第8話 出会いは瞬間、逢魔が時

「え? な、なに?」


 切迫した声音に、俺は狼狽してしまう。


 リリィに助けを求めるように視線を向ける。だが彼女の視線は遠く彼方へと向けられていた。


「見て、あれ!」


 指差す先には小さな異変があった。何かが動いている。距離はまだあるがここに来るのも時間の問題だろう。


「トレインだわ。誰かがMOBに絡まれて逃げてるみたい。こっちに向かってる」

「そ、そうか。じゃあ、俺は端に寄っておいて」


 そろそろと移動する仕草を見せる。


 何かしらのツッコミがあると考えていたのだが、予想に反してリリィは首肯を返してきた。


「そうね。巻き込まれない方がいいわ。助けるにしても、あんたじゃ無理だし」

「……そ、そりゃそうだよな」


 事実を言われただけだ。初心者の俺が誰かを助けるなんて出来るはずがない。そもそも、俺自身のこともちゃんとしていないのに他人を救うなんておこがましい。


 けれど。


 なんだろう。なんとなく、納得いかなかった。


 確かに初心者なのだから、弱いのだから巻き込まれないように逃げるのが普通なんだろう。実際、無駄死にするだけなのだから。


 でも、なぜか気はすすまなかった。


 俺は善人じゃない。だから親切心で助けたいと思っているわけじゃない。

 多分。俺は不可能だと言われたくないだけだ。


 どれだけ言葉を並べても、こう思ってしまう。本当にそうなのか、と。

 どうせおまえには無理。出来るわけがない。諦めればいい。確率は低い。

 成功した人間には、才能があった。努力した。運が良かったと言い、周りの人間は自分を納得させる。それは言い訳だ。


 俺もそうだった。今もそうだ。


 けど昔の俺はそうじゃなかったはずだ。


「敵は何体だ?」

「四体。ガーガーみたいね。あれアクティブだし、しつこいから」


 確かリリィがガーガーでも狩ればいい、みたいなことを言っていたから、そんなに強いわけじゃないだろう。


 だったらなんとかなるかもしれない。


「ト、トレインですぅ、離れてくださいぃ!」


 さっきの女の子の声だ。どうやら彼女が当事者らしい。


 姿が見えた。小柄で、ひらひらとした服装をしている。あれはヒーラーだろうか。


 彼女を見て、脳裏をよぎる姿があった。助けないといけない。そう思った。


「あんたまさか、助ける気?」


 俺はしたり顔で答えた。


「まま、まあ、そそ、そのつもり、だ」

「完全にびびってるじゃないの!?」


 おいおい、どうした俺の足。がくがく震えてるじゃないか。


「い、いやぁ、ゲームとわかってても、ここまでリアルだとやっぱり怖いというか」

「だから、別に助けなくていいでしょ。四体に絡まれるって完全に自己責任だし」

「確かに、そうかもしれないけど」

「じゃ、離れてましょ」


 薄情だとは思わなかった。だってここはゲームなのだ。死んでも生き返るし、攻撃を受けてもさほど痛くはない。しかし少しは痛いのだ。


 泣きっ面で必死で走っている少女は、間違いなく怖がっている。自分も同じだったからわかる。怖いのだ。現実味が強すぎて、対峙するのも最初は怖かった。


 今も同じ心境だ。しかしその今は、引きこもりをしていた時は含まない。


 あの時は俺には力がなかった。なにもなかった。なにもしなくても助けて貰えていた。だけど今は自分の力でどうにかするしかない。


 抗う力がある。どうすればいいかわからなかった現実とは違い、自分がすべきことも、したいことも自分で選択出来る。


 だったら、手助けもまた自分で選択すればいい。


「よ、よしっ。よっし! 行くぞ!」

「ま、マジで言ってんの?」

「おまえには言ってなかったけどな、俺は昔……負けず嫌いだったんだよ!」


 どたどたと走る。間違いなく不格好だが、気にする余裕はない


「ちょっとおおおぉっ!?」


