第2話 ログイン

 ふわふわとした浮遊感の後に、重力を感じた。目を開けているのか閉じているのか、それさえもわからず、俺はじっとしている。けれど不安は一切なかった。自分の状態を把握出来ているわけでもないのに、根拠のない安堵を抱いていた。


 視界が広がる。寝起きのように、歪んだ情景が徐々に明瞭になった。

 煌めく星々が俺を見下ろしていた。恒星か惑星か、はたまた衛星か。それを見分ける術は俺にはない。ただ爛々と瞬くそれを見て、素直に綺麗だなと思った。


 地面は透明で、足裏を中心に波紋が幾つも広がっている。水辺に浮かんでいるような状態で足元がおぼつかない気がするが、不安定とは思わなかった。


 辺りは暗い。しかし星の光があるおかげで、視界は確保出来ていた。


 ここはどこなんだろう。俺は確か、エニグマ支社にいたはずなのに。

 少しずつ不安が顔を出し始めていた。これからなにが起こるのか、推測も出来ない。


「だ、誰か、いませんか?」


 人を恐れているのに、完全に一人の状況になると、人を求める。結局、俺は誰かに依存して生きていたのだろう。だが、そんなことはどうでもよかった。この不安をどうにかして欲しい、それだけしか頭になかったからだ。


『天地開闢の時より、人と魔物は争い、己が存在を誇示し続けた』


「な、なんだ?」


 見上げると空には文字が浮かび、そして消えた。女性の機械的な声。それは俺の行先を示す、いわばプロローグだ。


『人は滅び、魔物は滅ぶ。そして世界は創られ、また営む。その世界はアエリアル。幻想の息吹が感じられる、二つ目の世界』


『あなたはアエリアルの住人。家族、友人、恋人、知り合いもいない世界で、あなたは第二の人生を歩むことになる。そこでどう生きるかはあなたの自由。戦いに明け暮れるも、物を作り生活を豊かにするも、あらゆる地を旅するのもあなた次第』


『舞台は用意された。しかし、世界を作るのはあなた達だ。どうか、新たな幸福があらんことを』


 文字は消え、それ以上は表示されなかった。閑寂の世界の中でおろおろとしていると、目の前に突然、なにかが現れた。


 ホログラムで表示されたウインドウだ。そこにはこう書かれていた。


 『あなたの名前を入力してください』


 見覚えがある。ネトゲでは最初にサーバーを選択し、キャラクタークリエイト画面になるものだ。もちろん、すべてがそうだとは言わないが、今回はそれに該当するだろう。


 SW、だったか。仮想現実やら電脳世界、VR。その世界へと俺は足を踏み入れようとしているのだろうか。


 俺は数秒間だけ迷った。覚悟を決めていなかったからだが、どうせここで足踏みしても意味がないとの結論に至り、名前を入力することにした。


 『音声入力、手動入力が出来ます。思考入力は誤作動の可能性があるため、使用出来ません』という注記があった。


 思考入力、という言葉には耳慣れないが、今は気にしなくて良さそうだ。

 俺は手動で『リハツ』と入力した。安易だとも思うけど、なぜか本名に近い名前にしたいと思った。むしろそうするべきとさえ思っていた。


『入力確認。リハツ、様でよろしいですか?』


 発音が微妙に違う。リの調子が高い。発音変更ボタンを押し、改めて調整した。


『入力確認。リハツ、様でよろしいですか?』


 今度は問題ない。OKボタンを押した。


 次は初期ジョブの選択とか、キャラの容姿を作成する画面だろうか、そう言えばまだサーバーを選択していない。いやそもそもサーバーをプレイヤーが選択するのだろうか、と考えていると、再びウインドウが出た。


『種族を選んでください』


 どうやらキャラの種族を選ぶようだ。


 ヒュミノリア:平均的な能力で器用貧乏だが、偏りがない分、選択肢も多い。


 キャリナ  :AGIとDEXが高く、STRとVITは普通。INTとMNDは低い。敏捷さを武器としているため、魔術、魔法、神術には向いていない。


 エルファン :INTとMNDが高く、その他は低い。魔術、魔法、神術に長けているが、防御力が低いため、前衛には向いていない。


 ドワフル  :VITが著しく高く、STRは普通。それ以外は低い。タンクに向いているが、それ以外のジョブには向いていない。


 ドラグーン :STRが著しく高く、VITとDEXは普通。それ以外は低い。アタッカーに向いており、タンクも出来なくはないが、後衛職は難しい。

 

