5. 指輪に宿る霊
「シンバー!」
川から上がったディジーが、指輪を持って、シンバに駆けて来る。
シンバは笑顔で、手を振る。
反対方向からは、ウィードがやって来る。
それもシンバは笑顔で、
「あっれぇ? ウィード? こんな夜中に散歩かぁ!?」
と、大声で手を振り、声をかける。
ウィードの様子はおかしい。シンバを見ても逃げない。それ所か、一歩一歩、近付いて来る。ディジーもウィードに気付き、手を振る。
橋の中央にいるシンバに、最初に辿り着いたのはディジー。
「見て見て見て! ほら、指輪! 私が見つけたんだよ! シンバは今まで何してたの?」
「え? 僕は・・・・・・別に何も。町中を散歩してた」
「何それ! 信じられない! 神霊はどうしたのよ!」
「あぁ、なんかいないみたい、ここには」
神霊のオーブは、一つの神霊に、一つしかもらえない。
「いないみたいって、何の収穫もなく、無駄に過ごしてたの!?」
「あぁ、うん、まぁ、そう怒るなよ」
と、苦笑いのシンバに、ディジーは頬を膨らます。
「腹減ったな」
「はぁ!? 何もしてないんだから、何も食べさせないわよ!」
「ひでぇ! そりゃないだろ! 無駄に過ごしてても腹は減るんだよ!」
少しでも話題を明るく、空気を軽くし、その場を悪霊の似合わない場所にする。
それは基本中の基本。
だからシンバはヘラヘラと笑っている。
「私なんて、ほら、こんな小さな指輪見つけたのよ!」
「はいはい、凄い凄い!」
「どうでも良さそうな返事しないでよ! 神霊はどうするのよ!」
「世界は広いんだから、神霊の一つや二つ、そこらにあるって」
「神霊の一つも見つけられない人が言う台詞じゃないでしょ! だから嫌だったのよ、頼りない感じだったし! それなのに、アナタの村の長は、アナタが適任だとか言うから」
「大丈夫だって! 村長が僕を適任と言ったなら、それを信じて間違いなし!」
「間違いだらけよ!」
今、ウィードが二人の前に立ちはだかった。ディジーは大声を上げて、シンバに怒鳴っていたが、咳払いをし、ウィードに笑顔を見せ、指輪を差し出して見せた。
「はい、これ、キミのでしょ?」
優しい笑顔のディジーをジロリと見て、ウィードは嫌な笑みを浮かべる。そして、
「良く見つけてくれたな、小娘」
と、ウィードの声とは思えない声色で、そう言った。
声だけではない、その台詞もウィードのものとは思えない。
ウィードはディジーから指輪を奪い取るように、勢い良く取ると、声を殺して笑った。
「どうしたの?」
何がなんだかわからなくて、そう聞いたディジーに、ウィードは、
「あはははははははははは!!!!」
と、バカ笑いし、指輪を高く掲げた。
指輪の赤い石の部分から、黒い煙のような靄が出てくる。
そして、その靄はどんどんカタチを成して行く——。
ディジーは呆然と立ち尽くし、何もできずにいる。
『誰かの体をのっとらなくても、自分でカタチを作れるのは、本当に嬉しいわ。私、綺麗でしょう?』
黒い靄は女性のカタチを成して、怪しい微笑で、そう言った。
「でやがったな、悪霊!」
シンバはそう呟く。
ウィードは自分の意識を取り戻し、目の前の光景に、オロオロするばかり。
震えながら、後退りするディジー。
そしてディジーに変わり、前へ出るシンバ。
「成仏もせず、石に自分の魂を入れ、ウィードがお前を強く呼ぶのを待っていたんだろ? ウィードは指輪を川に落とし、後悔の余り、何度、心の中でお前を呼んだだろう。後は指輪を川から出してくれれば、お前は想像のままカタチを成す迄にチカラをつけていた。何度も何度もウィードがお前を呼んだおかげでな」
『フン! アナタ何者? その衣装といい、体を纏うオーラといい、味方じゃないわね』
「味方? 笑わすなよ、お前等に味方する奴なんてのはなぁ、誰もいねぇよ! お前等に利用される奴等がいるだけだ」
シンバはそう言うと、クリムズンスターを抜いた。
『怖いわ、怖いわ、ウィード、助けて! あの人がママを殺そうとしてるわ!』
「ママだとぉ!? ウィードの母親はまだ生きてる。お前は母親でもなければ、身内でもない! 只の孤独な霊だ! 孤独すぎて悪霊に堕ちた哀れな霊だ!」
