しなきゃなんねぇんだよ』

「協力してもらえますよね?」

『いや、だから——』

「このまま無にしてもいいんですよ」

ウルフは冷酷な声で、そう脅す。

『チッ! だがな、浮遊霊はともかく地縛霊の連中がなんて言うか——』

「説得して下さいよ、その場所に縛られてる連中なんか、簡単でしょう?」

『簡単って言うが、アイツ等の方が、怨念が強いんだぜ!』

「この町の奴等なんて、生きてる奴も死んでる奴もボーっとしてる連中ばかりなんでしょう? そんなあなたにとって、説得するくらい簡単でしょう?」

『チッ! 説得できなかったら? もしくは断ったら?』

「無にします」

『・・・・・・わかったよ!』

やっと頷いた答えが聞けた矢先、ウィードが、

「ねぇ! なんで死んだの!?」

突然、そう聞いて来た。

「お、おい、儀式の途中だぞ?」

そう言ったウルフの事など、お構いなしに、

「ねぇ! なんで死んだのさ?」

また勝手に尋ねるウィード。

『一緒にいた女に殺されたんだよ』

その答えを聞くと、ウィードは黙り込んだ。

ウルフは、

「トライス・バーニー、その者の体から離れ、陣に戻れ」

と、強い口調で命令する。

儀式の途中、誰かが横入りし、それに答える事は、危険が生じる。だが、トライス・バーニーはウルフの強い口調に舌打ちをし、大人しくシンバの体から抜けると、陣へと戻り、

「浮遊霊様、浮遊霊様、有難う御座いました、北の窓からお帰り下さい」

と、その言葉通り、帰って行った——。

次はあの世から守護霊を呼び出し、ティルナハーツ症候群達にとり憑いてもらう事。

シンバとウルフは、また違う陣を床に描く。

今度は小難しい陣だ。

あの世から見守っている為、協力してくれるならば、陣から守護霊達が現れてくれる。

シンバとウルフは陣の左右に別れ、そこに座禅を組み、経をあげた。

マルメロには見えないが、ウィードやアルには目に見えて、陣が光り、沢山の霊達が溢れ出てきていた。

どの霊も穏やかで、優しい笑みを持っている。

この町の者達を、あの世から見守っていた守護霊達。

シンバとウルフの経に癒されながら、ティルナハーツ症候群達に、とり憑く為、やはり北の窓から外へ飛んでいく。

この町の者を見守っていた訳ではないが、手を貸してあげようという霊達も来てくれた。

成仏して、あの世にいる霊は穏やかで、優しい——。

全ての事が終わると、すっかり日も落ちて、夜になっていた。

「なぁ? 月の光、大丈夫か?」

ウルフがそう聞く。

「もうこの町にはティルナハーツは放たれてないよ。実験が終わったから。無駄なエネルギーは使いそうにない」

と、シンバが答え、ウルフは頷いて、窓から顔を出し、外を眺めた。

守護霊にとり憑かれた人々は凶暴な精神を封じられ、表に出て来れない。

「トルトを探し出して、元に戻すようにしないとな。それまでは、この町は霊に憑かれた人ばかりだな」

と、笑うウルフ。

「さて、腹減ったな、何か食いに行こうぜ?」

「シンバ、お前はバカか? 今直ぐに店なんかやってないだろう? まだ人々が凶暴かもしれないと、誰も家の中から出て来ないよ。それにもう夜だ、やってたとしても店じまいしてるよ」

「えー! 腹減ったぁー!」

「ガキ共が我慢してるんだから、我慢しろよ!」

ウルフにそう言われ、シンバは唇を尖らし、拗ねる。

「でも確かにお腹空いたわよね。うちの冷蔵庫に何かあるかもだわ。見てくる」

マルメロがそう言って、行こうとし、ウルフが、

「なら、俺も手伝うよ」

と、マルメロについて行く。

「あ、俺も行くよ! ウィードも行こうぜ?」

と、アルがウィードを誘うが、ウィードは疲れたのか、首を振り、その場に座り込んだまま、動こうとしない。

「僕とウィードは待ってるよ、食料調達、よろしく」

シンバがそう言うと、アルはオッケーとマルメロとウルフを追った。

「ウィード? どうしたんだ?」

「・・・・・・おにいちゃん」

「うん?」

「おにいちゃんの体に入った幽霊——」

「トライス・バーニー?」

「おにいちゃん、自分の体を操られても自分の意識あるの?」

「あれは操られたんじゃないよ、僕の体を一部貸しただけだよ。だから座禅したまま動かなかったろ?」

「そうなんだ・・・・・・」

「トライス・バーニーがどうかしたのか?」

「あのね、ボクのお母さんと出て行った男と同じ名前なんだ・・・・・・」

「え? マジで?」

「うん・・・・・・」

不安げに頷くウィードに、シンバは言葉が見つからない。

「でも、お前、なんでお母さん?」

「え?」

「ママって呼んでたろ?」

「あ、悪霊の時? あれは、やっぱりお母さんじゃないの無意識に気付いてて、だから無意識に違う呼び方で呼んでたんだと思う・・・・・・」

「そっか」

また言葉が見つからず、黙り込むシンバ。

「おにいちゃん、お母さん、あの男を殺して、今、どうしてるのかな?」

「・・・・・・うーん、逃走中?」

「お母さん、捕まったらどうなるの? どっかの国の兵士に捕まるの?」

「ちょっと待てよ、落ち着けって。同姓同名の男って事もあるし、本人だったとしても、正当防衛かもしれないだろう? 罪になるか、ならないか、まだわからないし」

「・・・・・・でも、人を殺したら罪になるよ」

「でも、あの男の死体は見つかってないかもしれないだろう? 見つかったとしても、事故という事になってるかもしれないし、あ、男がいないんだったら、お前に会いに行ってるかもしれないよな?」

「それはないよ」

「なんで?」

「ボクに逢いに来てくれやしないよ」

「・・・・・・じゃあ、こっちから探すしかないな。元々、お前は母親を探す為に、僕と一緒に来たんだもんな。母親の名前なんて言うんだっけ?」

「ネモフィラ。ネモフィラ・リアカーディ・ナルス」

「・・・・・・え?」

「長いよね、だからネモって相性で呼ばれてた」

「・・・・・・セカンド、もう一度」

「リアカーディ・ナルス? なんかミドルネームが入るんだ」

「お前、ウィード・リアカーディ・ナルスって言うのか?」

「そうだよ? あれ? 知らなかったっけ?」

知らなかったも、何も、聞いてないとシンバは首を振りながら、アダサート城下町の教会を思い出していた。教会にある隠し部屋を——。

『あれは月のモンスターと言うらしい。満月の色に似た瞳をしていただろう?』

隠し部屋の壁に飾られた絵画について、そう言ったエクソシスト。

アルファルドと絵の隅に記されている、その絵は赤い髪にシルバーの瞳をした男。

『呪われた女に育てられたと言われ続けて、ここを出て行ってからは一度も訪れなかったそうだ。『ローべ・リアカーディ・ナルス』この教会の懺悔室の名称となっているが、その女の名前だったと言う話だ。リアカーディ・ナルス、ミドルネームも入っておるセカンドだ、珍しい。この名前を持った者がいたら、恐らく、女に育てられた子供の子孫だろうなぁ』

エクソシストが言った台詞がシンバの脳裏でリピートされる。

『男が持っていた剣の柄に入った赤い石をくり貫いて作ったリングだそうだ、女が子に持たせたと聞いている』

シンバはウィードの首から下げられた指輪を見る。

ファングの宿る赤い指輪。

「どうしたの? おにいちゃん?」

ウィードが妙な顔のまま固まっているシンバを心配そうに見上げる。

「おーい、ハムとパン持ってきたぞ!」

と、アルが階段を駆け上って来る。

「ハムとパンだって! なんか、おにいちゃんに話聞いてもらったらホッとして、お腹すいて来ちゃった! ボクは一人じゃないもんね!」

と、ウィードは笑顔で、アルに駆けて行く。

アルも笑顔で、ウィードと話す。

シンバはウィードとアルを見ながら思う。

出逢ったのは、偶然ではなく、運命だったのではないかと——。

「シンバ?」

ウィードとアルを見つめているシンバに、ウルフが声をかける。

「あ、なんかぼんやりしてた。外はどうだった?」

「あぁ、もう大丈夫、凶暴な奴はいないよ」

「そっか、じゃあ、少し外の空気吸ってくる」

「え? 腹減ってたんだろ?」

「うん、残しといてよ」

そう言って、シンバは一人、外へと出た。

何を考える訳でもない、只、トボトボと歩き、広場へとやって来ていた。

ぼんやり、夜空を見上げる。

「クオーーーーー」

その鳴き声と共に、空から舞い降りたのはバブル。駆け寄ると、

「手紙?」

シンバに、咥えている手紙を差し出して来た。開けて、読むと、勿論ディジーからだ。

『シンバ、何してる? 私は兵士達の教育をやり直す提案を王に話したの。それからルピナスには小さな教会があるけど、神父を雇っていないの。だから聖職者を雇うべきだって訴えてるの。なかなか聞いてもらえないけど、父様には任せておけないもの。エリカさんも手伝ってくれてる。エリカさんと言えば、シンバ達が旅立ったのを知らなくて、驚いてたよ。それから、ディジーの花の押し花。シンバにも香りが届きますように——』