 ヒュミノリアは人間、キャリナは人型の猫族、エルファンはエルフ、ドワフルはドワーフ、ドラグーンは人型の竜族みたいな容姿をしている。


 初期段階ではどういう方針で進めるか決めていないし、とりあえず無難なヒュミノリアでいいだろう。


 俺が決定ボタンを押すと、画面が変わった。


『ファンタジーサーバーへ入国します。移動の際、知覚的、視覚的負荷がかかる可能性があります。身体に異常が認められた場合、強制的にログアウトしますのでご安心ください』


 文字と共に音声が聞こえた。


 その意味を理解しようと頭を働かせていた最中、状況は急転する。


 星々や水面は、まるで固定撮影された星影写真のように、円を描いた。その後、ぐにゃりと曲がり、一点に収束すると、真っ黒な世界に俺だけが取り残される。不安に煽られる時間を与えられずに、どこかへ加速する。


 キラキラとしたオブジェクト達が俺を歓迎するように明滅し、周囲を彩っていた。幻想的な光景が俺を包み、やがて世界は白一色になる。あまりの眩しさに、俺は腕で顔を覆った。


 しばらくし、恐る恐る薄目を開けた。

 そこに広がっている光景に、俺は目を奪われてしまう。


 石と木で出来た家屋。石畳の地面。煙突からもくもくと上る煙。色鮮やかな露店通りは活気があり、人間でごった返している。


 喧噪に包まれた中、行き交う人々は様々な容姿をしている。耳が長かったり、身長が低かったり、髪の色が青かったり、妙にいかつかったり、肌の色が赤かったり、背中に翼が生えていたり、瞳の色も多種多様だった。


 交通手段は徒歩や馬車、なにかの動物に跨ったキャラもいたし、空を飛んでいる姿も見受けられた。ホウキに跨っていたような気がする。


 俺は圧倒されたまま、辺りを見回した。


「スライムプリン、1個80ゼンカだよー! 2個なら150ゼンカ。3個なら、なんと200ゼンカで販売中!」


「武器防具道具研ぎまーす。エクレアも研げますよー。1kからー」


「ギルド『迷子の子豚ちゃん』メンバー募集中でーす。初心者歓迎、社会人中心で、活動時間は19時から24時が主でーす。試しに入団も出来るのでお気軽にどーぞ! 詳しくは募集掲示板を見てくださいー」


「『爛れた者共の樹林』のレイドボスに挑みます! 現在メンバー募集中! @3。全フィジカル80以上、他パッシブ不問。ディヴァイン持ちのタンクさん大歓迎!」


 飛び交う専門用語に頭がくらくらしそうだ。あれか、外国語か?


 それにこの熱気。実際熱いわけではないし、むしろ適温だったが俺は自然にたじろいでしまっていた。


 人が多い。


 気分が悪い。ここにいたらダメだ。


 俺は逃げるように露店通りから離れ、人通りの少ない場所を探した。

 自分がどこを走っているのかわからない。気づけば、辺りに人はおらず、路地の日陰で座り込んだ。


「はぁ……はぁっ」


 少し走っただけなのに息切れしてしまった。しかしあんまり苦しくはない。汗も出ていないし、体温も上がっていない。仮想現実だからだろうか。


 心臓がうるさいくらいに存在を主張していた。不快だ。


 耳鳴りがする。いや、これは幻聴だ。談笑していたプレイヤー達の姿が、変貌を遂げる。嘲笑する高校生達と一緒に、彼らも俺を蔑視し、にやにやと笑う。


 デブ。きもい。うざい。死ねよ。失せろ。なんで生きてんの? ニートとか笑える。引きこもりだってさ、寄生虫じゃん。くさい。息をするな。視界に入るな。さっさと学校やめろ。


 そんな言葉が脳内を駆け巡る。


「う、うるさい」


 頼りない口調だった。声が震えていた。

 情けない。なんて矮小な存在なのだろうか。


 しかし、そんな感情は苛立ちに追いやられてしまう。


 イヤだ。外はイヤだ。人に会いたくない。外の世界に出たくなかった。人と話すのもイヤだ。顔色を窺ってしまうのもイヤだ。


 もう帰りたい。あの部屋に帰りたい。なにもない部屋、誰も俺を責めない部屋。家族なんて無視すればいいのだ。俺を生み、育てた奴らにはその義務があるのだから。


「そ、そうだ、帰ろう」


 内藤が言っていた言葉を鵜呑みにしてしまったが、あれは演技とも考えられる。そうだ。親と結託して演技をしていたのだ。どう考えてもおかしい。国ぐるみでこんなことをするなんて、異常としか思えない。


 詐欺だ。詐欺罪だ、これは。訴えることも視野に入れなくては。


 逃げの口上だった。それでも俺は心の揺らぎを抑えるために、それに縋った。そしていつものように他人に責任転嫁することで、ようやく平静を取り戻しかけた。


 だが、


「あんた、なにしてんのこんなところで」


 頭上で声がした。

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