「ど、どういう事なの、シンバ?」
震えながら、ディジーが尋ねる。
「ウィードは母親が出て行って、一人ぼっちになった。その心に付け込んで霊が入り込んだ。霊は一時的に人の体に入る事はできても、ずっと人の体に入り込む事はできない。魂のエネルギーは恐ろしく膨大であり、体一つに魂を二つも持てないからだ。ウィードの魂を追い出す事もできない。何故なら、その体はウィードのものだからだ。だからウィードの持っているモノに入り込む。恐らく、その指輪は本当の母親のモノなんだろう、ウィードはずっと持ち歩いていた。霊はその指輪の石に入り込み、ウィードを利用した。ウィードが指輪に写し見ている光景など、心の奥まで見透かし、ウィードの母親になる。夢の中でウィードが母親をもっと恋しくなるよう、母親に化けては、優しくする。だけどウィードは、なかなか母親の名を呼ばなかった。男と出て行った母親を許せなかったからだ」
「ま、待って、シンバ! その人は母親じゃないんでしょう? なら母親の名前を呼んだって意味がないんじゃないの?」
「いいや、名前なんて言うのは、呼ばれて返事をすれば、自分のモノになる。それにウィードは指輪を落として、母親を何度も心の中で呼んだが、呼んだのは自分の本当の母親じゃない。夢に出てきた優しい嘘の母親の方なんだよ」
「・・・・・・そんなぁ・・・・・・じゃあ、私が探して来た指輪は・・・・・・」
「大丈夫、ウィードもそれに気付いてる。大きな川に落とし、後悔してばかりで探しても見つからないと諦めてたけど、見つけてきてくれたディジーの優しさを超える愛情に、気付いてる」
シンバはそう言うと、クリムズンスターを、ウィードに向けた。
「そうだろう? ウィード? ゆっくり歩いてこっちへ来るんだ」
大きな剣の刃を向けられ、そう言われても、ウィードは力が入らない。
『駄目よ、ウィード! ママを助けて! ずっとこれからも一緒にいるから!』
「い、一緒にいる・・・・・・?」
ウィードは振り向いて、悪霊を見る。
「バカ! 悪霊に応えるな!」
シンバが吠えるが、今のウィードには聞こえない。
振り向いて、震えているウィードに、悪霊は優しく微笑む。
『ええ、ずっと一緒よ』
「ど、どうすればいい?」
『ママを必要として? ママの名前を呼んで? さぁ、早く!』
「ウィード!!!! 僕を見ろ!!!!」
そう叫んでいるシンバの声は、ウィードにとって、雑音に過ぎない。
シンバは口の中でクソッと呟くと、
「ウィード!!!! お前の母親はお前を置いて行ってしまったんだ! 現実を見ろ!」
そう吠えた。ハッとするウィードに、
『違うわ、違うわ、ウィードが私を嫌ってると思ったのよ、ウィードが私を捨てたのよ』
と、嘘の記憶で混乱する事を言い出す悪霊。
『ウィード、またこの橋の上で、私とサヨナラするの?』
なんて残酷な事を言うのだろう、悪霊は人の弱い心に付け入るのが得意だ。
ウィードは涙を流しながら、
「ママ、ママ、ママーーーーー!!!!」
そう叫んだ。にやりと不敵に笑い、悪霊は、
『なぁに? ウィード?』
と、返事をする。舌打ちをするシンバ。
もうウィードを構ってられないと、シンバは、悪霊に向かって走り出した。
悪霊はウィードを盾にしながら、シンバに攻撃をしてくる。
幾つもの黒い靄を出し、その靄がカタチを成す。鋭い刃物に——。
シンバはクリムズンスターで刃物を叩き落すが、幾つも幾つも飛んでくる。
ウィードがママと呼ぶ度に、チカラを増幅させる悪霊。
ケタケタと楽しそうに笑う悪霊に、シンバは苛立つ。しかし、
「ウィードを盾にしやがって、しかもさっきから飛び道具ばっかり!!!! もう許さないからな!!!! 目にもの見せてやる! いや、聞かせてやる! そんでもって、お前の動きなんか封じてやる!!!! そんな笑えるのも今だけだ!!!!」
そう言うと、シンバはブツブツと何か唱え出した。
『や、やめて! その信仰心で出来た言葉をやめてぇぇぇぇ!!!!』
悪霊は悶え苦しみ始める。どうやら、シンバは経を唱えているようだ。悪霊も苦しんでいると言う事は、これは効果抜群!?
