セカンダリィ・ワールド RMT

鏑木カヅキ

第1話 プロローグ

 俺はクズだ。


 高校一年から約三年間引きこもりをしているクズだ。家から出ることも出来ないクズだ。他人と話すと吃音が出てしまうクズだ。人が嫌いなクズだ。家族に寄生しているクズだ。妹に説教されるクズだ。このままではダメだと思っていても、改善しようともしないクズだ。クズだとわかっているのに自虐的にクズだと開き直っている正真正銘のクズだ。


 今日も自室でPCとだけ目を合わせる。ななちゃんねるを見て、荒らすことが習慣になっているからだ。ネットニュースに軽く目を通すのは、世俗と離れていても、情報を得ているという言い訳に使うためだった。


 この三年間で体重は五十五キロから九十キロに増量した。腹は出て、手足はむくんでいる。動くのも億劫で、トイレに行くのも面倒くさい。食事は母親が持ってくる。


 そもそもこんな風に育てた両親が悪い。社会が悪い。人それぞれと言いながら、型にはめた生き方を強要し、はみ出しものは淘汰されるのだ。


 だから俺は悪くない。むしろ被害者だ。


「自演乙、っと」


 巧みにキーボードをかき鳴らす。カタカタという音は小気味よく、俺の気分を高揚させる。ディスプレイの発光だけが薄暗い室内を照らしていた。


 一日が暇だ。はっきり言って持て余している。時間つぶしに新作のネトゲをやってみたりもしたが、どうも肌に合わずに頓挫した。継続力は俺にはないらしい。昔はこつこつするタイプだった気がするが、もう過去のことだ。


 そう言えば風呂にも一週間ほど入っていない。身体が少し痒いがいつものことだった。


「腹減ったな」


 時刻は午後七時を回っていた。夕食の時間だが、まだ配膳されていない。

 床をドンと一踏み。これで伝わるだろう。

 しかし一向に物音がしない。まさか夕飯の準備が遅れているのか。

 俺は苛立ちを隠せず、もう一度踏みつける。だが反応はない。頭に血が上り、地団駄を踏んだ。


「飯! 飯持って来いよ、ババア!」


 俺はクズだ。


 だからこそ、最低な行為でも気にせず実行できる。

 何度も何度も鳴らすと、次第に肺が悲鳴を上げ始めた。


「はぁはぁ、くそっ!」


 運動不足なのはわかっていたが、ここまでとは。

 中学の時は運動神経もそれなりによかったし、勉強も出来た。しかし、今ではこのざまだ。省みることはある。しかし、すぐに思い直す。こうなったのは誰かのせいだと。


「ふざけんなあっ!」


 怒りに身を任せ再び床を踏む。しかし、ドンッと鳴ったのは床だけではなかった。


「あ?」


 扉が開いていた。俺以外が開けることを許していないはずの扉が開き、蛍光灯の光が室内へと侵入していた。


 廊下には見知らぬ男が三名いた。サングラスに黒服。さながらなにかのエージェントといわんばかりの風貌で、俺は呆気に取られたまま絶句していた。


 反応出来ない俺を無視して男達は、ずかずかと部屋に入ってきた。

 俺は慌てて、怒号を上げる。


「ははは、はいりゅなぁっ」


 他人を見ると、どもる。それが俺だ。

 呂律は回っていないし、動悸は激しい。ここは俺の縄張りで、他者の侵入を許さない。だというのに俺はなにも出来ず、ただ男達に情けなく不満をぶつけることしか出来ない。


「や、やめっ」


 男達は俺を羽交い絞めにし、外へと連れ出した。


 いやだ。出たくない。ここにいたい。


 そう思うのに恐怖で口が動かせない。なにが起こっているのか理解出来ず、頭の中は真っ白だった。玄関で強引に靴を履かされ、道路に停められていた黒塗りのワゴンに唯々諾々と押しやられてしまう。