手紙の隅に押し花が貼られている。

シンバは手紙が入っていた封筒を更に開けて、中に入っている空気を吸い込む。

「香りは・・・・・・しないなぁ・・・・・・」

そんなシンバに、バブルはクオッと首を傾げた。

「あ、お前、ちょっと待ってろ? 今、返事書くよ」

と、シンバは何か書く物を捜す。そんなシンバに、

「クオッ、クオッ」

と、バブルは紙とペンを咥えて渡す。

「・・・・・・用意いいね? どこに持ってたの?」

どうやら、シンバが返事を書くと言ったら、渡すように言われ、紙とペンの入った袋を足の指に引っかけて持たされて来たようだ。

シンバは今日の出来事を書く。

文章を書くのは苦手だが、想いが伝わるよう、考えながら書く。

たまに空を見上げたり、ぼんやり一点を見つめたり、ペンの先を噛んだり、頭を抱えたり、まるで難しい勉強をしているかのように、シンバは手紙を書いている。

最後に手紙の端には、押し花の御礼に、今日の空に浮かぶ三日月の絵を書いた。

そして、バブルに手紙を渡す。

「じゃあ、頼むな?」

シンバがそう言うと、バブルは、

「クオーーーーー」

と、鳴き、空に舞い上がった。

バブルが空の彼方に消えるまで、シンバは見上げていた。

夜風が、シンバの髪を撫でていく——。

一つ、一つ、解決して行こう、大丈夫、何も怖くない——。

シンバは自分に言い聞かせるように、『大丈夫』と言う言葉を心の中で何度も唱えていた。

何も怖くない、怖くない——。

恐怖で浮かぶのは、トルトでも化け物達でもなく、アルファルドのポートレートと、アルの笑顔——。



次の朝、シンバが、

「パト博士が第2の月の破壊を提案した時の反対国が、今も尚、第2の月の復活に研究を重ねてるらしい。その反対国のリーダーとなる国の王の所にトルトの本体はいるに違いない! その国はタルナバ。だから、そこへ行こう!」

と、言ったにも関わらず、リュースは、グリティカンへ、皆を運んだ。

「誰がグリティカンだっつったよ!」

と、アルは怒るが、最初に親方がポスティーノとグリティカンへ行くよう命じたのだから、仕方ない。

「とりあえず、エリカさんの弟の魂を成仏させとくか」

と、ウルフは苦笑い。

町は妙な臭いが漂っている。

整備工場のオイルの臭いだろうか、焦げ臭いような臭いも混ざり、頭が痛くなる。

まず、シンバ達は、エリカの家を捜す事にした。

「エリカ・アセルギウムだったよな? 弟は事故で亡くなってて、名前をエルムだっけ? 父親は電子工学者で、エルムの死後、寝たきりとなり、妙なうわ言を言うようになった。そして町は自然発火事件が起きていた。それがエリカさんの父親が弟のエルムのいる黄泉へと、皆を送ろうとしていると言う噂がたち、燃やされる前に燃やせと、家を燃やされたんだったよな?」

そう言ったウルフに、シンバは感心する。

「流石、凄い記憶力」

と。

マルメロがそこ等にある変な丸い形のモノを指差し、

「随分と、消火ロボが設置されてるわね」

そう言った。

「消火ロボ?」

シンバが尋ねると、

「あなた達の村にはないの? まさか今時、消火器とか言わないでしょ?」

と、眼鏡をクイッと上げ、シンバとウルフを見て、マルメロは言った。

「消火器?」

シンバが今度はウルフを見て、そう尋ねると、ウルフは苦笑いしながら、

「うちの村は消火器もないよな、火事になったら、川から、みんなでバケツリレーだよ」

と言った。

「んまぁ!!!!! なんて所なの!? それで人が住めるの!?」

と、マルメロは信じられないとばかりに驚く。そして、消火ロボの説明を始める。

「これはね、火を消すロボットなのよ。結局、消火器があっても、人は火に驚いて、いざと言う時に消火器を使えなかったりするの。その点、このロボットはね、設置しておけば、火が出た時に、煙や熱に反応して、自動的に動いて、水を噴出して、火を消してくれるの」

「へぇ、便利なもんがあるんだなぁ? なぁ? ウルフ?」

と、シンバが言うが、ウルフは、

「俺は一応、知ってたよ。シンバ、お前といると、俺まで、物を知らない奴と疑われるから、俺に問い掛けるのはやめろよ」

と、シンバに呆れ口調。

「でも、どうして1メートルもしない場所に、こんなに消火ロボを設置してるのかしら? 煙草のポイ捨てくらいじゃあ、反応しない筈だし、何の防止にもならないと思うけど」

マルメロは沢山設置してある消火ロボに疑問を抱く。

「そりゃ、やっぱ自然発火があるからじゃねぇの?」

と、シンバが言うと、マルメロは珍しくシンバの意見に頷いた。

「あれ? おにいちゃんの意見に頷くの? 自然発火なんて、そんなの有り得ないとか言わないの?」

と、ウィードはマルメロの顔を覗き込んで、具合でも悪いのかと、顔色を見て言った。

「あら、自然発火は有り得るわ。この町は得にね。この町のニオイでわかったわ、工場のオイルなのかしら? ガソリン? そういうニオイが充満してて、頭が痛くなる感じ。ガソリンや灯油のような炭化水素を、密閉して空気と混合して、温度を上昇させると、火花プラグや種火などの着火源がなくても、自然に火がついて、燃えるのよ。不思議な事じゃないわ。この町が密閉されてる訳じゃないけど、たまに起こる現象としてアリでしょう」

と、完璧な回答をしたとばかりに、マルメロは勝ち誇った顔。

「そうかな、確かに、たまに起こる事はあるかもしれないけど、たまに起こる現象で、この消火ロボの設置数は異常だろ?」

と、ウルフが突っ込む。

「だから自然発火がたまにじゃなくて、頻繁に起きてるんじゃん?」

と、アルが言うと、

「自然発火が頻繁に起きる訳ないでしょう!」

と、マルメロが怒る。

「とりあえず、エリカさんの家だった場所を探そう。みんな手分けして、いろんな人達から情報を集めよう」

そう言ったウルフに、

「なんか面白そう」

と、ウィードとアルがはしゃぎ出す。

「全く子供なんだから」

と、眼鏡をクイッと上げるマルメロ。そして、

「じゃあ、僕はこっちへ行ってみるよ」

と、手を上げて、行こうとするシンバ。そんなシンバを追いかけ、来たのはウルフ。

「待てよ、シンバ」

「ん?」

「お前の仲間なんだぜ? 忘れるなよ?」

「は?」

「アイツ等だよ!」

と、ウルフが指を差した先には、ウィード、マルメロ、アルの姿。

「ん? え? 何が?」

きょとんとした顔で、シンバはまたウルフを見る。

「・・・・・・お前はいつもそうだよ。俺を仲間に入れといて、後は知らん顔でさ」

「え?」

「お前のそういう所、すっげぇ、むかついてた」

「ウルフ?」

「この際だから言わせてもらうけど、俺はお前の仲間なんかじゃないんだからな!」

「え? な、なんで怒ってんの? あ、ああ、わかった、龍に乗る順番が気に入らないんだな? 次はウルフがアルの後ろでいいよ?」

「・・・・・・言ってろ」

「え?」

「ずっとそうやって俺をバカにした台詞言ってろよ」

「バカになんかしてないよ!」

「お前なんか、簡単に追い抜いてやる。お前が俺をバカにしてる間に、俺はお前なんかが手の届かない場所に行って、絶対に、俺の所になんか来させないからな。お前は俺を呼んどいて、気分いいのかもしれないけどな、俺は絶対に、お前なんか呼んでやんない!」

