第10話 美味しいなら、それでいいじゃない

 その店はタイタス通りの中ほどにあった。こじんまりとしており、左右は三階建てで規模の大きい店舗が建っている。隙間産業なのでは、という言葉がすぐに浮かんだ。


 看板は古臭いが手入れは行き届いている。和風なのか洋風なのか疑問を感じる見目をしており、カフェのように中を覗くことも出来ない。


 この店を形容するには一言で足りる。ここなんの店?


 『創作料理 パンドラ料亭』と妙に達筆で書かれており、経営者は年配なのではという印象を俺に植え付けた。ネーミングセンスはこの際、見なかったことにしよう。


「ここですっ! ささっ、入りましょう!」

「あ、うん」


 ニースの勢いに押されるままに俺は中へと入った。


 内部はすっきりしている。カウンターに十席。座敷が五つでそれぞれ六人座れるようになっている。和風だ。居酒屋そのままと言ってもいい。


 カウンター奥には酒と生けすが並んである。小料理屋とも思えなくもない。


 しかし壁際には絵画が立てかけられている。それは油絵で洋風。何故か飾りとして鎧が飾ってあり、その横に『へい、らっしゃい!』という吹き出しつきのマスコットキャラらしきぬいぐるみが置いてあった。これは洋風か? いや現代風?


 店内奥には通路が見えた。入口に『奥はフレンチ』という看板があった。


 なにこの店。コンセプトが見えねえ。


「へい、らっしゃい。ボンソワール」


 鉢巻姿にコック帽。腰巻エプロン、コックコート。渋い口髭に、厳めしい顔つき。職人らしい空気を纏っているが、色んなものがないまぜでよくわからない。


「二人でっす!」

「ヘイ! ニースちゅん、ヨクキタネ!」

「おい、なんか急に片言になったぞ」

「……知らないわよ。そういうお店なのよ、きっと」

「どういう店だよ」


 ひそひそ話に花を咲かせていた俺とリリィだったが、ニースがずんずん先に進むので、俺達もついていった。


 カウンターではなく座敷らしい。周りにはそれなりにお客さんもいる。鎧を着たり、武器を持っていたりするので、妙に浮いていた。プレイヤーも店も、店主も、俺達も浮いていた。むしろ調和? なにそれ? という豪胆さを感じる。


「あ、あのさ、ここなんの店なの?」

「お食事処ですよ?」


 俺の質問にきょとんとしたまま答えるニース。

 思ったような答えが得られなかったことで我慢が限界突破してしまったらしい、リリィが身を乗り出した。


「そうじゃなくって! 何料理を出す店なのよ!?」

「えーと、和食とフランス料理と洋食とイタリアンとかですかね?」

「統一感どこ!?」

「創作料理らしいですよぉ。私も最初は面食らったと言うか、怖気づいたんですが、おいしいんです。それ以来はまっちゃって」

「現実だったら絶対繁盛してないだろう……」

「SWだけで許される経営方法ね……」


 げんなりとしてしまう俺とリリィ。きっと昼間の疲れが押し寄せたんだと自分に言い聞かせる。


「とりあえずメニューどうぞっ」

「あ、ありがとう」


 ハードカバーのメニューを受け取る。ちょっと重い。中にはずらっと文字が並んでいた。総数25ページ。写真をべたべたと何枚も貼っているわけではない。なのにこの枚数。ちょっと引いた。