 玄関先にはいつの間にか、家族が立っていた。

 親父はこちらに蔑視を向けている。

 妹も同様だった。しかし、より嫌悪感が強い表情だった。

 お袋だけは、俺を心配そうに見ていた。だが、助けるつもりはないようで、胸の前で手を握り、祈るように目を伏せた。


「ま、まちぇ、なんで、こここ、こんな、俺、どう……あ、あっ」


 不可解な出来事の連続で、俺の頭は沸騰していた。様々な感情が絡み合い、明確な意思を掴めない。俺は自分の感情さえ認識出来なかった。

 車は進む。両脇に黒服二人が厳然と座っている。


 俺は酷く落ちつきがなく、左右を何度も盗み見たが、石像のように固まった黒服達はなんの反応も返してはくれなかった。


 聞こうと思った。俺をどうするのかという思いは確かに抱いていた。しかし、俺にそんな勇気はなかった。自分の行く末さえ、俺は知ろうとしなかった。


 激しく動揺していたが、俺の中に小さな閃きに似た確信が去来した。

 俺はもう家には帰れない、と。


   ▼


 着いた先には巨大なビルがそびえ立っていた。六棟の高層ビルが、幾つかの通路で繋がれている。車内からでは屋上は見えない。


 エンジン音が止まると、また両脇の黒服に引きずられるようにして車外へと出た。

 俺に抵抗の意思はない。苛立ちよりも恐怖心が強いというのも理由だったが、すでに反抗するタイミングを逸したというのも大きい。最初に部屋に踏み込まれた時、俺はなにも出来なかったし、しようともしなかった。


 諦めることには慣れている。だから別に構わないと思い始めていた。

 心を凍らせるのだ。過去も未来も見ない。今、この瞬間のことだけ考えればいい。


 ビルの正面には看板があった。

 『エニグマコーポレーション 新宿支社』と書かれている。どうやら社名らしい。ということはここは会社なのだろう。外観からしてそれはわかってはいたが。


 豪奢な造りだ。ビル周辺の敷地は広く、カフェや公園がある。ベンチには社員らしき男が座り、優雅に読書をしていた。OLの二人組は談笑している。取引先との挨拶なのか、何度もお辞儀している会社員もいた。イヤな光景だ。まっとう過ぎてイヤになる。


 しかしそんな中にも異様な場面も見えた。


「は、離せっ、離せよ!」


 俺と同じように、黒服達に拘束され、引きずられている人間が何人かいた。抵抗するものや、借りてきた猫のように大人しいもの、不安そうに話しかけるが無視されているもの、ぶつぶつと独り言を呟くもの。多種多様な行動が見受けられた。


 あいつらも引きこもりなんだろうか、とふと思った。

 そんな感慨も許されず、俺は移動を強要され続ける。


 ビルの側面にはクリスタルビジョンと言われている映像可視化機器が何枚も張られていた。映像のみならず、登録者の動きに合わせて、様々な電気的な操作を行えるらしい。例えば一般家屋ならば、屋内の統合システムにアクセスし、インターフォンの対応から、電気の管理、キッチンの手動調理、浴室の湯沸しなど、屋内における電気的な操作を行える。操作は屋内に限らず、携帯端末からも可能だ。イントラネットをより高度化し利便性を追求したのようなものだと考えればわかりやすいだろう。


 エニグマという名、どこかで聞いたことがあると思ったら、本社を米国に置いた、世界屈指のネットワーク企業の名称じゃないか。どこかのまとめサイトで目にしたことがある。確か、先進的科学研究をコンセプトにした会社で、電脳仮想空間における消費者の生活を提供、医療機関の開発や研究の提供などと、よくわからない字面がつらつらと並んでいた。


 医療機関……まさか人体実験的ななにかをさせられるんじゃないだろうな。社会のゴミは臓器提供でもしろとか言われたり。


 いや、まさか、いくらなんでもそんなことあり得ない。日本はまだまだ平和な国だ。そんな横暴許されてなるものか。


 俺は頭を振り邪念を追い出した。


 自動ドアを入ると、受付が見える。人が多い。スーツ姿なのは社員だろうが、制服姿の中高生らしき奴らも見える。まさか見学とかだろうか。


 最悪だ。こんな姿を見られるなんて。出来れば、気づかれずにやり過ごしたい。

 しかし俺の淡い希望は露と消え、集団は俺を指差し下卑た笑みを浮かべた。


「おい、あれ! 見ろよ、デブが逮捕されてるぞ!」


 逮捕されてるんじゃねえ! なんて、俺に反論出来る勇気はない。

 嘲笑を受けつつも、屈辱に耐えることしか出来なかった。


 俺はまだ本気を出していないだけだ。俺がその気になればおまえらなんか、一瞬で塵芥へと変わるのだ。だからやめてやろう。それに大人げないし、年上として我慢するのが寛容というものだ。

