第3話 ナビと妖精とリリィ
女の声だ。甲高く、俺を戸惑わせるような声音だった。
俺は驚き、その場から身動きがとれなくなった。人間は許容出来ない事態に陥ると、悲鳴を上げるか、硬直してしまうらしい。俺は後者だ。
反応をするな。そうすれば呆れてどこかへ行くはずだ。
人通りがない場所で座り込んでいたせいで、目についてしまったんだ。だから、自分の選択は正しいと思った。
「ねえ、聞いてる? ねーえー?」
だが、失敗だった。
なんて空気の読めない奴だ。俺がこうして、あえて気づかない振りをしているというのに、無遠慮な態度を貫くなんて。これだから女は嫌いだ。いや、男も嫌いだけど。
俺が無視を決め込んでも、女の子は何度も何度も話しかけてきた。
やめてくれ。俺は一人でいたいんだ。
膝を抱え、地面しか見えないようにしている。顔を見てしまったら、会話をしなければならない。一度直視して、また無言で居続ける勇気は俺にはない。
しかしやがてその攻防は終結を迎えた。
ごつごつとした石畳を背景に、なにかが俺の眼前に出現したからだ。
「うお!? 虫!?」
鼻先にいたそれに俺は驚き、思わずのけ反った。その拍子に壁に後頭部をぶつけてしまう。
「いったっ……くない?」
相当な勢いがあったはずなのに、痛みはそんなになかった。少し強めに頭を殴った程度の痛みだ。感触も衝撃もあったのに、痛覚だけに違和感がある。
思わずさすると、血も出ていない。どうやら感覚が麻痺しているわけではないようだ。
「そりゃ、そうよ。痛覚制限してるんだから」
「ななな、なんだ!?」
ぱっと思い浮かんだのは、人形が飛んでいる、という言葉だった。しかし、それはすぐに違うとわかった。
手のひら大、程度の大きさ。人間を縮小した姿は、フィギュアを連想させた。しかし、よりリアルで、より人間に近い。表情を動かしているため、生きていると認識出来た。背中には薄い萌黄色の羽があり、ゆるやかに上下している。
キラキラと光る粒子が周囲に舞い、ゆっくりと地面に落ちては消えていた。現実感が希薄だ。しかし俺は見惚れてしまってもいた。
服装はカジュアルなドレスをファンタジー風にして、フリルやアクセサリーを施しファンシーなイメージだった。似合うという言葉はこのためにあるように感じた。
桜色の髪はサイドポニーテールにしている。風に揺られている様は、少し快活な印象を俺に与えた。瞳は薄いグレーで、透き通っている。それが俺を凝視していた。いや、むしろお冠なご様子だった。
「何度も何度も声かけてるのに、無視するとかどういうつもりなの?」
両腕を組み、空中で仁王立ちしている。
彼女を形容する言葉がふと思いつく。そうだ、妖精だ。
「あのさ、ここに降り立った時から、ずぅぅぅっっと、傍にいたのよ!? なのに、気づきもしないし、気づいても無視するし、怒りとか通り越しちゃったわよ、もう」
無視、はもう出来そうにない。顔を見てしまったし、目もあった。これ以上、知らぬ存ぜぬを通すのは無理があるだろう。
ああ、イヤだ。話したくない。絶対、噛む。噛むし笑われる。バカにされる。なにこいつって目で見られる。それが耐えられない。けれど、この針のむしろ状態も耐えられない。
俺は迷いつつ、意を決してゆっくりと口を開いた。
「ご、ごめんひゃい……」
ほーら噛んだ。声も上ずってた。もうやだ。
俺は内心泣きそうになりながら、ここからどうやって逃げようか考えていた。
しかし、妖精は俺の思いに反して無反応だった。
「謝るくらいなら最初からしなきゃいいじゃん。はぁ……ったく」
「え? あ、ご、ごめ」
「もういいって。とりあえず話してくれるみたいだし、むかつくけど」
「ご、ごめなさ」
「……おーけー、わかった。そういう感じなのね。ほら、もう怒ってないから、謝らなくていい。とりあえず、話がしたいだけだから、ね?」
「あ、うん、は、はい」
なぜか正座になる俺。というかこの妖精はなぜ俺に絡んでくるのだろうか。知り合い、というわけでもなさそうだ。当たり前だけど。
いや、しかし外見は小さくとも、中身はプレイヤーという可能性もある。NPCと決めつけるのは早いか。それに普通に会話が出来ているし、これがAIと考えるのは難しかった。
「あたしはリリィ。見ての通り、種族は『妖精』ね」
「あ、俺は、と、戸塚リハツ、です」
「ん? プレイヤーネームはリハツになってるわね。苗字まで言わなくてもいいのよ」
「あ、ごめん、なさい」
「……まあいいわ。あんた、どう見ても状況がわかってないわね。説明受けなかったの?」
借金が出来たということと、SWに連れてこられたというのは知っているが。それ以外はよくわからない。内藤はなにか話していたような気がするが、気もそぞろだったし。
「受けたような、受けていないような」
