第9話 ボーイ・ミーツ・ガール

 俺達はロッテンベルグまでなんとか逃げ切った。


 距離はそうなかったはず。恐らく十分もかからなかったけれど、心臓はバクバク言っている。なにかに追われるというのは中々な恐怖体験だった。


「はぁはぁ、た、助かった」

「な、なんとか逃げ切りましたね……」

「逃げ切るもなにも、途中引き離して、MOBが米粒みたいになってたわよ」


 正門前で俺達は息を整えていた。


「なんかでも」

「楽しかったですねっ」


 そう楽しかった。悪戦苦闘して協力して共に逃げた。文字にすると楽しそうには思えないけれど、でも確かに楽しかったのだ。


 人と、誰かと一緒になにかを成すというのはこんな感じだったな、と郷愁に駆られる。


 まるで青春物語の一幕だ。引きこもりをしていた時は忌避していたのに、今では自分が当事者になっている。人生、なにがあるかわからないものだ。


「あ、あの、これからどうするんですか?」

「え? あー、冒険者ギルドにいこうかなって。その後に、食事、かなぁ?」


 リリィは肩を竦めただけだった。一々こっちに頼るなと言いたいらしい。


 会話はまだ不慣れだが、少しはマシになったんじゃないだろうか。それは自分の役割がまだあるからだ。協力したという事実があるからこそ、気おくれが薄い。お互いに共通の目的があったからこそ、妙に後ろ向きな思考にならなかったんだろう。


 仕事や役割があれば多少は話せる。けれど完全なプレイベートのような状態だったらこうはいかなかっただろう。


「そ、それじゃ、その、よかったら奢らせてください!」

「……お、奢る?」

「はい! お礼もしたいですし、タイタス通りに美味しいお店があるんですっ」


 一気に敷居が高くなった。


 食事? 女の子と? 数時間前まで引きこもりだった俺にはレベルが高すぎるんですが?


 彼女の申し出は嬉しいという思いもある。だがそれよりも、どうやって断ろうという考えが先に浮かんだ。だって、なにを話したらいいのかわからないし、どうすればいいのかもわからない。


 想像してみる。食事をする二人。会話も弾まず気まずい空気が流れて。「つまんなかったなぁ……」と最後に言われる。いや彼女はそんなことを口にしないような気がする。むしろ気を遣って困ったような顔をするんじゃないだろうか。


 想像だけで、悶絶しそうだ。そんなの耐えられない。


 気を遣わせているんじゃないだろうか。いやきっとそうだと後ろ向きな思考が顔を出す。


 しかし断ると傷つけてしまうかもしれない。勘違いしないでもらいたい。彼女が俺と食事をしたいと本心から思っていると自惚れているわけじゃない。俺はそこまでおこがましくない。断られたことで彼女のプライドが傷つくのではないかということだ。


 しかもおデブちゃんスタイルの、どう見ても卑屈そうな俺に断られれば、相当にショックだろう。


 ああ、でもこの子を楽しませることが俺に出来るとは思わない。


 一体どうすれば。


「あ、いや……」

「い、いやですか……?」


 ニースはしゅんとしてしまった。

 慌てて俺は二の句を繋げる。


「い、いやそうじゃなくて、その」

「いいんですか!?」


 ぱあっと表情を明るくした。まるで花が咲いたようだ。

 しかしその眩しさに俺は若干たじろいでしまう。


「い、いいっていうか、あの」

「私とだと、楽しめないですかね……」


 またしゅんとする。感情が豊かなんだろう。見ていて楽しいと思えなくもないが、こっちも対応に困る。


 あたふたとしている俺と、俺の言葉に翻弄されるニースだった。


「あーーー! もう! 面倒くさい! うじうじ、ぐだぐだすんじゃないわよ!」

「ひいぃっ!?」

「きゃっ!?」


 俺とニースの間にリリィがふんぞり返っている。

 その顔はまさに鬼。憤怒の化身がそこにいた。


「イライラするぅ! 行くの!? 行かないの!? 行きたいの!? 行きたくないの!?」

「え、あ、い、行きたい、というか、行ったら、その……でもお金がないし」

「お、奢ります! 奢らせてください! お願いします!」


 奢る方がここまで低姿勢とは。断りにくい。


 でも、初対面の女の子と食事はハードルが高すぎる! 

 行きたいのは、行きたいけど。そんな勇気は俺にはない。


「き、気持ちは嬉しいけど……い、行きたくないわけじゃなくて」

「行きたいのよね!?」

「は、はい!」


 睥睨され、俺は反射的に背筋を伸ばし答えた。


「あんたも! こいつコミュ障で自信ないんだから、もっとぐいぐい行きなさい!