 自分に言い訳を終えると、虚しい気分に苛まれた。だが、そんなのは慣れたものだ。すぐに忘れる。これが三年間で取得した処世術だった。


 黒服は周囲の言葉など意に介さず、俺を奥へと誘う。

 幾つかのドアを超え、なにやら端末に番号を入力したりカードを通したり指紋照合したりして、行きついたのは真っ白な部屋だった。

 正方形で、中央には椅子が二つ。介在してテーブルがある。

 黒服達は俺を椅子に座らせると、無言で出ていってしまった。


「……な、なんなんだよ」


 わけがわからない。しかしどうやらここが目的の場所だということはわかった。

 誰もいない。椅子とテーブル、俺が入ってきた扉は後方に、正面にはまた扉があった。それ以外はなにもない。一体ここでなにをしろと言うのだろうか。それともなにかを待てということなのだろうか。


 混乱に次ぐ混乱。連綿と続く非日常的な事象に、俺は眩暈を起こしそうになっていた。

 頭を抱えようとした時、突然正面の扉が音もなく開いた。


「やあ、こんにちわ」

「こっ! こ、こちわ」


 また噛んだ。なんでだ。なんで上手く話せないんだ。

 イライラする。どうせ、こいつもまともに話せない俺を見て、内心バカにしているんだろう。


 男は俺の前に座った。どうやらこいつが俺を連れてこさせ、待たせていた張本人らしい。

 一体なんだってんだ。なんで俺がこんな目にあわないといけないんだ。ムカつく。家族もこいつも黒服もあの高校生達も全員ムカつく。


 しかし、俺は相手の顔を見ることは出来ないので、胸中にしまっておくことにした。命拾いしたな、おまえ。


「戸塚リハツさんですね? 私は内藤清吾。ネットワーク技術開発局長と医療技術開発局長をしています。よろしくお願いします」


 俺はちらっと視線を動かす。


 賢そうな人だ。研究者と言われれば、万人が納得するような容姿をしている。痩躯で健康的には見えない。眼鏡をかけており、その奥にある三白眼がこちらを見ていた。しかし、陰気な雰囲気は薄い。どちらかというと社交的な雰囲気が漂っている。


 柔和な笑みを浮かべているが、俺はその視線を受け流すように俯いた。


「なぜここへ連れてこられたかお聞きになっていますか?」

「……いえ」


 二文字なら噛まずに言える! 今後はこの手法でいこうと心に決めた。しかしそんな些細な決意も一瞬の内に記憶から追いやられることになる。


「あなたには一千万円の借金があります」

「は? え?」

「一千万円の借金があります。あなたは負債を抱えている。これは連帯保証人なく契約される特別な手続きを踏んでいます」

「あ、え? どど、どいうこと、です?」

「そのままの意味です。あなたは三年以内に一千万円を返さないといけません。完済出来なければ五百万円の借金が増えます。これも三年以内に返さなければなりません。ご理解いただけましたか?」

「ま、待って、ください。お、俺お金借りて、ましぇん」

「借りてるでしょう? ご両親から」

「お、親? ど、どういう」

「まず高校三年間の学費が百二十八万六千二十一円。これは学外活動費なども含めています。公立でよかったですね。ご両親はあなたのために払い続けていました。いつでも通えるようにとね。それに食費、光熱費、水道代、家賃、衣服代、プロバイダー料金、嗜好品代、住民税、健康保険料に生命保険料、火災保険にも入ってますね。ああ、あとあなたが無駄にした食事の弁償と器物破損の賠償金、消費税込みで五百万円ジャスト」

「お、俺は子供だぞ!」

「ふむ、確かにそうですね。ご両親の息子で血も繋がっている。国民には子を育てる義務がありますからね」


 そうこんなのは無茶苦茶だ。なぜ俺がこんな金を払わなければならない。

 俺は内心では親が画策したのではないかと疑い始めていた。目の前のこいつは演技をしていて、ただ俺を脅かし、無理やり外へ出そうとしているのだと。


 どう考えても現実的じゃない。そう思っていた。


「でも、あなたもう子供じゃないんですよ」

「な、なにを……お、俺はまだ十八」

「ええ、確かに二十歳からが成人でした、けれど今は違う。ネット依存症なのでしょう?ご存知なはずですよ」

 成人の年齢引き下げ。確かに聞いた覚えがある気がする。数年前、ネットで騒がれていた。選挙権を獲得し、同時に年金支払いの対象にもなり得る。伴って、少年法も改正された。