「あんたのことなんだから、ちゃんと聞いておきなさいよね」
「す、すみません……」
委縮した俺を見て、リリィは何度目かの嘆息をした。
「あのさ、そんなびくびくしないでよね。こんなちっこい妖精相手になんで怯えてんのよ」
「あ、いや、だって……怒ってるし」
リリィの頬が痙攣した。なにかイラつかせてしまったらしい。
「だあああっ! もうっ! 一々謝らない! 目を見て話す! あ、とか最初につけない!」
「ご、ごめ」
「それやめろっての!」
反射的に謝ろうとして、なんとか止めた。リリィの表情が完全に怒っていたからだ。
「そもそも初心者が話しやすいようにこんな恰好になってるのに、なんで委縮しちゃうかな。偉そうにされたら、そりゃムカつくけど、卑屈にされるのもムカつくの!」
「ご」
「あ?」
怒り心頭に発するとは正にこのこと。鬼の形相で俺を威圧するリリィに、俺は小さく悲鳴を上げて、言葉を飲み込んだ。
なにこの子。怖い。
「な、なんでもないです」
「ふぅーー。いい? コミュニケーションってのはなにもしないのが一番ダメなの。一人ならそれでいいかもだけど、誰かといる時は、話す、目を見る、笑う。出来る出来ないじゃない、やるのよ、おーけー?」
「そ、そんな無理」
「や・れ?」
「……はい」
誰かに怒られるのは何年振りだろうか。
最後に怒られたのは、多分、父親からだった。それも二年以上前のことで、それ以降は家族でさえほとんど接してこなかった。
正直、初対面で説教されて、俺は不愉快だった。しかも妖精に。
ていうか誰だよこいつ、という反発心が生まれてしまう。
「よしっ!」
腰に手を置いて、にこっと笑うリリィを見て、なぜだか毒気が抜かれてしまった。
苛立ちも、不満も一瞬忘れてしまうほどに、その笑顔は澄んでいた。見惚れた、という表現が最も正しい。それほどに俺は誰かに笑顔を向けられるという当たり前なことに慣れていなかった。
「じゃ、説明してあげる。まず、あたしはあんたのナビ役のNPCね。初心者は事前に説明しても全部は覚えられないから、あたしみたいなキャラが必要ってわけ」
「NPC、なのか?」
「そうよ?」
「いや、でも普通に話して、るような?」
「そういう風に感じる程に複雑なプログラムを組んでるだけ。人工無脳と人工知能を活用しているのよ。大本はリンクシステムっていう自律型プログラムサーバーのがすべて演算処理しているわ。つまりスタンドアローン。人間の手を借りずに自動生成ブログラムによって、SW内の全てのコンテンツを作成、運営している、スパコンよ。専用回線のイントラネットを通じて、各所のプレイヤーとも同時接続が可能ってわけ。プロトコル全般も常に改良しているから、ラグもないし、バグもないわ。医療機器の部分は人間が管理しているから、完全に独立しているというわけでもないけれど」
「……つまり?」
「つまりって、全部説明したじゃない?」
どうやら説明に不足はないらしい。ということはこういうことだ。
「わ、わかった。俺にはわからない」
「そ、そう。確かにわかりにくかったかも、ごめん」
ぺこりと頭を下げてきた。おかげで俺は動揺してしまう。
笑顔を向けられるのも、説教されるのも、謝られるのも久しぶりだ。
「い、いや、別に」
「まあ、ゲームをするのにどうやって出来ているか、なんて必要ないもんね。とにかく、ゲーム内の話をしましょうか」
言うと、リリィは無造作に俺の肩に着地し、座った。
「おわっ!?」
「きゃっ! と、突然動かないでよ!」
「あ、いや、ごめん。驚いて」
「ずっと飛んでたら話にくいし。いやなら離れるけど?」
「あー、いや、別に」
「別に、じゃなくて、いやなの? いいの? どっち?」
あ、まずい、多分これは怒る予兆だ。声がちょっと低くなった。
「いいです!」
「おっけ。じゃあ、UI開いて」
「なにそれ?」
「そっか、知らないってことはあんたゲームあんまりしないのね。えーと、UIかユーザーインターフェイスって言ってみて」
リリィが話すと、微かに耳に息の感触が、するようなしないような。
「え? あ、と、UI?」
言葉を口にすると、目の前になにかが現れる。
左上にHP、MP、SPと書かれており、横からゲージが伸びている。赤、青、緑の順に色が異なっている。
右下にはメニューと書かれたボタン。画面にあるのはそれだけだ。
ホログラムというよりは、視界に張り付いたという表現の方が的確な感じだ。視線を動かすと表示画面も移動した。確認しようと思いつつ、ゲージやメニューボタンを見ると、なぜか拡大される。特別な操作はしていない。目線を動かしているだけだ。なのに、移動と拡大縮小が自動的に行われていた。
「見える?」
「あ、うん。これ、ゲームで見るやつだな」
