お題=争い・手紙・歌

 貴方のタイプライターを打鍵する音が、子守歌みたいだった。

「まだ起きていたのか」

 寝台に横たわっていた私へ、野太い声が呆れたように声をかけてくる。やっと来てくれた、という安心感を隠して、そっけない口調を意識しながら口を開いた。

「少佐が帰ってこないもので」

 返ってくるのはため息。上半身だけ起こして、少しばかり彼の顔を覗く。眉根を寄せたイカつい顔は相変わらずで、青い眼を細めてこちらを見ていた。

「子供か、お前は」

「今年成人したばかりです。そんな直ぐ大人にはなれませんよ」

 あからさまに嫌そうな顔をされる。そこまでひどい表情をするとは思わなかった。

「お前みたいな若者まで徴兵せざるを得ないとはな。この争いはまったくもって忌々しい」

 けれどそれは私へ向けたモノじゃなく、今起きてる戦争、それと国の現状を憂いたものだろう。

 四十代半ばの彼から見れば、確かに嫌悪すべき対象であるには違いない。自分の子供と大して変わらないであろう年齢の女が戦場に向かわされているワケで、自分の子供もそうなったら、なんて不安だって湧いてくるハズだ。

「どうした、帰ってきたんだからさっさと寝ろ。それとも添い寝しないと寝付けないのか?」

「まさか。無事も確認できましたし、もう寝ますよ……明かりと音は、いつも通りで構いませんからね」

 ふん、と鼻を鳴らして少佐が背を向ける。こちらへの興味をなくしたのを見計らい、私も再び寝台へ横になった。

 

 月明かりだけが差し込む部屋を、ランタンの明かりが照らし出す。まぶたの裏からでも薄っすらと見える、優しいオレンジの光。そして響き始める、タイプライターの音。

 毎晩決まって寝る前に、彼はテーブルへ向かって手紙を書く。カタカタと鳴り響くタイプ音は周期的で、聞いていると眠気を誘う。直ぐ側に人が居てくれるのだという、安心感だ。

 ――徴兵されて、戦地に着いて、私は安眠できなくなった。

 夜間は砲撃音や銃声こそ聞こえないが、逆にそれが誰も彼も消えてしまったのではないかという不安を誘発させた。

 かと言って同部隊の寝床は、苦しそうな声や奇声で落ち着いて寝れない。途中で何度起こされたものか。

 そんなワケで不満を上官である少佐に伝えたところ、同じ部屋で寝ることを許可された。最初こそどんな不純な考えがあったのかと邪推したものだが、いざ同室になってみるとそれはまったくの誤解に終わる。

 彼の部屋は苦悶の声も聞こえてこないし、生活音が気にならない程度に聞こえてくるから、誰かが居る安心感もあった。そして私がなにより好いたのは、少佐がタイプライターを打つ音。

 彼の打鍵は実にリズミカルだ。頭の中にある文章を、淡々と書き出しているのだろう。内容に躓いて手を止めることも、急性に思いついて早めることもない。

 その音色を聞きながら目を閉じると、不思議なものでよく眠れる。私にとって、それは戦場の子守歌だった。


 けれど、それも長くは続かない。だってこれは、戦争なのだから。

 開戦があれば終戦もある。誰かが死んだり生き残ったりしても。

「なに死んでんですか、少佐……」

 和平が締結した知らせが届いた日、少佐は戦死した。なんの前兆もドラマもなく、あっさりと凶弾に倒れて。あと数時間生きてれば、生還出来たというのに。

 私だけの部屋になった一室で、片付けの途中に送り損ねた手紙をまとめる。中身は見ないが、宛先だけは確認しておく。性は同じだから、やっぱりというか、全部家族宛てのようだ。

 偶然にも住所は私の故郷と同じ。遺品と一緒に、私も帰郷する。

 先に実家へ立ち寄ろうかとも思ったが、入り口から近いのは少佐の家だったし、他人の遺品を持って帰省するのも気が引けた。そんなワケで、そこそこ立派なお宅の玄関前に私は居る。