 後方でリリィの制止する声が聞こえた。


 しかし振り返らない。

 踏み出した足は止められない。もうここまで来たらやることは決まっている。


「特攻じゃあああっ!」


 右手にナイフを携え、俺は走った。

 こちらに迫る少女とMOBの集団。


 目が合うと、少女は安堵したようにくしゃっと表情を変えた。


「た、助けてくださいぃっ!」

「まかしぇろー!」


 絶賛噛み噛みタイム中だ。しかし俺は構わず、集団の一体に攻撃した。


「にょらっ!」


 二体目も攻撃。ただ絡まれただけらしく、ヘイト値は低かった。そのため一撃でタゲをとることに成功した。


 三体目、四体目も攻撃。

 よし、これで女の子にタゲはいってないはずだ。


「いって!」


 まさに四面楚歌の状態だった。


 ガーガーは鳥型のMOBらしい。見た目はカラスに近いが、頭部には角がある。そして最も特徴的なのはその体躯だ。鷲くらいの大きさがある。


 それがガーガーと言いながら、足の爪で俺をひっかく。攻撃しては空へ逃げ、迂回してまた攻撃。やってることは単調なのに、軌道が読めない。スライムとは違い機動力があるため、対応するのが難しかった。


 『ガーガーAの引っ掻き。リハツの肩に直撃し、ダメージ7』


 HPゲージが徐々に減る。

 これは倒し切るのは厳しそうだ。スライムよりは強いらしい。


「にょげて!」


 振り返り、女の子に叫ぶように言った。


「で、でも」

「いいから、早く!」


 もう話す余裕はない。俺はガーガー達に対峙すると、気を取り直した。

 覚悟を決めてなかった。衝動的に助けに入ったため、対応が遅れている。


 前後左右をガーガー達が取り囲む。


 俺は右方に走り、なんとか敵全てを視界に入れようとするが、上手くいかない。


 『ガーガーBの攻撃。リハツのふくよかな腹にくちばしが刺さる。ダメージ1』


「このログ悪意あるよね!? しかもダメ少ないって、俺の脂肪どうなってんの!?」


 『ガーガーCの引っ掻き。リハツの足に直撃。ダメージ6』


 敵は周囲を旋回し、俺を嘲り笑うように一定の距離を保っている。


「くっ、いやらしい動きするなよ!」

『ちょっと、リハツ! 大丈夫なの?』


 リリィからのWISだ。俺に対して、リリィは冷静沈着な様子だった。そりゃ、プレイヤーとは心境が違うだろうが、ちょっとだけムッとしてしまう。


「いやぁ、まずいね。これは。回復アイテムがあればまだよかったけど……いてぇ! 後ろから背中狙うな。こりゃぁ!」

『怒鳴ってるところ悪いけど、迫力ないわよ……それより、いいの? あれ』

「ちょっと、今取り込み中なんだけど!」


 『ガーガーDの攻撃。リハツは回避した』


「へっ! どうだ! スライムとの戦いばかりしていた俺に死角はない!」


 俺のHPの最大値は188。しばらくは耐えれそうだが、敵の回避率は高い。攻撃速度も、次の攻撃も早いため少しずつHPが削られていく。


 HPが3分の1削られてしまい、攻撃もかなり外れている状態。


 適当に武器を振り回しても中々当たる気配はない。最初の一撃はタゲが女の子にあったおかげであたったのかもしれない。なんてずる賢い戦い方をするMOBだ。


 女の子も逃げただろうしそろそろ俺も離脱した方がいいのだろうか。しかしそれではトレインの率いるキャラが変わっただけで、また他の人を巻き込むかもしれない。初心者だと死んでもペナルティはないとリリィは言っていたし、ここでおとなしく死ぬ方がいいのかもしれない。ちょっと怖いけど。


 俺の心中は諦観に染まりつつあった。


「あれ、なんだか、あったかい?」


 光の粒子が俺を包んだ。それが上昇しながら、身体の周りを流れる。オーロラみたいだと思った。温度はこたつを思い出してしまい、そのギャップに俺の脳内は自嘲気味になる。


 HPが徐々に回復している。これは治癒?


