お題=心臓・クッキー・毛布

 心臓の脈動を聞きたい。永らく耳にしていない音を。

 朧気な記憶を掘り下げていくと、たしかドクドクといった音がしていたと思う。またそれを失ったのも久しい。

「――腹が減った、なあ」

 不意に意識が声を漏らす。そこで自覚して、空腹なのだと気付いた。

 あの音が止まったらそこで終わりだと思っていた。しかし、失せないものもあった。自我だ。

 あるいはこれを魂と呼ぶのかもしれない。他所から見れば、死霊とも。

 しかし、と一つ間を置く。食べれるものなど、どこにもないな、と。

 時たま見かけるホラー映画のゾンビと違い、私の霊魂は完全に身体から隔絶されている。だから食物を食らう口や歯も、またそれを味わう舌も、もっと言えば消化するための器官も存在しない。

 胡乱な視界で周囲を見渡しても、ぼやけた情景ばかりが映る。はて、ここはどこなのだろう。最後、床に伏したのは寝室だったと思うのだが。

 寝室――そう、寝室だ。最後に居たのは、寝室だった。布団を敷き、毛布に抱かれ――そこまで考えたとき、ふと温もりを感じる。

 そうか、想起して知覚すれば、それを思い出せるのか。

 どこからともなく湧いた知識。魂だけになった今だからこそ分かるルール。霊界の常識、とでも呼べば良いのだろうか。だとすれば、私はようやく幽霊の赤子から卒業したと言っても良いのかもしれない。

 これならば、同じように周りを思い出して確かめれば、食べ物の一つや二つあるだろう。

 思い立ったが吉日とばかりに、早速記憶を漁っていく。寝室と言えど、自分の部屋だ。持ち込んだ菓子くらいあってもおかしくない。

 そうだ、確か焼き菓子をよく自室へ持ち込んでいたハズだ。夜食というにはカロリーが高いが、憂うほど不健康なワケでもなし。クッキーの一つ二つ程度許されても良さそうだ。

 確かこの辺りに――手を伸ばして、テーブルを知覚する。その上に載った洋菓子も。

 自分の機嫌が良くなるのを自覚しながら、菓子のつつみを解いた。勢いそのまま、ひょいとクッキーをいくつか口に運ぶ。

 サクサクとした食感。バターとミルクの芳醇な香り。砂糖がふんだんに使われた甘い味わい。ほろほろと崩れる生地を咀嚼して飲み込む。

 包み紙がカサカサと音を立てるのも気にせず、机にあるだけを食べていった。

 ひとまず満足、といったところで、聴覚が働いているのを知覚する。いや、聴覚だけじゃない。口も、味覚も、消化器官も動いている。私は魂だけの存在だったハズなのに。

 もっと周りを認識しないと――末端の五指。そこから繋がる手足。腰から更に上っていく血流。そして、胴体の脈動――!

「はっ、は、は、ハ……っ!」

 息を荒げる。心臓が早鐘を打つ。身体が軋んで声を漏らす。

「なんだ、一体なにが……!」

 困惑にまみれる。さっきまで朧気な世界だったのが、いつの間にか鮮明に自室を映していた。

 バタバタと騒がしい足音。誰だろうかと考えて、直ぐに母のものだと気づく。そのまま足音の主はドアを開けて、布団から起き上がった私の姿を見るや否や声を上げた。

「お、起きたの!? あんた、脈が止まってから二日も経っていたのよ!」

「は……? 脈が止まって、二日?」

「そうよ! もう葬儀屋さんが迎えに来るって話までしてて……!」

 そんなに経っていたのか。ただ、改めて周りを見たら、食べた痕跡のあるお菓子の包み紙があった。

 なんだったんだろう、あれは。幽体離脱、だったのだろうか。いや、でも、クッキーを食べた痕はあるのに。わけが分からない。

 ただ、とりあえず言えるとすれば……

「生きるのって気持ち悪いな」

「はあ?」

 ……情報量が、この世界は多すぎるな。

 

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