「このお店の料理はですね、外れがないんです。これなんだろう、と思って注文したら全部おいしかったんですよぉ」

「へ、へぇ……SWって調理の種類一杯あるんだなぁ」

「いえ、SWの調理スキルはですね。日夜職人によって増えているのです。現実の調理とほとんど変わりませんからね。腕も根気もセンスも必要なんですよぉ」

「そ、そうなのか、よくわからんけど、俺には無理だな」


 メニューに再び目を通す。


 種類は多いが、意外に綺麗に整頓されているようだ。それぞれカテゴリごとにわかれているし、見にくくはない。

 フランス料理はほとんどわからない。やっぱり最初は慣れ親しんだものがいいだろう。


 となれば、やはりここはあれしかあるまい。


「今日は、な・に・に・し・よ・う・か・な! 決めた! マムリアトカゲの尻尾の炭火焼と、ゴテチーズとミューリアハーブのシャカパスタで!」

「じゃあ、俺はカレーで」

「はい、どうぞ」


 店員がお茶らしきものを運んできた。音もなく近寄るとは、もしかしてなんらかの達人なんじゃないだろうか。


 店主とは違い、まともな女性店員のようだ。

 三つ編みにした髪を後ろで一括りにしている。ファンシーな髪飾りにメイド服っぽい制服を着ている。メイド、というよりは、中世の少し裕福な家庭で着るような衣服を現代風にアレンジしている感じだ。


 俺と同年代か少し上だろうか。容姿は整っているというよりは、愛嬌がある感じ。クラスメイトにいそうな雰囲気だ。


「ご注文繰り返します。マムリアトカゲの尻尾の炭火焼。ゴテチーズとミューリアハーブのシャカパスタ。カレー。以上ですか?」

「そ、それで」

「かしこまりました。少々お待ちください」


 メモもせずに下がってしまった。記憶力が良い方なんだろうか。

 出されたコップに入ったお茶を飲んでみた。おいしい。ちょっとスーッとするというか、ミントっぽい? ルイボスティーに近いかもしれない。


「あの、カレーでいいんですか? 色々ありますけど」


 ニースはうずうずした様子だった。常連だから味も知っているのだろう。もしかしたらおすすめもあったのかもしれない。


 だが、俺は彼女の言葉も意に介さずに、仰々しくテーブルに肘をつくと祈るように手を組んだ。


「ああ、これでいいんだ。カレーはね、定食屋の定番メニュー。つまりその店を見極めるのに最適なんだ。美味いだけじゃだめ、その店ながらの工夫が必要だ。スパイスの種類は膨大にある。その組み合わせをどれだけ試したか、どれだけ舌が肥えているか、どれだけ料理に貪欲か。それがわかる。身近で奥が深い、それがカレーなのさ」

「そ、そうなんですかっ! カレーってすごいんですね!」

「そう、カレーは文化。インドから渡って来てから日本食に昇華された、いわばカレーは日本食と言っても過言ではない。インドカレーとは違う日本カレーが出来ているのさ。カレー、ラーメン、この二つは日本で激戦を繰り広げている職人たちの熱き魂のせめぎ合い。苦悩、挫折、熱意、妥協なき食の戦争! そして生まれた最上の一品。そう、それがカレーなのさ!」

「うっさいわよ!」


 スパコン、と小気味いい音が聞こえた。

 リリィが華麗なビンタを俺にお見舞いしたらしい。


「食事にうんちくはいらないでしょ。見た目が良くて、いい匂いがして、食べて、美味しい。これでいいの!」

「ぶぁっかもーん! 食事を甘く見るな! 食は文化! 食は生きがい! 食は一日の活力だ! それをそんな簡単に切り捨てるなんてあっちゃあならねぁんだよ、御嬢さん」

「これ、あれだわ、いつもの面倒臭い感じだわ」


 だめだ。所詮こいつは妖精。食事の重要さを理解していない。

 俺の呆れる理由をわからないのか、リリィは不服そうな顔をしている。だが、そこに女神は訪れた。


「私もわかりますっ! 美味しいもの食べた後は頑張ろうって思いますよねっ!」

「うんうん。君はいい子だね、ニースさん」

「ニースでいいですよ?」

「……え? あ、うん。じゃ、じゃあ、二、ニース……で」

「いきなり素に戻ってんじゃないわよ!」

「だって、女の子の名前呼ぶなんて恥ずかしいし」

「えへへ、じゃあ私はリハツさんでいいですか?」

「お、おん。いっすよ」

「なんでちょっとヒップホップな感じなのよ……」

「こうでもしないと恥ずかしいし……」


 勢いに任せて変なテンションになっていたが、急に我に返ってしまった。過去は戻らない。だったら、もう前に進むしかないだろう?