「そそっ。思考操作も適用されてるから最初は慣れないかもだけど。えと、つまり、『見ようと思った対象に対しては拡大したり目線中央に自動的に移動』したり『画面が開いたり、何らかの操作が出来る』方法ね。なんとなく見たいとか、無意識に視線が動く場合は思考操作が適用されないから、誤作動は起きないわ。複雑な操作をする場合は、慣れが必要だけど」
「わかったようなわからないような。つまり、念じる的な?」
「近いわね。人間は、意識的、無意識的に行動するものだけど、それを判別しているという感じかな。実際、あんたの身体を現実と変わらないように動かしているのも、思考操作なわけだから。ただ慣れない分、コツも必要ってわけ」
「便利だけど、なんとなく違和感が……」
「最初は音声操作と手動操作を併用するといいわ。慣れれば全部思考操作で出来るから。じゃあ、メニュー画面開いて。操作方法はどれでもいいから」
「わ、わかった」
どうせなら思考操作の方がいいだろうと、頭の中でメニュー画面を開きたいと思い浮かべる。すると、ずらずらとアイコンが出てきた。
「装備、ステータス、スキル、アイテム、ギルド、クエスト、パーティー、フレンド、マップ、設定って出てる。よく見た構図だな」
「まあね。ここは仮想現実でもゲームをベースにしてるから。ちなみに、目的画面は過程がなくてもいきなり開くことも可能だからね。じゃ、ステータス開いて」
言われるままにステータス画面を開く。少し遅れて表示されると、そこには名前、種族、装備や能力値、称号、ジョブ、所属ギルド、所持金という項目が表示されていた。
名前
・リハツ
種族
・ヒュミノリア
ジョブ
・見習い冒険者
サブジョブ
・なし
ステータス
・HP 140
・MP 20
・SP 100
能力値
・STR 8
・VIT 6
・MND 3
・INT 2
・DEX 5
・AGI 4
称号
・なし
所属ギルド
・なし
装備
・右手 なし
・左手 なし
・頭 なし
・体 見習い冒険者の服
・腕 なし
・脚 見習い冒険者のズボン
・足 見習い冒険者のブーツ
・アクセサリー なし
所持金
・5000ゼンカ
と、表示されている。
なにか足りない気がする。なんだろう、と考えながらなんとはなしに視線を下ろした。
今更ながらに気づいたが、自分の服装はファンタジーのそれだった。西欧風の昔ながらの衣服と言えばいいだろうか。その割には生地はしっかりと出来ているようだったが。
しかしこの腹。自分を見下ろすと下半身がほとんど見えない。多分スタイルがいい人間なら様になるのだろうが、俺が着るとコスプレにもならない。
「現在の装備とかはそこで見られるから。じゃ、スキル開いて」
「……うん」
やや気落ちしつつ俺は、スキル画面を開く。
パッシブスキルとアクティブスキルというタブがあった。パッシブの下にはフィジカルスキル、ノンフィジカルスキル、効果上昇スキル、エクストラスキルという項目がある。アクティブスキルには戦闘スキル、生産スキル、その他スキルがある。まだなにも覚えていないらしく、スキル名は一つもなかった。
「そこで今覚えているスキルが確認出来る。使用条件とか効果とかもわかるから、新しく覚えたら確認するといいわよ」
「MMORPGが基本なんだな」
「あら、少しは知ってるんだ? うん、そうよ。オーソドックスなUIとシステムになってる。自由度は比較にならないけどね。さて、簡単な操作は教えたし、行きましょうか」
「い、行くってどこに?」
「装備がないと話にならないでしょ。まずはやってみないと向いているのか向いていないのか、楽しいのか楽しくないのかもわからないからね」
正直、面倒臭いという思いが強い。だが、もう家には戻れないのだろうと思い始めてもいた。この世界、SWで自室のような生活空間を作るには自分でどうにかするしかない。
それも手間がかかる。結局、結論が出ず、俺はリリィの言葉に従うことしか出来ない。
「わ、わかった。どこに行けばいい?」
「さあ?」
「ナビ役だよね!?」
「あははっ。一応さ、わかるにはわかるんだけど、数が多くて。この世界MOBとペット、あとあたしみたいなナビ以外はほとんどNPCいないから」
「それでどうやって、ゲームとして成り立つんだ……?」
「ま、それは追々ね。とりあえずマップを開いて、武器屋探して手当たり次第入るか、露店で交渉して買うかのどちらかね」
交渉、という言葉を聞いてイヤな予感しかしなかった俺は、即座に応えた。
「……店、探す」
「でしょうね。露店だと絶対、高値で買わされるし、交渉術も必要だから」
重い腰を上げて、マップ画面を開きつつ、俺は街道へと戻った。
喧噪が聞こえると、ズンッと腹の奥底に重りが生まれたような気がした。
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