第89話

「でも、涼様は時間あったんですか?その…トレーニングとか?大丈夫なのかなぁって」


「ん?全然!だって俺だよ?余裕余裕!」


 立花と涼さんが比較的小声で喋ってる。周りにバレると不味いってのは立花も分かってるんだろう。


「へー…あんなに練習でへばってるように見えて、余裕だったんですか涼さん。これは会長に言った方が…」


 練習では一番しごかれてる涼さんだから、余裕は無いはずだけど立花の前でカッコつけようとしたんだろ!そうはさせない!


「あ?やめろやめろ!あのじいさんはマジでやるから!これ以上はマジで無理」


 練習を思い出して少しだけ顔が青くなってる。うん、俺も分かります。


「冗談ですよ。流石に俺もあれ以上は死人が出ると思います」


「本ッッ当にびびらせんなよ。ちょっと寒気してきたわ」


 お互いに目を合わせて練習を思い出す。うん、俺も寒気してきた。


「あのぉ…そんなに厳しいんですか?練習」


 立花の素朴な疑問だろう。涼さんや世界のトップファイター達は、あんまりきつい練習してないって思われ勝ちだけど、上に行けば行くほど練習の密度と量は増えてる。


「んー…美咲ちゃんがさ、今までで一番キツかったときの事思い出してみて?」


 そう言われてうんうん唸りながら考える立花。パッと目を開くと


「はい!思い出しました!」


 手を上げて返事をしてる。先生か涼さんは。


「その600倍キツいよ」


「え、えぇ~…それはぁ……」


 かなり引いてる立花だけど、まあそれくらいキツいかもな。600倍の根拠は分かんないけど。考えただけでさっきのから揚げが出てきそう。


「コウもさ、一緒に練習してるんでしょ?そんな練習耐えられるの?」


「あー俺は小学生の時から手加減して貰ってたからなんとか出来るかな」


 そう返すと、尊敬の眼差しで俺を見てくる立花。悪い気はしませんね。


「コウは練習の虫だからな。俺とあんまり変わらない練習してんのなんて、ジムでもそんなにいねーよ」


「だって!涼さんがいっつも付き合わせるんじゃ無いですか!練習に!」


 ジムに行ったら俺を見つけるなり涼さんが


「コウ!ちょっと付き合え!」


 って、声かけてきて一緒に練習する事が多い。


「そりゃお前!辛いことを一人でやるのは嫌だろ?」


「ただの道連れじゃないですか!」


「それによー俺の練習に付き合える奴が少ないんだよ実際」


 まあ、他のプロの人なんかは、専用のメニューだし、まずまず一般の人の方が少ないけども。


「てか、そろそろ戻らないと…コウは涼様を案内してあげて?えっ…と綾さん…も、ありがとうございました」


「おう!頑張ってね」


「頑張って~」


 二人と立花を、見送りながら随分とあっさり持ち場に戻って行くなぁと、少し驚く。


「ふーん…まあ良いんじゃない?」


「小姑こえーな」


 二人が何やら話してる。なんだ?


「どうしたんですか?」


 二人揃ってこちらを見てくるが涼さんはニヤニヤと、綾さんは…どうしたんだろ?


「いやいや、女はこえーなって話し」


「何がどーなると、そうなるんですか?今の行動と会話で」


 訳がわからん事を言ってる涼さんは放っておいて、綾さんの方を向く。何だかご機嫌斜め?なのか、少し表情が曇ってる。


「いーじゃん…だって気になるんだもん…あたしのコウちゃんだったのに…後少し位さぁ…」


「ど、どうしたんですか?え?何かありました!?」


 綾さんが喋りだしたかと思うと、少し涙声になりはじめて、テンションが急降下してる。


「あー放っておけ放っておけ。弟が遠くに行く姉の気持ちみたいなもんだ」


 涼さんが説明?してくれてるけど、余計にわからん。


「えっと?綾さん!俺別に何処にも行きませんよ!?大学だって地元の所行くつもりですし!」


 頭に?を浮かべながら一応弁解しておく。ジムがある地元から離れる気は、さらさらないんだか、綾さんが心配してるなら、説明しておこう。


「コウちゃん…そうじゃないんだけど…もう!コウちゃんは可愛いなぁ!うりうり!」


 俺の説明を聞いて、一瞬ポカンとしてたけど、笑顔でじゃれついてくる綾さん。本当にわからん…どう言うこと?


「コウちゃんは今のままで良いよっ」


 ずっと会話の理解が進まないけども、綾さんの機嫌が治ったなら……いっか。


「そうですか!わかりました!(わかってない)」


「コウ…お前そう言うところ俺は羨ましいぜ」


 涼さんがなんか言ってるけど、そもそも原因がわかってないから、なに言われても関係無いね。


「それじゃあどうします?この後、少しなら案内出来ますけど」


 案内しててとは言われたが、そんなに長い時間任せっきりってのも良くないだろ。


「あーじゃあちょっと案内してもらうかな?それと、さっきからカレーの匂いがしてんだが、腹減ってきたわ」


 くそ!ここでもカレーが強いよ!


「カレーは王子のクラスがやってるんで、行きましょうか」


「じゃあ案内よろしく」


 そして、当然のように腕を組んでくる綾さん。うぅ…恥ずかしい。





 王子のクラスの教室に向かうと、案の定大にぎわいの様で、忙しく働いてる様子が見える。声掛けにくいけど、涼さんの事は先に伝えとかないと…


「あ、あのー」


 入り口でお客さんを捌いてる女子生徒に話し掛けてみる。


「あっちに並んで…」


 割り込みの客だとでも思ったのか、ちょっと語気強めで返されるが、俺の顔を見て、言葉が止まる。


「えーっと…2組の田中君だっけ?」


 え!?俺の事知ってんの!?


「そうです、でも何で俺の事…」


 この子と接点あったっけ…と、必死に考えてると


「それは何時も逢坂君と一緒に居るし、名前くらいは知ってるよ?」


 なるほど、この子も王子で俺を知ってるのか。王子すげえよ!


「あ、そっか…王子は居る?」


「うん、中に居ると思うよ。入って探してもらって良い?」


「ありがとう。探してくるわ」


 礼を言って中に入る。……今の会話、多分立花と出会う前の俺なら今の子を、好きとまでは言わないけど、気にする位にはなってそうだ。


 男ってバカだから、自分が認識されてて、普通に嫌がらず話してくれる女の子が居たら、好意をすぐ持ってしまう悲しい生き物なんだよね。


 そんな、わびさび?を、感じながら王子を探してたら、いや、探すまでもなくすぐ居ました。カレーよそってます。

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