「何の話だよ? てか、何怒ってんだよ?」

「だから俺はお前の仲間じゃねぇって言ってんだよ!!!!」

ウルフは苛立って、そう怒鳴ると、シンバを睨みつけ、反対方向へと歩き出した。

「お、おい、ウルフ?」

ウルフの背に呼びかけるが、ウルフは振り向いてはくれない。

ふと、昔を思い出した。

クラスの数人でグループを組んで、あの世との交信をする実験の時だった。

——僕は数人のグループの中にいたっけ・・・・・・。

『ウルフも呼ぼうぜ!』

『え、アイツ呼ぶの?』

『ウルフいた方が絶対に成功するって!』

『うーん、シンバがそう言うならいいよ』

『おーい、ウルフ! こっち来いよー!』

そう言って、ウルフを呼んだ後は、実験の全てはウルフがやってくれていた。

僕は、ノートに実験の様子を書き込んだだけだった・・・・・・。

その時のレポートは優秀で、僕達のグループは先生に偉く誉められた。

『シンバの言う通りだな、ウルフ呼んで正解!』

『だろ? なんてったって、ウルフは頭いいしさ』

『ウルフいた方が絶対に成功するって、シンバの意見に従って良かったよ』

『え?』

『まぁ、利用できる時はしないとな』

そうじゃないと、言葉が出なかった——。

「なんで、僕、あの時、言葉が出なかったんだろう」

ふと思い出した過去に、ふとした疑問——。

「でも、でもさ、ウルフ、お前、ひでぇよ・・・・・・」

もうウルフはいないが、シンバはウルフが言った方向に、そう呟く。

——あの時もそうだった。

あの時も——。

『なぁ、ウルフくーん、ここわかんないんだけどさぁ、教えてくれよー』

『レポートは良くてもテストが駄目だったら、意味ないしさぁ』

と、一緒のグループだったみんながウルフに寄って行く。

ウルフは、笑顔で、みんなの質問に答えてたかと思うと、僕に、

『アイツ等はお前の仲間だろ!?』

と、何が気に食わないのか、怒って来た。そして、アイツは、

『勘違いするなよ、俺はお前の仲間じゃない』

そう言い放った——。

結局、誰も、ウルフの言動がわからなくて、やっぱりウルフは孤立してしまう。

だけど、僕はウルフを仲間だと思っていたよ——。

「仲間じゃないとか言うなよ、ひでぇよ、僕は仲間じゃないの? 仲間だろ・・・・・・?」

なんだか悔しくて涙が溢れ出た。だが、直ぐに腕でグイッと拭き取り、鼻をズズズッと吸い、顔を上げて、上げた瞬間、シンバは驚いて、後ろへ仰け反り、尻餅を着いた。

「オマエ、コノ町ノ人間ジャナイナ?」

「しゃ、喋った!?」

「・・・・・・静カ二シロ」

「あ、そ、そういうもんなの? 消火ロボって喋るもんなの? へ、へぇ、画期的だなぁ」

「アホダロ、オマエ」

と、シンバに駄目出しをするのは、消火ロボ。

半径15センチくらいで、まん丸い形をして、シンバの頭上辺りで、宙にフワフワと浮いている。機械的な見た目に、機械的な音声。そして、人間みたいな口調——。

「えっと、あの、わかんないだろうけど、エリカ・アセルギウムって人が住んでた場所とかわかる?」

初めて見る動くロボットを目の前に、何を話していいのか、わからずに、シンバは道を尋ねてみる。気が動転していて、アホダロと言われた事に怒る気もない。

「エリカ? オマエ、エリカ知ッテルノカ!?」

「え? 嘘、知ってるの? しかもエリカって呼び捨て!? 凄いな、消火ロボ!」

「ダカラアホダロ、オマエ! 消火ロボガ喋レルノハ、『火ヲ発見!』『消火シマシタ』『任務終了!』クライダゾ。ソンナモンモ知ランノカ?」

「あ、じゃあ、キミは消火ロボの中で一番偉いボスなんだね?」

「アホモ大概二シロ!」

ロボットに突っ込まれるシンバ。そしてどうしていいか、わからずに、焦っているシンバ。

「マァ、オマエハワカラントオモウガ、オイラハ、コノ消火ロボ二トリ憑イテイルンダ」

「ん? とり憑いてる?」

「ソウ。オイラハ幽霊ナンダ。オット、取リ乱スナヨ?」

「・・・・・・なんだ、それなら得意分野だよ」

と、シンバの顔が余裕の笑顔になる。

「はぁ、なんだぁ、僕はまたロボットに話し掛けて来られたと思って、焦ったよぉ。なんだぁ、幽霊がとり憑いてるだけかぁ」

「普通ハ、ロボット二話シ掛ケテ来ラレル方ガ焦ラナイト思ウガ・・・・・・」

「キミ、エルムだろ? エリカさんの弟の」

幽霊とわかった途端、冴える直感。

「ナ!? 何故ワカッタ!?」

「あ、やっぱり? 僕はガルボ村から来たんだ。エリカさんに、キミを成仏させてほしいって言われて、グリティカンに立ち寄ったんだけど、いやぁ、会えて良かった」

「エリカハ!? 今ドコニ!?」

「今、ルピナスで王女やってる」

「王女ーーーーーーーー!?」

「そんな驚く?」

「ダ、ダッテ、エリカ、アルビノダゾ? 体弱イゾ?」

「うん、なんか綺麗だから、王女になったみたい」

「綺麗ダカラーーーーーー!?」

「いちいち、凄いリアクションで驚くね。キミは、エリカさんの弟なんだろ? お姉さんが心配で成仏できずにいるの?」

消火ロボと話しているシンバは、通りすがる人達には変に見えるのだろう、皆、シンバをジロジロと見ながら、通り過ぎていく。

「弟ッテ言ッテモ、双子ノ弟ダヨ。エリカハ、生マレツキ、アルビノデ、体ガ弱カッタカラ、イツモ、オイラガ守ッテヤッテタンダ」

「キミは双子でもアルビノじゃなかったの?」

「オイラハ、アルビノジャナイサ。ダカラ、家ノ中デ、イツモ静カ二過ゴシテルエリカヲ、オイラハ、守ッテヤッテタ」

「そうだったのかぁ。エリカさん、言葉遣いもおしとやかだったしなぁ。自分の事も『わたくし』とか言ってたし。物静かなイメージだったな、そういえば。いやぁ、その前のエリカさんの姿してた奴がさ、なんだかんだ行動力ある奴でさ、でもすっげぇいい奴でさ、お前こそ、本当に閉じ込められてたのか?ってくらい、人の為に行動しまくる奴だったんだよ。だから、そのイメージ強くてさ」

「何ノ話ダ?」

「あ、ああ、いや、なんでもない」

「トコロデ、オイラヲ成仏サセレルノカ?」

「ああ、これでも経くらいはあげれる」

「ナラ、化ケ物ヲ、何トカシテクレ」

「化け物?」

「炎ヲ操ル化ケ物ガイル」

「・・・・・・炎を?」

「オイラガ・・・・・・オイラガ、冥界ノ扉ヲ開ケテシマッタンダ」

「え?」

「兎二角、コノグリティカン二イル、イフリートヲ何トカシテホシイ!」

どういう事だと、シンバは首を傾げた時、消火ロボの少しばかり開いたパーツの機械構造となった中に、光る何かを見つけた。それは、ディスティープルのカケラ。

「お前! その機体の中身、ディズティープルのカケラの根が張ってるんじゃないか!?」

シンバは思わず、消火ロボをガシッと掴んで、聞いた。そして、機体の中を見せろとばかり、表面のパーツを剥がそうとする。

「ヤ、ヤメロ! オイラハ、正気ダカラ!」

消火ロボの、その台詞は嘘には聞こえず、シンバは手を離した。

「・・・・・・なぁ? 事の始まりから話してくれないか?」

「・・・・・・オイラハ、10年前二死ンダ」

「十年前? てことは、エリカさんが僕と同じ17歳として、7歳の時にか?」

「ソウ。オイラハ、生キテイレバ17歳。デモ死ンダカラ、7歳ダケド」

「事故って聞いたけど?」

「事故・・・・・・ダッタノカモシレナイ。オイラノ父サンハ、電子工学者ダッタ。オイラハ、父サンノ後ヲ継グ者トシテ期待サレテイタ。期待二応エル為、オイラハ、頑張ッテ勉強ヲシテイタケド、電子工学ナンテ、難シクテ——」