 行きませんか? 行くんですね? 行きましょう! くらいでいいのよ!」

「でも、それだと迷惑かもしれないですし……」

「迷惑だと思うなら人助けなんてしないでしょ!」

「そ、そうなんでしょうか」

「そうよ! 少なくともこいつはそうよ!」


 暴論だ。横暴すぎる持論だ。しかし確かにそれは間違っていない。


 事実、俺は誘われて嬉しかったのだ。断る理由を探していたのは、単純に怖かっただけで、行きたいとは思った。


「なんなの? 初々しいカップルなの? 食事行くくらいで深く考え過ぎなのよ、あんたたちは!」

「「ご、ごめんなさい」」


 同時に頭を下げる俺達を見て、リリィは厳めしい顔のまま言う。


「よしっ! 行け!」

「「は、はい!」」


 軍隊さながら、訓練された兵士のように足踏みをそろえながら、俺とニースは街道を進んだ。ぎこちない動きで歩いていたが、次第に自然になり、人ごみに混じる。


 なぜかお互いに顔を見合わせて、小さく笑い合った。


「なんか、すみません」

「い、いや、こ、こっちこそ」

「でも、本当にいいんですか? 気がすすまない感じでしたけど……無理を言ったんじゃ」

「ち、違うよ。俺、こういうの苦手っていうか、むしろ気を遣わせたんじゃないかって」

「そんなことないですよっ! 私はリハツさんと話したいなって思ってただけで。あ! も、もちろんお礼もですよ! でも、それはこれでお別れになるのは寂しいなって思ったからで、ふ、深い意味はないんですけど」


 安心して良いよニースさん。俺はこんなことで勘違いしないからね!


 身の程はわきまえている。突然、年下の女の子に慕われてアピールされるなんて妄想したことありませんとも、ええ。


「うん、わかってるよ」

「え? あ、そうですか……」


 少し残念そうに見えるのは気のせいだ。勘違いしてはならない。この子、俺に気があるんじゃね? と暴走する青春的思考はすでに俺の中にはない。


 そしてしばしの無言。かなり気まずいが、なにを話していいのかわからない。


 SW初めてどれくらい? 職人って普段なにを作ってるの? なんでヒーラーやってるの? パーティー組まないの? とか色々頭に浮かぶ。だがそのどれもが言葉にならない。


 会話をするってどういうことなんだろう。意識すると余計に話せない。なにも考えず、思い浮かんだことを話せばいいのだろうか。しかしそれは会話になるのか。


 浮かんでは消えを繰り替えず言葉の欠片。手に取って確認し、手放す。


 地面とにらめっこをし続けていた。その石畳に明かりが射す。夜半、道を照らすのは窓から射す室内の光、それと道に点在している街燈だけだ。


 しかし、眩いばかりに地面を照らしている。俺はなにごとかと視線を上げた。


「なんだこれ」


 空中に舞う、光の玉。赤、青、緑、黄色、紫、ピンク。色とりどりの光球は空をゆったりと漂っている。それが無数に空を、街を彩り、人々の顔を輝かせる。


 地面から光の粒子が浮かび、霧散する。掴んでみると、感触も温度もなかった。神秘的で心を洗われるような光景だった。


「夜光祭ですね。今、イベント中なので」

「夜光祭……?」

「プレイヤー主導で行われている定例行事よ。お盆時に行われるの。やってることは街を照らすグロウ・フライを放つってだけ。あとは露店とか踊りとかもあるけど」

「夏祭り、みたいな感じか」

「そうね。それに夜は暗いから、明るくするだけでも違うでしょ?」

「ですねっ。私は好きですよ、夜光祭。街中がキラキラして、なんだかファンタジーって感じじゃないですか」


 はしゃぐ気持ちを抑えられない感じのニースに対し、俺はぽかんと口を開けたまま、空を見上げたままだった。


 空には蒼月が我が物顔で浮かんでいる。それに負けじとグロウ・フライは輝き続け、世界を照らす。豪奢でも煌びやかでもない。厳かで、柔らかい。あれは主役ではない。なにかを引き立たせるような存在だ。それはもしかしたらプレイヤー達を賛辞している、ということなのかもしれない。


「どうしたの?」

「綺麗だ」

「……ふふ、そうね」


 耳元から聞こえるのはリリィの声だ。彼女が肩に座ったと気づいたのは、しばらく経ってからだった。


 不思議な感覚に俺は戸惑い、そして身を委ねた。

 こういう感情をなんというんだっただろうか。


 そうか、そうだった。


 俺は感動しているんだ。

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