「あ、あれ? この次なんだっけ?」
と、突然、シンバは経を止め、振り向いて、ディジーを見た。
「私が知る訳ないじゃない! バカ! 前見て! 前!」
ディジーに、そう悲鳴に似た声で言われ、前を向くと、悪霊が直ぐ目の前に立ち、シンバの首を絞め上げた!
「ぐはっ!」
もうこの世の物体を完璧に触れる事まで出来ている悪霊。
「シンバ! シンバ! シンバ!」
ディジーはオロオロしながら、シンバの名を呼ぶばかり。
「ママ、ママ、ママ・・・・・・」
もうそればかりのウィード。
『よくも私を苦しめたわね! アナタも存分に苦しむがいいわ!』
悪霊は物凄い形相で、しかし楽しそうに、シンバを絞め上げる。
もうどうしようもできないと、ディジーはバブルに助けを求めようとした時、遠吠えのようなものを耳にした。途端、悪霊が、
『きゃーーーーー!!!!』
と、悲鳴を上げ、シンバが地面にドサッと落ちる。
シンバに駆け寄り、
「大丈夫?」
と、シンバを起こすディジー。シンバは少し咳き込み、
「・・・・・・ファング」
そう言った。
「え? ファング?」
ディジーは何の事かわからず、シンバの視線を辿る。
悪霊が大きな犬に襲われている。
「ファング!!!! ソイツは、もっとチカラをつける! チカラの源はウィードが唱える言葉だ! ソイツを必要としてる言葉! それを止めさせ、悪霊の傍から離れさせろ! ソイツは僕が仕留める!」
シンバはクリムズンスターを構え、そう言った。
その言葉を理解するように、ファングは、唸り声を上げ、悪霊に飛び掛り、そのまま、ウィードの前へスタッと着地した。ウィードが一瞬、言葉を失い、そして、ファングは大きなベロでウィードの顔をベロベロ舐めた。
余りにもベロベロと舐めるもんだから、ウィードはボロボロと涙を流した。
『きゃーーーー!!!! ウィード!!!! ママを見捨てるのーーーーー!!!!』
「だから、テメェは母親じゃねぇんだよ!!!!」
と、シンバはクリムズンスターで斬り払い、悪霊は、斬られた部分から、黒い靄を溢れ出し、蒸発して行く。
逃げながら、攻撃を交わすが、やがて悪霊はクリムズンスターに斬られ過ぎて、動けなくなる。
『ああ、私が私のカタチがなくなって行く。私が消えてなくなる。その剣は魂を殺すチカラの持った剣ね! 私を無にする気!?』
「つーか、悪霊になった霊は無も同然なんだよ!」
『いやよ、いや、いや! 無にだけはなりたくない!』
「ふざけんな!」
そう吠えて、シンバがクリムズンスターを掲げると、ウィードが悪霊の前に立ちはだかった。しかし、シンバは剣を振り上げてしまい、振り落とす瞬間だった。
シンバは、ウィードを斬り殺してしまうと、思わず目を閉じるが、クリムズンスターはウィードを斬らず、止まっている。
それに驚いたのはシンバだ。シンバの意思で、止めれないものが、止まったのだから。
しかし、驚いてる暇はない。ウィードが、
「おにいちゃん、本当かなぁ?」
涙を流し、シンバに訴えてくる。
「おにいちゃんの話、本当かなぁ? みんなは一人で、一人はみんなって本当かなぁ? 生まれ変わりってあるのかなぁ? ボクも、みんなと同じなのかなぁ?」
「ウィード?」
「おにいちゃん、この幽霊、助けてあげられないのかなぁ。ボクを慰めてくれたんだよ」
「慰めたんじゃない! お前の心にとり憑いたんだよ!」
「それでもボクは・・・・・・」