「そりゃそうだよな、僕も電子工学なんてよくわかんないよ。電子工学って何?」

「ソコカラ!? ソコカラナノ!?」

「ごめん、そこから教えて?」

「電子工学トハ、電磁気現象ヲ応用シタ工学ノ一分野デ、電子ノ振ル舞イ、得二、電子管、半導体素子ノヨウナ能動素子ノ扱イヲ体系化スル事ガ特徴ダ。電子工学ノ知識ハ、電子ヤ電磁場ヲ操作シテ、制御ヤ情報処理、電力ヲ変換、送電スル為ノ危機二応用サレテイル」

「・・・・・・は? 教えてもらっても、更にわかんないんだけど」

シンバは、参ったなと、マルメロがいればなと思う。

「電子工学ノ発展二ツイテ話ス」

「へ? まだ続くの?」

「電気通信ッテワカルカ?」

「電気通信?」

「電気通信ヲ通ジテ、音声、映像、データー等ノ情報ヲ伝送路ヲ通ジテ送ル」

「へぇ」

「ソノ電気通信ノ出現ト共二電子工学ノ発展ハ重要ナモノトナッタンダ」

「へぇ」

「電子ハ、宇宙ヲ構成スル素粒子ノ一ツダ。ソシテ生物ノエネルギーノ元トナル魂ハ、電子二、トテモ似テイル」

「へぇ」

「最モ、魂ト似テイルナド、死ンデカラ知ッタ事ダケドナ」

「へぇ」

「オマエ、何回ヘェッテ言ウ気ダ? チャント聞イテルノカ?」

「何か、難しいの苦手で」

と、シンバは苦笑いで頭を掻く。

「オイラモダヨ、オイラモ、ソレヲ理解スル迄二、今迄カカッタ。ツマリ、オイラハ死ンデカラ、理解シタッテ訳ダ。幾ラ勉強シテモ、ワカラナクテ、デモ期待サレテルシ、オイラガ頑張レバ、エリカモ喜ブシ、エリカ二ハ、笑顔デイテ欲シクテ、エリカノ笑顔ヲ守ラナクッチャッテ。ソシタラ毎日ガプレッシャーデ、オイラハ、ドンドン心ナイ奴二ナッテ行ッタ。嫌ナ奴ダッタ。デモ、エリカハ、アルビノトシテ生マレテ、外二モ出シテモラエズ、モット辛イ想イシテテ、ソレヲ考エルト、オイラハ、モットモットイライラシテ、早ク偉イ電子工学者二ナッテ、エリカ二、何デモ、与エテアゲレルヨウニナルンダッテ思ッタ」

「そんなに思い詰めてたら、簡単に悪霊にとり憑かれるぞ?」

「ウン、ダカラ、オイラハ、魅入ラレタ。コノカケラ二——」

と、消火ロボは自分の機体の中のディスティープルのカケラを、表面のパーツを剥がして、見せた。機体にはびっしりと根が巻かれている。

「ヤーツ・アンタムカラー。ソノ人物ガ、転送装置ヲ造ッタノハ知ッテルヨネ? 今モ郵便ナドデ、使ワレテル。アノ装置ハ、所謂、召喚ト同ジダロ?」

「召喚? それならわかる」

「オイラハ、ソレ二気付イタラシイ」

「らしい?」

「ウン、オイラネ、記憶ガナインダヨ。ダッテ、コノカケラ二魅入ラレテカラ、オイラハ、本当二優秀ナ電子工学者トシテ、研究室迄、父サン二用意サレタンダ。オイラガ望ンダ事、早ク電子工学者トシテ、認メテ貰イタイ。ソノ願イガ叶ッタ。ダケド、ソレハ、オイラジャナイ、オイラダッタ。幾ラ勉強シテモ、ヨクワカラナイノニ、モウ一人ノオイラハ、アットイウ間二、転送装置ノ理解ヲ示シテ、更二、ソノ転送装置ヲ使イ、恐ロシイモノヲ造ロウトシテイタ」

「そのディスティープルのカケラは? どこで手に入れたの?」

「コレハ父サンガ、ダジニヤ二行ッタ時二買ッテ来タ土産。ソノ時ハ、何デモナカッタノ二、オイラガ、早ク、電子工学者二ナリタイッテ願ッタ時、妙ナ光ヲ放ツヨウニナッタンダ。ソレカラ、身二ツケルヨウ二ナッテ、ソノ頃カラ、記憶ガナイ時ガアルッテ気付イテタ。父サン二、誉メラレタリシテ、身二覚エガナイ事バカリデ、デモ、誉メラレル事ガ、トテモ心地良クテ・・・・・・」

「そっか・・・・・・」

「アル日、オイラハ、気付イタラ、知ラナイ場所二イテ、フワフワト、宙二浮イテイタ。何処ダロウッテ、彷徨ッテタラ、見タ事モナイ化ケ物ガ一杯イテ。ソシテ、オイラハ、逃ゲタ。逃ゲテ、行キ止マリダト思ッタラ、電波ノ音ガ聞コエテ、ブワッテ光ガオイラヲ包ンダ。オイラハ、転送装置二、吸イ込マレタンダ。気付ケバ、父サンガ与エテクレタ研究室二イタ。ダケド、オイラガ見タノハ、ソコニ横タワル、オイラノ体ダッタ。オイラハ、死ンダンダ。自分デ作ッタ装置ノ実験二ナッテ——」

「・・・・・・」

「父サンガ、物凄ク泣イテイタ。ソシテ、父サンハ寝タキリ二ナッテ、エリカガ、父サンノ世話ヲスルヨウ二ナッテ、母サンハ、外二働キ二出ルヨウ二ナッタ。何年モ、何年モ、ソウイウ生活ヲシテイタ。幽霊トナッタオイラニハ、何モ出来ナクテ。ソシテ、オイラハ、黒イ影ヲ見タ。研究室二置カレタママノ、コノディスティープルノカケラ二宿ッテイタ者ノ影。ソノ影ハ、『冥界ヘノ道ハ出来タ。後ハ、化ケ物共ヲ支配スルチカラヲ手二入レルダケ。究極生命体トナルダケ。アノ世モ、コノ世モ、ヒトツ二スルノダ』って、今度ハ、若イ男性ノ研究員二トリ憑イテ、転送装置ヲイジリ出シタ。オイラハ、ソレヲ止メヨウト頑張ッタ。ソノ時、近ク二アッタ、コノ消火ロボ二、オイラハ宿リ、研究員二体当タリシ、気絶サセタ。黒イ影ハ、オイラ二、向カッテ来テ、コノ機体二カケラト一緒二入リ込ンデ来タ。ソノ時、転送装置カラ、召喚サレテ来タ、イフリートガ現レテ、影ハカケラ二宿ル前二、イフリート二、アッサリト焼カレタンダ」

「トルトの思念だけだから、まぁ、そんなもんだろうな」

そう言ったシンバに、トルト?と聞き返すが、シンバは何でもないと首を振る。

「コノカケラノ、根ハ、一気二、コノ機体二張リ巡ラセラレタケド、黒イ影ハ消エタカラ、オイラハ正気ナンダ。転送装置ノ止メ方ハ、ワカラナカッタケド、イフリートノ炎デ、全テ焼ケタカラ、大丈夫トハ思ッテイタケド、冥界二、電気通信ノ伝送路ヲ作ッテシマッタカラ、コッチデ、ソノ伝送路二繋グメディアヲ造レバ——」

「つまり、召喚は誰でも簡単にできちゃうって訳だな?」

「ソウイウ事」

「イフリートは結局、帰らず?」

「ソウナンダ、ドウヤッテ、冥界二帰セバイイカ、ワカラナイ。オイラハ、コノカケラノ根ノセイデ、コノ消火ロボカラ、出レナクナッチャウシ。デモ、イフリートガ炎ヲ出ス度二、オイラハ、消火ロボトシテ、炎ヲ消して回ッテルカラ、消火ロボノ中二閉ジ込メラレタノハ正解カモ」