 そう、確かに知っていた。だが、それがこんな形で煽りを受けるとは思ってなかった。

「話は終わりじゃないんですよ。ただ成人の年齢が引き下げられただけなら、あなたはここにいなかった。重要なのは『扶養者は、被扶養者に対し、正当な事由がある場合には過去三年間においての支出を請求することが出来る』という点です。意味はおわかりになりますか?」

「つ、つまり?」

「正当な事由、つまり引きこもりで学校へも行かず、働きもせずただだらだらと生きて、家族に寄生している人間に対しては、三年間支払った額を貸与したとみなすことが出来るということです」

「そんな、ば、ばかなことが」

「ばか? 甘えて漫然と生きている人間に対して正当な対応だと思いますが?」


 うそだ。こんなのうそに決まっている!

 だって無茶苦茶じゃないか。子供に借金を背負わせるなんて、非道だ。

 どう考えても異常。こんなの許されるはずがない!


「ああ、言い忘れてましたね。あなたの借金は、先ほどの額プラス弊社の筐体使用料と、SW(セカンダリィ・ワールド)の滞在料、手数料、登録料を含めて一千万円です。端数は切り捨てにしていますから、少しはお得ですね」


 内藤はにこっと綺麗な笑顔を俺に向けてきた。

 しかし動揺に駆られ、内藤の言葉が頭に入ってこなかった。


「これは引きこもり、ニートなどの無気力な若者への救済プログラムでもあります。ですが、最後のチャンスです。これを逃せばあなたは刑務所に送られ、一生をそこで過ごすことになるか、一生返せない借金を背負い働かされるかのどちらかですよ。破産は出来ません。通常の借金とは違いますからね。一応、ウチは特別独立行政法人と銘打っていますので、これは国政です。日本国が推進しているのですよ」

「に、日本で、そんな横暴が、ゆ、ゆるされるわけ」

「日本は変わったのですよ。第二の世界の進出がそのきっかけになったと自負しています」


 うんうんと頷く内藤を見て、俺はあんぐりと口を開けていた。


「では、行きましょうか」


 それからのことはあまり覚えていない。

 気づけば、下着一枚になって、身体は濡れていた。

 いつの間にか目の前にはカプセル状の箱が見え、中はどろどろの液体で埋められていた。透き通った萌黄色で、身体に悪そうだなと思うと、ようやく意識が明瞭になっってきた。


「これは通称クレイドル。揺りかごという意味ですね。言い得て妙でしょう?」


 隣で饒舌に語る男を見た。内藤と言ったか、この男はまだ一緒にいたらしい。

 周囲には無数のクレイドルがあった。蓋が閉まっており内部は見えないようになっている。まさか、人が入っているのだろうか。


「安心してください。クレイドル内部はとても快適です。ここでは食事も排泄も沐浴も必要ありません。この液体、エレメントジェルはあなたの健康を保ちます。栄養、排泄物の分解、酸素の供給も可能ですし、常に浮いていますので床ずれもしません。一生あちら側にいても問題ないようになっていますし、なにかあれば異常を察知出来るようこちらで常に見張っています。さあ、中へどうぞ」


 俺は言われるままに、筐体の中へと入った。

 ずぶずぶという感触は気持ち悪くもあり心地よくもあった。

 背中を押され、ゆっくりと倒れ込むと沈んだ。

 鼻までジェルで覆われると、意識が突然遠くなる。肺に異物が入る感触にもがこうとしても、身体は動かない。


 ああ、このまま死ぬのか俺は。

 状況もわからないまま、意味もわからず、納得も出来ず、ただ死んでしまう。なにも残さないまま、誰にも悲しまれない死を迎え、そして俺はこう思うのだろう。

 つまらない人生だったな、と。


「第二の人生を歩んでください」


 男の不快な声を最後に、俺は意識を失った。

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