「だ、大丈夫ですかっ!?」


 ふんわりとした空色の髪を左右に揺らしながら少女はいった。


 年は十三、四くらいだろうか。頭の上にぴょこんとネコ耳が乗っている。キャリナらしい。童顔で小柄。華奢でいかにも女の子らしい容姿をしている。しかしその顔は真剣そのものだった。


「き、君はさっきの。逃げたんじゃ」

「戻ってきましたっ!」


 おいおい。せっかく逃がしたのにこれじゃ無駄じゃないか。


『だから、いいの? って聞いたのに』


 慌てて、周りに声が聞こえないように設定して叫んだ。


「絶対に、途中で諦めたよね!? 結構間隔空いてたよ!?」

『だって、めんど……じゃなくて、気をとられて?』

「諦めんなよ!」

「あ、あの! ふ、二人ならなんとか倒せるかもです!」


 と、眼前にウインドウが開く。


 『ニースのパーティーに入りますか?』


「ここ、こ、これって」

「お願いしますぅっ! 辻だとこのスキルしか使えないんですぅっ!」


 なにをお願いするのかよくわからなかったが、彼女も必死らしい。


 ここで断ったら、多分傷つけてしまうだろう。いやしかし、こんな風に初パーティーを組むとは思わなかった分、一気に緊張が走った。


 俺は人づきあいが苦手だ。コミュ障だ。例えどんな状況でも自然と、大丈夫か、何を話せばいいんだ、もしかしたら気を遣わせているんじゃ、と考えてしまう。


 『ガーガーBの攻撃。クリティカルヒット。リハツに15のダメージ』


 残りHPは半分を切った。回復が間に合ってない。


「は、早くぅ、お兄さん死んじゃいますぅ」

「ううっ、わ、わかった!」


 俺は『はい』を選択した。すると、俺のゲージ下に女の子のゲージが表示される。


 そこには名前ニース・ホワイト。職業は僧侶と出ていた。

 するとすぐさまニースはうねうねと何やら手を動かし叫んだ。


「キュア!」


 俺のHPゲージが一気に50程回復する。


「おお、これが治癒! って、やべぇ!?」


 回復したせいでヘイトがニースに移ってしまう。


「こっち来ますぅっ!」

「しょりゃあっ!」


 横から卑劣な攻撃を繰り出すと、当たった。


 なるほど。つまり正面からの攻撃より、横や後ろからの攻撃の方が当たりやすいのか。


 しかしタゲをヒーラーに渡すのは危険すぎる。

 俺は他の三体に『強撃』を繰り出し、なんとかタゲを取り返した。


「回復はぎりぎりまで待って!」

「は、はいっ!」


 四体の連携は巧みだ。しかし、攻撃の瞬間に大きな隙がある。


 スライムの体当たりに対してカウンターをしたのと同じ要領だ。ガーガーは数が多いため、どこから来るのかわからない。さすがに後方の敵の行動までは読めない。


 しかし今は回復手段がある。回避を無視して、攻撃に専念すれば勝機はある。

 一体を凝視する。他の三体は無視だ。攻撃を食らっても我慢する。

 ガーガーA。おまえが最初の獲物だ。

 肩や背中に僅かな痛みが走る。しかし俺は微動だにしない。


「だ、大丈夫ですか!?」

「大丈夫! 回復は待って!」


 HPには余裕がある。あと三ターンは持つ。

 まだか。まだなのか。奴の攻撃はまだか。


 旋回していたガーガーAは空中に浮遊、そして態勢を整え、こちらへ直滑降する。


「今だぁ!」


 反射的に僅かに左へ移動。同時に片膝をつく。


 頭部を狙うガーガーA。

 軌道を読み、俺は『スラッシュ』を発動。斬り上げの軌道がそのまま、ガーガーAに吸い込まれる。


 『リハツはスラッシュを放った。ガーガーAに直撃し、ダメージ13。ガーガーを倒した』


「よし!」


 何度か攻撃を当てていたおかげで倒せたようだ。


「やったぁっ!」


 ニースはもろ手で喜んでいる。もしかしてゲーム自体初心者なのだろうか。


 続けて二体目、三体目と倒し、残り四体目。

 ニースに一度回復を頼み、最後の一体も同じ要領で倒した。


 意外にあっけないものだ。パーティーを組むとこうまで違うものなのか。


「た、倒した」