「なぁ? 消火ロボって、その中に水が入ってんの?」

「ウウン、コレモ転送装置ガ中二アルンダ、川ノ水ガ転送サレテ、コノ穴カラ、ソノ水ガ噴キ出スンダ」

「転送装置、すげぇな、応用されまくりじゃん」

「感心スルノハイイケド、イフリート、ドウニカシテクレルンダロウネ? イフリートモ、召喚サレテ、コノ町以外カラ出ヨウトハシナイガ、何故、召喚サレタカ、ドウシテココニイルノカ、ワカラナイミタイダ」

消火ロボ、いや、エルムがそう言った時、町全体が揺れる程の爆発音がした——。



「うわぁ!?」

シンバより早くにエリカの家だった場所に辿り着いていたウルフとアル。

勿論、エリカの家は燃えた跡で、何も残ってなかったが、そこで、イフリートに出会ってしまった。普段、誰の目にも止まらないイフリートの姿が、ウルフとアルの目にはバッチリ映る。イフリートは、

『貴様等が、この私を呼んだのかーーーーーー!?』

と、低い唸り声のような声で、そう言うと、何もない場所に炎を舞い上がらせ、爆発させて来たのだ。

その爆発は町を揺らす程で、ウルフとアルは身を低め、防御体制。

「イフリート!? 冥界の化け物!?」

と、驚くウルフ。だが、ウルフは、チャンスだとも思った。

「イフリートが俺のゴールデンスピリッツになれば、クリムズンスターにだって劣らない最強のソードになる!」

それはそうだろう、冥界の化け物をゴールデンスピリッツにした者など、いやしない。

「属性は炎になって、水に弱くなるけど、多少の水くらいなら、イフリートの炎の方が勝るし、そうなったら、劣らないどころか、クリムズンスターより、最強だ!」

と、ウルフは、考えを呟き、一人、頷いている。

だが、ゴールデンスピリッツにする為には、納得してもらわなければならない。

冥界のイフリートをどう納得させるのか——?

さっきの揺れで、気絶しているアルを見て、兎に角、誰も被害を受けない場所に移動したいと考えるウルフ。

ウルフ自身、さっきの爆発で、頭から流血しているなど、全くわかっていない。

今はイフリートを手懐かせる方法で頭が一杯だ。

町中に設置されている消火ロボが集まり出し、イフリート目掛け、水を放ち出した。

「お、いいぞ、よし!」

と、それを見たウルフは、イフリートの前に出た。

だが、通常の水程度のものが、幾ら大量に注がれたからと言って、イフリートが参る訳がない。なんせ、地獄の炎と迄、言われる程なのだから。

ウルフは経を唱え出す。

冥界に送り返すのではない、イフリートを手懐かせる為に。

だが、相手は霊ではない、経など無意味だ。

怒り狂うイフリートは火炎を竜巻のように呼び出し、更に大きな口を開け、ウルフ目掛け、炎を吐こうとした時、イフリートの動きは止まった。

ウルフは瞳を閉じて経を唱えていたが、静かになった事にソッと目を開ける。

すると、目の前のイフリートがピクリとも動かず、こちらを見ている。

「な? なんだ? 経が効いた?」

いや、そうではない、イフリートの恐ろしい瞳に映る視線を辿り、振り向くと、気絶した筈のアルが立っている。

「・・・・・・アル?」

ウルフが呟く。

「・・・・・・貴様、オレに火傷を負わす気か? いい度胸だな、イフリート」

その声はアルだが、アルのようではなくて、ウルフは今、何が起きているのか、混乱する。

アルが一歩一歩、近付いて来る。

そして、ウルフから剣を奪い取り、イフリートに刃を向けた。

「お、おい、アル? お前、アルだよな?」

アルに、剣を取られ、ウルフは更に驚くばかり。

イフリートは低い唸り声を上げているが、どう見ても、脅えているように見える。

「・・・・・・オレがいなくなったんだ、大人しく冥界にいればいいものを」

アルは、薄ら笑いを浮かべて、時折、瞳をシルバーに光らせる。

「・・・・・・こんな所で大暴れか? 地獄の炎を操るお前も暇だなぁ?」

なんなんだ、この余裕の台詞は!?と、ウルフは生唾を飲み込んで、アルを見つめる。

イフリートは鼻に皺を寄せ、威嚇しているようだ。

アルの台詞と、柔らかい表情の顔つきに、ウルフは、意味がわからない。

どう見てもイフリートに勝てる訳がないが、アルのわからない何かに、ウルフは強さを感じ取る。只の強さじゃない、それは恐ろしい、何か——。

「・・・・・・月だ、アル、お前、月の光に似てる——?」

アルの纏ったオーラのようなものを、ウルフは感じ取り、それが月の光に似ているとわかる。月の光、それは二つの月の光が放つティルナハーツという光——。

アルはウルフをチラッと横目で見ると、フッと笑い、

「・・・・・・オレのチカラは、この程度の月の光じゃない」

と、更に月の光を倍増させれるかのような発言。

その、アルの瞳に、意味もわからず、ゾクッとする恐怖を感じるウルフ。

そして、それはイフリートにも感じたのだろうか、その場から、一目散に逃げようとするイフリート。あのイフリートが逃げると言うのが、どういう事なのか、ウルフの頭の中は破裂しそうな程、混乱している。そしてその混乱は、更に膨れ上がる。

「・・・・・・馬鹿め、背を向けたら、殺せと言っているようなもんだ」

と、アルはイフリートに向かって走り、たったの一撃!

たったの一撃で、イフリートを斬り裂いた。

地の底から鳴るような悲鳴を上げ、炎の揺らめきのように、消滅していくイフリート。

ムーンライトという剣に、そこまでのチカラはない。

まだゴールデンスピリッツも宿してない、只の剣と言えば、只の剣だ。

只の剣に、イフリートを斬り付けるだけのチカラなどある筈がない。

では、何故、たったの一撃で、しかも、斬り裂けたのか!?

アルのチカラとしか、言いようがない。

ウルフは、呆然とする。そんなウルフに、ムーンライトを差し出して来るアル。

「・・・・・・殺したのか? どうやって?」

ウルフの質問はおかしい。どうやっても、何も、ムーンライトで斬り裂いたのを見ていたのだから。

「イフリートを殺したのか? ま、まさかだよな? 俺、イフリートをさ、ゴールデンスピリッツにしようと思ってさ、でも、イフリートいなくなっちゃったな、あ、あはははは」

