第61話

「コウくん、今回はありがとね。そんなに緊張しなくても本当に気楽に良いからね」


 車の中でも緊張してる俺に、加納さんが声を掛けてくれる。いつも落ち着いて優しい加納さんだから皆からも慕われてる。


「はい…でもやっぱ…」


 緊張するのはしょうがなくないか!?


「おう、コウ!緊張しても別に良いんだよ。初めての事で、自信がなくて緊張すんのなんて当たり前だしな。こればっかりは場数踏むしかねえ」


 会長も会長なりに緊張をほぐそうとしてくれてんのかな?


「それにお前、加納も今は落ち着いてるが最初セコンドについた時なんか酷かったぞ」


「か、会長その話は…」


「良いじゃねえか、別に恥ずかしい事でもねーよ。それでコウの緊張が少しでも収まれば儲けもんだろ?」


 加納さんもやっぱり最初は緊張して何かやらかしたのかな?


「…そうですね、コウくん私も最初にセコンドについた時なんか緊張で手が震えてバンデージすら上手く巻けませんでしたよ」


 加納さんにもそんな時代が…。


「それになコウ、インターバル中にリングに水こぼすし、選手の顔拭くタオルをどっかにやるし」


「そ、そんなに失敗したんですか!?加納さんが…」


 さ、更に緊張してきた…。


「おう、でもなそれくらいなんだよ、失敗って言っても。そんなんで選手の試合内容なんてそうそう変わらん」


 確かに、会長はいつも言ってるけど試合前にほとんど結果は決まってるって。


「そう、私達は出来るだけ選手を煩わせない様にしたりするだけなんです。指示なんかは会長がしますしね」


 そうだ、俺が何か失敗したって、あの涼さんが負けるか?涼さんの練習を近くで見てて負けるなんて全然思えない。


 そう思うと肩の力が、ふっと抜ける。そうだよな、大丈夫だ。


「それに緊張しない方が俺は怖いね。緊張しないってことは、自信があるか馬鹿かのどっちかだからな?コウが馬鹿だとは思いたくねえよ」


 緊張…会長はどうだったんだろう。


「会長は初めてセコンドに付いた試合やっぱり緊張しました?」


「あ?するわけねーだろ」


 この人早速矛盾してませんか?あ、それとも馬k


「おいコウ何考えてんだ?お前人の事を馬鹿だなんだって思ってんのか?」


「いや、だって!会長が言ったんじゃないですか!」


「だから、自信があるか馬鹿かって言っただろうが」


 そう言えば言ってたな。


「俺は選手を試合に送り出すなら絶対勝てるって所まで手を抜かずにやる。今じゃスパルタだのなんだの言われてるがこっちは選手の命と人生預かってんだぞ?中途半端な事出来るわけ無いだろ」


 会長の練習は厳しいけど、無駄なことは一切しない。この練習は何のためか聞けば全部納得するまで教えてくれる。


 昔の人だと思われがちな会長だけど、ちゃんとデータで示してくれるし、その練習のメリット、デメリットも教えてくれる。


 たまに大学の教授さんなんかもジムに来て話し合ってるから、科学的な根拠に基づいてると思う。最初は皆会長に色々聞いてたけど今では会長を信頼しきってるからあんまり聞いてるところ見ないかも。


「それに、練習させた張本人が信じてやれなくてどうするよ。両親、恋人以外でも一人はそいつの事を絶対的に信じてやる人間が必要だと俺は思ってる」


 会長はそう言うと、真剣な顔で前を向く。


 この言葉は俺にも刺さる。小学生時代、会長に真剣に話を聞いてもらって信じてくれた事が何より嬉しかったし。


「おーしコウ、そろそろ着くぞ。降りる準備しとけ」


 何事も無かったようにいつもの会長だ。俺は車を降りる準備を始めた。





「でっけえ…」


 何度か来たことはあるけど自分がセコンドに立つとなるとめちゃくちゃでかく見える。


「ほれ、荷物持てコウ。行くぞ」


「す、すいません。すぐ行きます」


 関係者入り口から入っていく。チラチラと会長に視線が集まってるのが分かる。


「どうも!犬飼会長!」


 通路の向こう側からスーツ姿の男性が駆け寄ってくる。誰だろ?