「すごい、すごいですぅっ!」

「い、いや大したことないよ。それより回復助かった。あれがなかったら死んでた」

「いえいえ、最初に助けて貰ったのはこちらですからねぇ、恩を仇で返すわけにはいきませんから」


 年下なのになんとしっかりした子だろうか。


 じんわりと心が温かくなり、ちょっと目頭が熱くなってしまうのは、俺が歳をとったということなのだろうか。まだ十八なのに。


「自己紹介遅れました。ニースです! 実は戦闘は苦手で、普段は職人してますっ」


 ああ、なるほど。それでジョブがヒーラーなのに、初心者みたいだったのか。


 しかし自己紹介か。学校を思い出してしまうな。教壇に立たされて、名前と趣味とか無理やり話すように言われて、どもって、くすくすされた過去をな!


 ああ、なんか緊張して来た。


「お、おりぇ」


 緊張が更に増した。


「お、俺、はリハツ、よろしく」


 片言だがなんとか言えたのは奇跡的だったと思う。なぜなら一度失敗したら二度目も失敗するのが俺だからだ。


「リハツさんですかぁ、いい名前ですね!」


 ええ子や、ええ子やでこの子。


 噛んだのに笑顔のままで話すまで待ってくれたし、もしも「は? 何言ってるんですか?」とか「え? いまなんて?」って聞き返されたら俺はここから逃げ去っていただろう。


 人間、寛容さが大事だね。


「何をなごやかに話してるのよ」


 今更やって来たよこの子。社長出勤ですか。ナビに期待してはいないけど、なんとなく釈然としない気分だ。


「こ、こんにちは。私はニースです」

「あたしはリリィ。よろしくね」

「は、はい」


 ぎこちない挨拶もつかの間、俺はにやりと笑った。

 少しくらいからかってもいいよね?


「これはこれは、離れたところで見ていたリリィさんじゃありませんか」


 俺はリリィをドヤ顔で迎える。


「勝ったよ? ねえ勝ったよ? どんな気持ち? あんたじゃ無理よ、とかちょっと悟った感じで、偉そうに言っておいてどんな気持ちなの? ねえねえねーーーえーーー?」

「うっざいのよおおぉっ!」


 フルスイングで平手打ちされた。頬がややひりひりするが大したことはない。


「効きませんなぁ?」

「くの、くのっ! バカッ、バカぁぁっ!!」


 なんか駄々をこねてるみたいでちょっと可愛いかもしれない。


 痛くないけど、ふふ、仕方がないな、みたいな気持になってくる。なにも仕方なくはないけれど。


「あ、あの」

「ほらワンツー! どうしたそんなんじゃ世界取れないぞ!」

「うっさいぃ! 死ね、死ねぇっ!」

「死んでも生き返る。そう、冒険者ならね」

「はぁはぁ、ぜったい倒す!」

「あのっ!」


 ニースが声を張り上げる。思わず彼女を見ると、申し訳なさそうに俯きながら、正面を指差した。


「ななな、なんか来てます」


 指し示す方角をリリィと共に見た。


「なにあれ」

「あ、そういえばもう夜になりそうだったわね」


 日は陰り、間もなく日没という感じだった。

 だがそれがなんの関係があるのかは、俺は知らない。むしろどうでもよかった。

 今はそれどころではなかったからだ。


「幽霊みたいなのが来てる!?」


 人の形をしている。女性の霊に見えた。下半身はなく、ボロボロのドレスを着ている。眼窩は黒く窪んでおり、口をだらりと開けている。リアルで怖い。


 ふわふわと浮かび、止まっては移動を繰り返していた。


「あー、ゴーストね。夜に出るのよ。まだこっちに気づいてないから早く離れたら?」

「そ、そうだな」

「わ、わかりました。あ」

「あ? あ!」


 目と目があった。その瞬間、確かに俺は見た。ニヤッと笑いこちらへ迫る姿を。


「こえええっ!」

「きゃあああっ!」

「はいはい、さっさと逃げましょ。あれにはさすがに勝てないから」


 全速力で離れる俺とニース。リリィは優雅に、余裕ある感じで俺達の後ろを飛んでいた。

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