意味もなく、ウルフはアルに笑う。差し出されたムーンライトを受け取らずに、只、何かを誤魔化すように笑う。

「・・・・・・なってやろう」

「え?」

「・・・・・・時がくれば、オレがお前のゴールデンスピリッツになってやろう」

「え?」

「・・・・・・お前が脅威に思う相手、それこそ、オレが脅威に思う者だ」

「な、なに? 何言ってんの? アル? 冗談だよな?」

「・・・・・・その時こそオレの名を呼べ。その時こそ、再び約束の戦いとなる」

「ア、 アル?」

「・・・・・・オレの名はアルファルド」

「アル? アルファ? アルファルド!?」

ウルフは声が裏返って、変な発音で名を呼ぶ。

「・・・・・・時が来れば呼ぶがいい。オレはその時の為だけに、この世に戻ったのだから」

そう言うと、アルは倒れた。ウルフは、倒れるアルを抱きかかえる。

「お、おい!? アル?」

震えた声でアルを呼び、振るえた腕でアルを支える。

何が何だか、全く理解できない。

「ウルフー!?」

そう呼ぶ声に振り向くと、シンバが駆けて来る。

「ウルフ、どうしたんだ? すっげぇ、爆発が聞こえて、地面が揺れるしさ、これでも急いで来たんだけど」

そう言ったシンバに、ウルフはホッとした安心感に包まれ、思わず、チカラが抜けた。

「お、おい、大丈夫か?」

よろけるウルフと、ウルフに抱かれたアルを、シンバは支える。

ウルフは大丈夫だと、直ぐに自分のチカラで立ち、そして、アルをそっと地面に寝かせた。

「一体何があったんだ?」

そう聞いたシンバに、ウルフは、

「アルは、お前が連れて来たんだよな?」

と、質問の答えとは違う台詞を吐いた。

「・・・・・・僕が連れて来たって言うか——」

「お前、アルの正体、知ってるのか?」

「え? 正体って?」

とぼける風に聞いてしまったシンバに、ウルフは、隠していると言う事を悟る。

「別に何もないよ」

ウルフは、突然、質問の答えを言い出した。

「え?」

突然、話を戻されても、シンバは訳がわからない。

「別に何もない。只、イフリートを倒しただけ」

「イフリートを!? ウルフが!?」

「そんな驚く事か?」

「だって、ウルフ、ゴールデンスピリッツだって、まだ手に入れてないのに」

「お前のクリムズンスターとはレベルが違うってか!?」

「そんな事は言ってないだろ? 何怒ってんだよ?」

「怒ってない。怒ってないけど、自分のチカラのように言うなよ」

「え? 何が?」

「お前と俺だったら、絶対に俺は負けない。でも、付属品を合わせたら、俺に勝ち目はなくなる・・・・・・」

「付属品?」

「嫌な言い方か? でもそうだろう? お前が連れて来たコイツも、ウィードも、マルメロも、そして、クリムズンスターも、全て、お前の付属品だ」

言いながら、気絶しているアルを見つめるウルフ。

『・・・・・・時がくれば、俺がお前のゴールデンスピリッツになってやろう』そう言っていたアルを思い出し、ウルフはクッと喉の奥で笑いを堪え、シンバを見た。

その瞳は、恐ろしい程、冷たくて、でも、笑いかけている瞳でもあり、その両極端な雰囲気を纏ったウルフに、シンバは不安になる。

「なぁ? その付属品がさ、俺の物になったら、シンバ、お前、どうする?」

「・・・・・・え? どうするって?」

不安げな顔で、聞き返すシンバに、ウルフはおかしくて、笑い出す。

「ウルフ? お前、トルトに支配されてないよな?」

そう言ったシンバに、ウルフは、キツイ眼差しを向けた。

「ふざけんな! 俺はお前の付属品じゃないんだ。それを意思表示しただけで、誰かの支配下になってると思うな。俺はお前の付属品じゃない!」

「・・・・・・付属品とか、意味わかんないけど、僕達は仲間だよな?」

「・・・・・・お前、そう思ってるのか? 俺を仲間だと?」

「当たり前だろ!」

「即答だな。俺を甘く見すぎだ。悲しいよ」

「悲しい?」

「俺はお前の仲間じゃない。昔からずっと、ずっと、俺はお前の仲間だと思った事は一度もない。でもな、シンバ、いつか言ってやってもいいぜ?」

「え?」

「お前の事を。俺の仲間だって言ってやってもいい」

「・・・・・・意味わかんないよ」

またシンバの顔が不安げになる。その表情にウルフは笑う。

「オイ! 本当二、イフリートヲ倒シタノカ?」

シンバの後ろにいた、消火ロボが、ウルフに声をかけた。

「あ、これ、エリカさんの弟のエルム。消火ロボに宿ってるんだ」

と、説明をするシンバに、ウルフは何もなかったかのように、笑顔で頷く。

「じゃあ、成仏させないとな」

そう言ったウルフに、

「いや、それが、機体にディスティープルのカケラが根をはってて、エルムの魂が中で縛られている状態みたいなんだ。だから根が外れない限り、成仏は難しいかも」

と、シンバも何もなかったかのように、説明を始める。

「ふぅん。根はどうやったら外れるんだろうな? 俺は本体が現れた時に、外れたから、目の前で本体に外してもらうしかないのか?」

「うん、そうかも。元々、カケラに宿ってた思念は消滅したみたいなんだけど、根が外れないって事は、本体自身が鍵にでもなってて、外れるようになってんのかも」

「じゃあ、コイツも一緒に連れて行くしかないな」

そうウルフが言った時、アルが目を覚ました。

「大丈夫か?」

と、ウルフがアルに覗き込む。

「うん? あれ? なんでオレ寝てんの?」

何も覚えてないアルの台詞。

「・・・・・・爆発が起こった時に、転んで、その拍子に、頭打って、気絶したんだよ」

そう説明するウルフ。

「マジで!? 情けねぇ!!!!」

と、アルは、被っている帽子をとって、打った場所を手で探す。その赤い髪をしたアルに、ウルフは、朧気ながら、アダサートの教会の隠し部屋の絵画を思い出す。

ウルフ自身、トルトに操られていた時の事なので、断片的な記憶しか思い出せない。

「アル、お前、髪の毛、血の色に似てんな。赤いとは思ってたけど、帽子取るまで、そんな色だと想像つかなかった。不思議だな、想像できた筈なのに——」

そう言ったウルフに、

「帽子取ったら、ハゲだと思った?」

と、悪戯っぽい顔で笑うアル。

「・・・・・・ウィードとマルメロは?」

そう聞いたシンバに、ウルフも、アルも首を傾げる。

「いたぁーーーーー!」

と、向こうから走って来るのはマルメロ。

「丁度、お前達どうしたかって話してたとこなんだ、どこ行ってたんだ? ウィードは?」

そう言ったシンバの前に、息を切らせて、マルメロは止まった。

「探してたのは、あたしの方よ! どこ行ってたのよ! ウィードが、知らないおばさんと言い合いになって、指輪、とられそうなの!」

「指輪? 指輪って、ファングの?」

ファングと言っても、マルメロにわかる筈もなく、

「いいから来てよ!」

と、シンバはマルメロに引っ張られる。

マルメロの案内の元、来たのは、グリティカンの工場の裏地。

人気のない場所で、ウィードと知らない女性が言い合いをしている。

シンバが行こうとした時、ウルフが、止めた。

「なんで?」

「様子見た方がいいだろ?」

そう言ったウルフに、シンバも、それはそうかもしれないと、少し離れて、ウィードと女性を見ていた——。

「お金がいるのよ!」

そう吠えている女性に、

「知らないよ!」

と、泣きそうなウィード。

「その指輪は元々はワタシのなのよ! 返しなさいよ!」

「今はボクんだ! この指輪にはファングがいるから、ボクんだ!」

「何訳のわからない事言ってるのよ! 今迄誰が育ててやったと思ってるの!」

「ボクを置いてけぼりにした癖に!」

「置いて? フッ、待ってろって言ったじゃない」

「あんな橋の上で、ずっと待てる訳ないよ!」

「それでも待ってるべきよ! こんなとこにまで来て、お金もないくせに、指輪も返さないなんて、最悪」

「・・・・・・お前なんか、お前なんか、お母さんじゃない!!!!!!」

「その通りね、ワタシも、あなたなんか生むんじゃなかったって思ってたところ」

「・・・・・・うっ、うっ、ううっ・・・・・・」

ウィードは、小さな肩を揺らし、小さな声を漏らし、泣き出した。

そんなウィードの首から下げてる指輪を、女性は引っ張り、ウィードは抵抗し、指輪は取られなかったが、チェーンが切れた。