「へい、お待ち。カレーのお客様はどちら様?」

「あ、俺です」


 鉢巻店主がにこにこしながら俺の前にカレーを置いた。

 おい、さっきまでの職人気質な感じどこいった。ちょっと片言だし、やっぱり日本人じゃないのではないだろうか。


「ニースちゃんはこっちね。出来たてほやほやよぉ」

「わあ、ありがとうございます!」

「ごゆっくりお楽しみくださいね、うふふ」


 くねくねと身をよじる姿を見てわかった。


 あ、オカマだ。口髭マッチョのオカマだ。


 いやいや、偏見はいかん。俺もそういう目にさらされて不快な思いを抱いているのだ。だったら、オカマだろうが差別してはいけない。

 そうだ。ニースとも仲が良いみたいだし、きっといい人なんだろう。


 そう思って、店主を見るとウインクされてしまった。ハートが飛んだ。間違いなくハートが飛んだぞ、今。


 身震いを抑えきれずにいた俺だったが、目の前に置かれたカレーに意識を持って行かれた。


 匂い。香ばしくカレー独特の香り。芳醇で深みがある。なんだこの一嗅ぎで食の欲求が暴れ出すような感覚は。ダシ? そうかだし汁を混ぜている。動物の骨と野菜、か? いやこれはブシ。なにかの節だ。匂いだけで押し寄せる情景は、日本だけではない。各国の食材、それも至高の食材をふんだんに使っている、だと?


「最初に言っておくけど、ここゲームの中だから。なんか表情変えまくってるけど」

「……頂きます」

「頂きますっ!」


 耐えきれず、俺はスプーンを手に取る。ごはんとルーの絶妙な割合だ。それをすくうと、恐る恐る口に放り込んだ。


「うっまああああっ!」

「おいひいれすよねぇ」


 幸福感溢れる顔で俺とニースは見つめ合った。


「なにこれ、めちゃくちゃ、はぐっ、んむっ! んまいっ!」

「あの無駄に長い独白はなんだったのよ……」

「いや、ほむっ、本当にうまいと、んむっ、言葉に、はぐっ、ならない、っむっ!」

「食べながらしゃべらないでよ、ご飯粒飛ぶでしょ」

「このパスタも最高ですぅ! ゴテチーズが見事に絡み合って、濃厚な味わいですぅ。一口目と二口目だと全然印象が違うんですよぉ」

「……お、おいしそうねそれは」

「んまっ、んまっ、んまんまっ!」

「あんたも幸せそうね……ごくっ」

「む? 今、生唾飲み込んだ?」

「は? んなわけないでしょ? 私が食べたいなんて思うわけないじゃない」

「あ、そう。はむ、はぐっ!」


 一瞬たりとも手を休めたくない。それほどの旨味の暴力があった。


「ちょっと! もっと、追求してよ!」

「……食べたいの?」

「……た、食べたいわよ」

「妖精なのに?」

「べ、別にいいでしょ。一応、人間と同じ欲求はあるんだから」

「しかし、どうやって食べるかが問題だな」

「これ! これでいいから!」


 リリィの手には爪楊枝が一本握られていた。彼女の体躯からすればまるで槍だ。


「そ、それでいいならいいけど」

「食べていい? ねえ、食べていいの!?」

「あ、ああ。うん、どうぞ」


 我慢してたんだなぁ。平気そうにしてたのに、実は食べたくてしょうがなかったんだろう。そう思うとちょっと愛らしくもある。


 リリィはルーに爪楊枝の先っちょを埋めて、すくった。


「ぐぬぬ、こなくそっ!」

「必死だな、おい」

「うっさいわね! 目の前でばくばく美味しそうに食べられたら必死にもなるわよ!」

「開き直っちゃったよこの子」


 俺はリリィの邪魔をしないように食事を進めた。


 目の前で一口ごとに「おいひぃ」と言っているニース。


 食べるために必死に爪楊枝を動かすリリィ。


 その二人を見て、微笑ましく思った。

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