「どうも、高橋さん今日はよろしくお願いします」


「いやいや、よろしくお願いしたいのはこっちですよ!鎌田選手の試合は盛り上がりますからね!じゃあ私はこの辺で!」


 そう言いながら足早に去っていった。男性が去った後会長に聞いてみる。


「会長…さっき男性は…?」


「あーコウは会ったことねーか、ジムにもほとんど来たこと無いしな。今回のイベントの興行主の高橋さんだ。めちゃくちゃ金持ちだぞ」


 へー…あの人が…正直かなり若かったからスタッフの人かと思った。


「かなりやり手だからな、日本じゃ鎌田とやりたい選手が居ないから海外選手をマッチメイクしてくれて、助かったぜ」


 日本国内に最早敵無しみたいに言われてるから試合組みにくいのかな?


「そろそろ控室だ、鎌田に挨拶したらアップまで時間があるから、しばらく見回って良いぞ。それと関係者って分かるように首からこれ付けとけ」


 そう言って関係者って書かれた首から掛ける名札を貰う。


「ありがとうございます」


 こんな社員証みたいなやつ掛けたこと無いからちょっと嬉しい。


 コンコンッ!


「入るぞー」


「おう、鎌田調子はどうだ?」


 そこには試合用の衣装の上からシャツを着ただけの姿の涼さんと、私服の綾さんが居た。


「かなり良いっすね、これなら気持ち良く…」


「コウちゃーん!!」


 会長と涼さんが話してるのもお構い無く綾さんが俺に抱き付いてきた。


「ちょ!綾さん!」


「もう!久しぶりじゃん!全然遊びに来てくれないし!涼のやつなんかと一緒に居ないでお姉ちゃんと遊ぼうよーそれに!昔みたいに綾姉ちゃんって呼んでって言ってるじゃん!」


 俺は抱き付かれながら昔を思い出す。

 ジムに来た頃の俺は小学生で、まだまだ子供だった。綾さんは多分19か20位だったのかな?


 その頃から涼さんと付き合ってたし、小学生の頃は涼さんと綾さんに色々連れていって貰ったりしたなぁ。


 いつも涼さんと暮らす家に遊びに来いって言ってくれるけど、俺も高校生になったし、遠慮と言う物を覚えた。


「綾さん!皆見てるから!は、離れて!」


 若干名を除いて、羨ましそうにこちらを見てる。勿論そのうち一名は涼さんだ。


「おい綾、コウも高校生になってんだからあんまりくっつきすぎるなよ?男は恥ずかしいんだよ」


「うるさい、コウちゃんがあたしとくっつく事が恥ずかしいわけ無いでしょ!ねーコウちゃん!もうさ、あんな奴の試合なんて置いといて遊びに行こっか?」


 綾さん、凄く恥ずかしいです。


「あの…じ、準備が!荷物の準備があるんで!」


「あーそっか、今日は加納さんのお手伝いかぁそれならしょうがないなぁ……はい!頑張ってね」


 綾さんは美人だけど小さい時から俺の事を知ってるからか、まだ俺が小学生だと思ってる節がある。


「コウ、悪いな。いつもはあんまり試合見に来ないんだがコウが来るって話したら絶対行くとか言い出してよ。まあ今日は頼むわ」


 セコンドなのか綾さんなのかはわからないけど頼まれました。


「任せてください!……とは大声では言えませんけど一生懸命やります!」


「おう!流石俺のコウだな!」


 そんな事で二人で笑ってると


「はぁ?あんたのコウちゃんな訳無いでしょ?あたしのコウちゃんだから」


 そう言いながらまた腕を組んでくる綾さん。あのぉ…俺も一応男子高校生何ですけど。


「おいコウ、友達は良いのか?連絡来てんじゃねーのか?」


 ここで会長から助け船が!ありがとう会長!ハゲオヤジとか言ってごめんなさい!


「そうだ!迎えに行ってきますね!」


 そそくさとその場を後にする。




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