「あぁ! おねえちゃんがくれたチェーンがぁ!」

と、ウィードは声を上げて泣き出した。

シンバは、母親だろう女性にムカつき、行こうとするが、ウルフが腕を掴む。

「なんだよ、ウルフ!」

「俺達が行ったところで解決はしない」

「だからって!」

「行って、何て言うんだ? あの母親に、正論は通じない」

「でもさ、言ってやるべきだ、ウィードがどんな想いでいたのか!」

「どんな想いでいたんだ?」

「・・・・・・」

何も答えないシンバに、

「どんな想いでいたのか、言葉にできる程、簡単じゃないだろ」

と、ウルフは冷静だ。

そんなウルフをシンバが睨んだ時、アルが、

「危ねぇ!」

と、駆けて行った。見ると、なかなか指輪を離さないウィードに、脅しか、女性はナイフを向けている。

だが、ウィードは刃物をシンバのクリムズンスターやウルフのムーンライトで見慣れている。そのせいで、小さな刃のナイフに脅える様子もなく、平然と突っ立っているのだ。

アルがそんなウィードの前に立った。

「やめろよ! そんな危ない物、しまえよ!」

そう言って、女性の前に立ちはだかるアル。

シンバがまた行こうとするが、やはりウルフが腕を掴んで離さない。

「なんだよ! 子供達だけで危ないだろ!」

「お前も子供だよ」

「ウルフ! 離せよ!」

「いいから黙って見てろ!」

ウルフは、アルを観察したいのだ。だが、シンバには、そんな事、わかる筈もない。

「あんた、ウィードの母親なのか? だったら、そんなもん子供に向けんなよ」

「・・・・・・誰なの? ウィードの友達かしら? アンタも殺されたいの?」

「だから、そんなもん向けんなよ!」

「ワタシは既に人を殺してるのよ、だからこれも脅しじゃないわよ」

「殺すなら、ボクを殺せばいいだろ!」

と、ウィードは吠えて、女性を睨む。

「このチェーンはおねえちゃんが、ボクに指輪をなくさないようにって、自分のメダルを外して、くれたものなんだ! どうしてくれるんだよ! 切れちゃったじゃないか!」

「おねえちゃん?」

そう聞いた女性に、アルが、

「・・・・・・ルピナスの王女の事だと思うよ」

そう答えた。そして、

「ウィードは、優しいディジー王女が好きだったんだよ。お母さんみたいに思ってたんじゃねぇの」

そう言った。だが、

「王女? 王女様と知り合いなの? あぁ、なんて事なの、さすが、ワタシの息子だわ」

と、アルの台詞など、大事な所は聞いちゃいない。寧ろ、大事な所は飛ばして聞いている。

女性はナイフの刃を下におろすと、

「ウィード? ごめんなさいね、ワタシが悪かったわ」

と、しらじらしく優しい声で言い出した。だが、

「ボクはもうそんな言葉になんか負けないんだ! ボクは一人じゃないもん! みんながいるもん! そんな悪霊みたいな言葉になんか、負けないんだから!」

と、ウィードは吠えた。

一度、悪霊に惑わされている為、ウィードも学習している。

「・・・・・・悪霊? あなたまで、ワタシを醜いと言うの?」

何を思ったか女性はそう言って、ウィードにまたナイフを向けた。

「そうね、ワタシは綺麗じゃないわ。可愛くもないわ。ブサイクよね。でも、それでもいいって言う男もいるのよ。それでもいいって言うから、一緒にいたのに、ブサイクだって言うのよ、最終的には。おかしいでしょ? 悪いのは男よねぇ? ねぇ? ウィード?」

「・・・・・・知らないよ、何言ってるんだよ!」

「所詮、アンタも男よね。今はガキでも、直ぐに大人になって、女を抱くわ。それはそれは美しい女を選ぶんでしょうね。ルピナスの王女? 噂では化け物だって言うけど? それに母親を見ていたの? このワタシを? 生みの親を化け物扱い? ホント、アンタなんか、生むんじゃなかった!」

女性はナイフを向けたまま、一歩、近付く。

アルが、ウィードを庇うように、背に隠す。

「どいつもこいつも、男なんてそんなもんよね。スタイルがいい女に欲情し、顔の綺麗な女に惚れて、ブサイクな女には、目もくれない」

「・・・・・・親に綺麗もブサイクもないだろ。おかしいよ、アンタ!」

と、アルは言うが、女性は、聞いちゃいない。一歩、一歩、近づいて来て、今、ナイフを振り上げた。アルは目を閉じて、ウィードも身を強張らせた、その時——。

「クオーーーーーーー」

と、翼龍の鳴き声に、アルは目を開けると、リュースがバサバサと翼を広げ、風を巻き起こし、降りて来る。

「・・・・・・な、なんで? 呼んでないよ?」

アルはそう言うが、呼ばれなくても、主の危機には飛んで来るのが龍だ。

女性は龍に驚いて、ナイフを地に落とす。それにハッと気付いて、ナイフを拾うウィード。

女性はその場にペタンと座り込んだ。

「リュースの気まぐれかな?」

そのシンバの呟きに、

「まさか。龍が気まぐれで動く訳がない。イフリートを一撃で倒したんだ、主と認めて当然だろう」

と、ウルフは呟き返すが、その呟きは誰にも聞こえない小さな声。

だが、それだけではない。

リュースはずっと見ていた。

アルが、ウィードを守ろうとしていた事を——。

些細な事でも、誰かを守ろうとする姿勢に、リュースはアルを主と認めたのだ。

ウルフは、掴んでいたシンバの手を離し、女性の傍に行く。

「あんたさぁ」

その声に顔を上げて、ウルフを見る女性。

「あんた、名前は?」

「・・・・・・ネモフィラ。ネモフィラ・リアカーディ・ナルス」

「ふぅん、綺麗な名前だな」

「・・・・・・綺麗な名前?」

「あんた、名前の通り、綺麗だよ。今迄付き合った男が悪いだけなんじゃないの? いるんだよね、男運のない女って。だからさぁ、中身まで腐る必要ないと思うよ? 悪いのはあんたじゃないよ。だってそうだろう? あんたの子供のウィード、俺、好きだよ、優しいし、いいとこ一杯あるし。あんたが、この世に生んだ、優しい命だよ」

そう言ったウルフに、女性の、ネモフィラの瞳からは涙が溢れ出した。

そして、ワァッと声を上げて、顔を両手で覆いながら泣き出した。

ウィードも一緒になって泣き出す。

アルがウィードの背中を擦り、ウルフも女性に、涙を拭く為の小さな布を差し出している。

マルメロは、緊迫した空気がなくなり、ホッと胸を撫で下ろす。

「良カッタナ」

と、シンバの後ろで、言ったエルムに、シンバは頷いた。

シンバはウルフを見ている。

——僕はウルフみたいに言えない。

——ウィードの母親を貶す言葉しか浮かばなかった。

『あんたが、この世に生んだ、優しい命だよ』

——そうなんだよね、そうなんだよ、なのに、僕は貶す言葉しか浮かばなかった。

——僕は聖職者に向いてないのかもしれない・・・・・・。

ウルフがシンバの手を掴み、行かせないようにしたのは、そんな自分を見透かされていたからではないだろうかと、シンバは思う——。

ネモフィラは男を殺した罪を償う為、このエリアの領土であるストロア城へ行き、自首すると言う。国の王に、罪を話、裁きを受ける。

「あんたが殺した男ってトライス・バーニーって奴だろ?」

「ええ。トライスにも、悪い事をしたって思ってるわ」

「大丈夫だよ、トライス・バーニーなら、霊になってもふてぶてしいままだよ」

「なら、いいんだけど、成仏してくれるかしら」

「あの手の霊は、この世に未練なんて直ぐになくなるよ。だからその内ね」

「うふふふふ、まるでトライスを知ってるかのようね」

ウルフとネモフィラの会話を、シンバは黙って聞いている。

ネモフィラは、ウィードの傍に行き、ウィードの頭を優しく撫でた。

「ウィード、元気でね?」

「・・・・・・うん」

「じゃあね?」

「・・・・・・お母さん」

「ウィード?」

「・・・・・・お母さん、どうなるの?」

お母さんと呼んでくれた事にネモフィラは嬉しくて涙を流す。

「ワタシは大丈夫よ」

「・・・・・・でも人を殺したら、打ち首だろ?」

「大丈夫よ、心配しないで?」

母親の余りにも優しい声に、ウィードはまた泣き出した。

「あなたの言った通りだわ、この子は優しい子ね。こんなワタシの為に泣いてくれる。こんな酷い母親のワタシの為に。この世で、ワタシの為に泣いてくれる人は、この子だけね。生んで良かったわ」