 ドアのチャイムを鳴らす。程なくして足音が扉越しに聞こえてきた。幸いにも在宅らしい。扉が開かれて直ぐ、私とあまり年齢の変わらなさそうな少女と目が合った。

「こんにちは、なに用でしょうか」

「えーっと、その……お父様の遺品を届けに来ました」

 なにか気の利いた言い回しでもしようかと思って逡巡してたが、結局私の言葉で話してしまう。

「遺品……父は、戦死したのですね」

 おや、想像よりも淡白な反応だ。あまり慕われてなかったのだろうか、なんて失礼な考えが頭をよぎった。

 それはともかくとして、渡すモノは渡す。箱に詰めていた手紙といくつかの私物をそのまま預けた。

 彼女は受け取って中身を確認するが、表情一つ変えずに突き返してくる。意図が分からず首を傾げてしまう。

「要りません。全部処分して下さい」

 冷たい声音だった。遺族の当人とは思えないほど。

「処分……ですか」

「はい。どれも大して値打ちのあるものではありませんから、好きなように処分して下さい」

「お手紙もでしょうか」

「言いましたよね、全部と。棄てるなり燃やすなりして頂いて構いません」

 冷え切った対応。家を間違えたワケでもないのに、他人事か、あるいはもっと疎遠な関係のように思えた。

「分かり、ました。お預かりしておきます」

「ええ。返さなくて結構ですので、お好きにどうぞ。では」

 そう言って扉を閉められる。本当に父親の私物へなんの未練も抱いていないらしい。

 仕方なく荷物を持って実家に帰る。せめて私の家族は少佐と違って歓迎してくれるといいけど、なんて不安が僅かにあった。

「ただいまー」

 勝手知ったる我が家なもので、ノックもなしに家へ入る。バタバタと慌ただしい足音が直ぐに聞こえてきた。この様子なら、杞憂に終わりそうだ。

「ああ、良かった、帰ってこれたのね! 怪我はない? お腹空いてないかしら? ああ、それともお風呂入る? 大変だったでしょう?」

 再会に興奮してるのか矢継ぎ早に問いかけてくるが、とりあえず「大丈夫、大丈夫だから」と繰り返して場を落ち着ける。その後もしばらくぶりに話すから話題が溜まっているようで、あれこれと早口気味に喋っていた。

「それでね……あら、その箱は?」

「あーこれ……上官の遺品。ご遺族が受け取り拒否したから、持って帰ってきた」

 箱を床に置いて、蓋を開ける。糊で封された手紙、傷ついた懐中時計、色あせたハンカチ、そしてあのタイプライター。どれにしたって、我が家で使うモノではない。

「そう、残念ね……それで、どうするの?」

「どうって言われても……売ったり捨てたりするワケにもいかないでしょ。私が預かっておくつもり」

 少しだけ悲しそうに「そっか」と母が返事して、この会話は締めくくった。あとは荷物を自室に運んで保管だけして、戦前の日常に戻るだけ。

 帰郷する人波に揉まれて、少し疲れた。上着だけ脱いで、寝台へ転がる。

 ああ、もうあの音はしないんだな。


 ――それから五年。幾らかの交際を挟み、私は結婚した。

 勤め先の知人繋がりで出会った男性。新聞記者をしていて、危なっかしいけど勇敢で頼りがいのある人だった。

 結婚の決め手は、寝る前にタイプライターへ向かう姿。そう、あの少佐と同じ習慣だ。書いているのは手紙ではないけれど、淡々と指を動かす彼が少佐と重なった。

 別に少佐へ恋慕を抱いていたつもりはない。けれど、戦地で体験した物事はどれも強烈に刻まれていて、その中にあの人も居た。だから多分、私が結婚へ踏み切ったのも、それが影響しているのだろう。

 今日も彼は椅子に座り、机上のタイプライターを打鍵する。寝台で聞くその音は変わらず、私にとっての子守歌みたいだった。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る