『ウィード、優しい子ね、また私を呼んでちょうだい』
この期に及んで、悪霊は、またもウィードを利用し、チカラをつけようと、動けなくなっても、嘘偽りの優しい声色を出す。
「ウィード、お前が止めを刺すんだ」
シンバが驚く事を言い出す。
「ウィード、もうこの幽霊は無なんだよ。無だからカタチもなく、思う事もない。無だから、誰かが思い描くカタチを成し、誰かが思う事を利用し、自分を作ってしまう。この幽霊が、もう今となっては、誰だったのか、人だったのかさえ、わからないんだ。これは無なんだ、無は無に帰そう——」
シンバの言葉はなんて悲しいのだろう。
ウィードの瞳からは涙が溢れて止まない。
「おいで、ウィード」
ウィードは泣きながら、シンバの傍に行き、シンバの手を握る。
シンバのクリムズンスターを握る手を、ウィードは握り締め、今、悪霊に振り翳した!
ディジーは目を閉じる。
断末魔を上げ、呪いの言葉を吐きながら、悪霊は黒い靄になり、天へと消えてなくなる。
ファングが月に向かって、吠えた——。
「フゥ・・・・・・」
と、溜息を吐いて、その場に座り込むシンバ。
泣いているウィードに優しく手を伸ばすディジー。
ふと、その向こうに誰かがいるのが目に入った。
「ウルフ?」
シンバは立ち上がり、そして、嬉しそうな笑顔で、駆け出した!
「ウルフーーーー!」
しかし、ウルフは背を向ける。
「え? あ? おい! ウルフ!」
立ち止まり、シンバを睨みつけ、
「お前のチカラじゃない。剣のチカラだ」
そう言ったウルフ。
「ウルフ?」
ウルフの態度がわからないシンバ。
「その剣がなければ、俺が最強だ」
「は?」
「でも、良かったよ、その剣の所有者が無能なお前で」
「無能ってなんだよ! わかったぞ、お前、あの王女と僕が一緒なのが気に入らないんだな? それで怒ってるんだろ?」
シンバはそう言って、ヘラヘラ笑いながら、
「もぉー、ウルフは直ぐ気に入らないと怒るんだからぁ。実はさ、ウルフと別れた後、あの王女に直ぐに会っちゃってさ、村に戻されるわ、新しい使命言い渡されるわ、大変だったんだよ。でさ、でさ、僕ね——」
神霊のオーブを手に入れた事を話そうと、ウルフの肩に手を置くと、バシッと、その手を思いっきり力一杯、弾き返された。
「いってぇ・・・・・・」
シンバが弾かれた手の甲を擦りながら、ウルフを睨む。
「なんだよ! そんな怒らなくてもいいだろ! 王女の事、そんな怒る事かよ!?」
「仲間など必要ない」
「なんだって!?」
「お前のチカラじゃない」
「あぁ!?」
「剣のチカラだ。それにお前一人のチカラじゃない。いつだってそうだったな、お前は誰かと一緒にいつもいた。くだらない連中を集めても無意味だ。一人じゃ何もできないお前とは、俺は違うんだ」
「なんだよ、それ! おい! ウルフ!」
「忘れるな、お前のチカラじゃない。それにお前も気付いている筈だ」
「おい! ウルフ! おいってば!」
ウルフは背を向け、振り向きもせず、行ってしまう。
「なんだよ! ウルフ! ウルフってば!」
もうシンバの声も聞こえないようだ。
指輪に宿った霊が最後に吐いた呪いの言葉が、脳裏を過ぎる。
『あなたも孤独になるがいい。無に等しい程の孤独に襲われるがいいわ』
シンバはゴクリと唾を飲み込み、ウルフの背を見つめていた——。
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