ネモフィラはウルフに、そう言った。

シンバは、ウルフの凄さを改めて感じる。

あの指輪を奪おうとしていた母親をここまで改心させる言葉を言えるウルフ。

そして生んで良かったと言われ、ウィードの心も救われる。

まさにウルフは聖職者に相応しい。

去っていく母親の後姿。

なんて淋しい後姿なんだろう。背中がとても小さく見える。

ウィードの持っている赤い指輪から、ファングが現れた。そしてネモフィラの後を追う。

「ファング?」

ウィードが呼ぶと、ファングは振り向いた。

「うん! バイバイ、ファング!」

ウィードはファングに手を振る。

ネモフィラにファングの姿は見えないが、ウィードの目には見えている。

母親が一人ではない姿が、ウィードの目に映っている。

「ありがとう、ファング。お母さんをよろしくね! ボクはもう大丈夫だから!」

ウィードは手を振り続け、ずっと見送っていた——。

そして、シンバ達に振り向いた顔は、今迄、見せた事のない、とびきりの笑顔で、ウィードは一つ大人になった——。

「ウルフおにいちゃん、ありがとう!」

ウィードはウルフに懐き出す。

「てかさ、すげぇんだぜ、イフリートをオレが気絶してる間にやっつけちゃってんの」

と、アルも、ウルフを大絶賛。

「名前を誉めるなんて、流石、できた男って感じ? そうよね、女性には綺麗なところが何か一つくらいあるわよねぇ。ちょっと、あたしの事も誉めてみてよ」

と、マルメロも、ウルフに引っ付いていく。

出遅れているシンバ。そして、シンバの後ろで、ふわふわと浮いている消火ロボに宿ったエルム。

ふと、シンバの脳裏に、ウルフの台詞が過ぎった。

『なぁ? その付属品がさ、俺の物になったら、シンバ、お前、どうする?』

ウルフと子供達が笑っている姿を見ているのが、急に辛くなった——。

「あ、エルム、こっち来いよ、みんなに紹介するからさ」

と、ウルフが手を振る。シンバの横をふわふわと飛びながら、行ってしまうエルム。

なんだか、自分の立場とウルフの立場が逆転したような気がした。

そして、ウルフの頭から血が出ている傷も手当てしなくてはならない為、その日はグリティカンのホテルで、休む事にした。

夜中、シンバは空を見上げながら、グリティカンの町中をうろつく。

バブルを待っているのだ。

月が見下ろしている。

バブルは、なかなかやって来ない。

今、シンバは誰も傍にいないと、淋しさに襲われている。

バブルを待ち遠しく思う——。

元々、ウルフは努力家で、何でも出来て、それを認めてくれる人がいれば、ウルフは誰にだって受け入れられ、好かれるだろう。

ウルフが凄いから、妬まれる訳で、妬まれなければ、尊敬にあたるだけの凄さがある。

確かにシンバは人当たりも良く、誰とでも仲良くなれるが、尊敬される程の凄さはない。

全て並程度の実力。

誰もが、それを認めるのではなく、当たり前と見る。

だけど、シンバもシンバなりの一生懸命さがある。

だが、それはどうだろう、誰もが一生懸命になって当たり前の所であって、それを一生懸命やっても、当然と思われ、良くて、頑張ったね程度。

尊敬にまではならない。

何より、今、思う事は、自分がどんなに恵まれて来たかと言う事。

気付かなかった、自分の孤独への不安——。

「・・・・・・僕のチカラ。僕だけのチカラ。僕一人のチカラ。それはなんだろう?」

月に聞いてみる——。

「クオッ!」

その声に振り向いた。

「あれ? バブル? いつの間に?」

急いでバブルの傍に駆けて行き、咥えている手紙を受け取った。

『シンバ、手紙ありがとう! 私の所もコックリさんって言うのよ。それ、只の遊びかと思ってたら、ちゃんとした霊術の一つなのね。でもポスティーノがそんな事になってたなんて、ビックリ! ティルナハーツ? 私も本で読んだから知ってるわ。二つの月の光の事よね。英雄がティルナハーツ症候群だったなんて、それもビックリ。そんな話があったのね。でも確かにティルナハーツ症候群はいたみたい。自分の子供を愛せなくなった親とかが増えたみたいよ』

「そっかぁ。ウィードの母親もティルナハーツ症候群だったのかもしれないな。トライス・バーニーがポスティーノにいたんだから、ネモフィラさんもポスティーノにいたんだろうし。元は橋の上で待ってろって言うくらいだから、あんなナイフ持ってサイコパスな性格じゃないかもしれないもんな。でも優しい言葉の一つで、優しい自分を取り戻せるもんなんだな・・・・・・」

シンバはそう呟きながら、ウルフがネモフィラにかけた言葉を思い出す。

そして溜息。

気を取り直して、また手紙に目を向ける。

『それから、今日ね、ガルボ村の村長さんが来たの』

「村長様が? ルピナスに? なんでだろ?」

と、呟き、またシンバは手紙に目を通す——。

『私の事が心配だったみたい。元に戻って安心してたわ』

「うわ、村長様もなんだかんだ言いながら、僕の事信用してないんだな」

と、苦笑いしながら、呟き、また手紙を読む。

『それと、冥界の生物達が、この世に現れている事件が多いとかで、天界へ行き、天界の生物達に助けを求めたいとか?』

「は? 村長様、何を考えてるんだろう? そんな話をルピナスにしても無理だろう、ルピナスは牧師さえいないんだし」

言うなら、信仰心の厚いぺージェンティスかアダサートだろうと思いながら、またシンバは手紙に目を向ける。

『それで、天界へ行った魂の一つに、協力してもらう為、ルピナスの大鎌が必要だとか』

「ルピナスの大鎌? 紋章じゃなくて?」

シンバは大きな鎌の存在を知らない。

『それとルピナスの血を引く者もって事で、私が村長様と一緒に天界に行く事になったの。大鎌を持って!』

「はぁ!? 何考えてんだ、あのジジィ! ディジーは王女なんだぞ!?」

『父様も私を化け物扱いで、天界に行けば人間になれるんじゃないかって言うのよ』

「元々、化け物じゃないじゃん。見た目も元に戻ったんだし。相変わらず、ルピナスの王は駄目だなぁ」

シンバはウルフとディジーが化け物に仮装して、王を脅した事を知らない。

『天界にはね、初代ルピナスのシュロ王に仕えていた伝説の龍、イヤーウィングドラゴンがいるらしいの』

「へぇ。そうか、冥界へ行かず、天界へ行く魂もあるんだな。でも天界へ行くって事はシュロ王に仕えてたって言うドラゴンは、余程、他のドラゴンより、優れてたんだなぁ」

『大鎌を持ったルピナスの血を引いた者になら、懐くだろうって』

「でもそしたら単純なドラゴンだな、いや、義理堅いって方が正しいかな。でも天界なら、ペガサスとかユニコーン、ピクシー。そんな生物達に、ディジーが喜びそうだ」

ディジーの嬉しそうな顔を思い浮かべ、シンバは一人微笑む。

『私、ちょっと嬉しいんだ、シュロ王みたいに、龍に跨って、大鎌を持って、世界中の人の為に戦うの。勇ましい王女でしょ?』

「・・・・・・そりゃ、英雄伝を築き上げようとしてる僕には、ライバルだな」

下手したら、英雄王女伝説を築き上げるんじゃないかってシンバは悩む。

『村長様が言っていたの。もしかしたら、冥界へ戻せない程の恐ろしい冥界のチカラを持った生き物が現れるかもしれないって。それって私の体に封印されてたトルトかしら?』

「・・・・・・アルファルドだろ」

シンバはそう呟き、顔を強張らせる。

『天界で、イヤーウィングドラゴンを懐かせたら、それは私のチカラとなるようです』

「・・・・・・ディジーのチカラ? ディジーだけのチカラか・・・・・・」

『天界から帰ったら、シンバに逢いに行きます』

「え?」

『私のチカラを必要として下さい』

「ディジーのチカラを?」

『天界で手に入れるチカラをアナタの為になるように使いたいです』

可愛い事を言うディジーに、シンバの強張った顔も気持ちも和らぐ。

『早くアナタに逢いたい』

「僕も逢いたいよ」

と、シンバは月を見上げる。

「そうだね、何を悩む事があったんだろう、僕だけの、僕一人のチカラなんて、いらない。誰かの為に使うから、チカラが欲しいと思うんだ。キミがいるから、キミを守ろうとするチカラが出る。キミが笑う、それが僕のパワーで、キミの笑顔が僕のチカラ」

シンバは月にディジーの笑顔を思い出しながら、微笑む——。

そして、またシンバはディジーに手紙の返事を書いた。

ウィードの母親の事と、リュースがアルを主と認めた事と、エリカにも、エルムの事を伝えてもらう為に、それと、ディジーの手紙で勇気付けられた事も——。

ディジー、明日はタルナバです。

僕もキミに早く逢いたいです——。

もしも、二つの月の光が、この星を照らし、この世の全ての生物が凶暴になっても、そして僕も、そうなったとしても、でも僕は、きっと凶暴にはならないだろう。

僕はティルナハーツ症候群にはならない。

キミの優しさと愛を感じてる僕は、きっと、キミと同じくらい優しくなれるから。

だって、キミの手紙だけで、僕は優しさを取り戻してる——。

キミで僕は僕に戻る。

シンバは高い月に消えるバブルをずっと見つめていた——。

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