三題噺シリーズ
枝葉末節
お題=ポケット・魔法使い・レモネード
おばあちゃんは魔法使いだ。だって、欲しいものはみんなポケットから出してくれるから。遠足でお小遣いが欲しいときも、さっとお金を出してくれた。お腹が減ってひもじいときも、お煎餅を出して食べさせてくれた。無尽蔵のポケットだけじゃなく、私の望みが分かる魔法があるのかもしれない。子供心に憧れていた祖母は、いつも半纏を着て私の好物を作ってくれる。おばあちゃん特製のレモネードだ。
レモンが少し酸っぱくて、シロップはとても甘くって……計量用具なんて使ってもないのに、どんなときも私が好きな味にしてくれていた。
「おばあちゃんは飲まないの?」
あるとき、そんな質問をしたことがある。こんなに美味しいものを、私一人が独り占めしていいものなのか、って。
「私はいいのよ。莉愛とわけっこするからね」
莉愛。おばあちゃんの娘。私のお母さん。
ずっと前に事故に遭って、もうここに居ない。
お父さんはそれより前に離婚して違う女の人と結婚した。一応は私への学費とかを補うくらいの話があったけど、いくらくらいがおばあちゃんの銀行に振り込まれているのか分からない。
だから今、私を養ってくれているのはおばあちゃんだけだった。莉愛お母さんの仏壇もあるけど、見守ってくれている〝だけ〟だ。
「そっか……それじゃ、学校行ってくるね」
「ええ。気をつけて行ってらっしゃい」
――こんなやり取りを、一体何十回繰り返しただろう。私は祖母のお陰で健やかに成長し、大学も通わせてもらって、そのまま就職もした。
あまり大きな会社ではないけど、せかせか働かないといけないほど忙しくもない。有給だって気軽に取れるし、育休とか産休も通りやすいらしかった。社内恋愛も別に問題なくて、そんなワケだから私は会社で気の合う男性と交際を始めた。
家に帰る時間は遅くなり、祖母と会話する時間も減った。それでも祖母は、私がおばあちゃんって呼んでいたときと同じように、大好物のレモネードを作って待ってくれていた。
いつまでもこの心地よい時間は続くのだろう。なにも考えずに好きなものに囲まれて、好きな人に愛されて。
そんな日常が一変したのは、彼からプロポーズがあったときだった。
「莉奈さん、そろそろ結婚しないかい?」
「ふぇっ?」
「僕らも二十代中盤だし、付き合ってから三年は経ってる。会社来れば毎日会えるけど、同棲して一緒に過ごしたいとも思うんだ」
「う、うーん……でも祖母がちょっと心配だから……」
「そっか……それじゃ、お祖母さんと話してみて欲しい。もし気を悪くされないのであれば、僕が莉奈さんの家で同棲するのもアリだからね」
返事は曖昧に。けれど心中は穏やかでなく。
一応交際相手がいることは祖母にも伝えてある。彼も穏やかな性格だからトラブルは起きづらいだろう。ただ、ずっと一緒に暮らしていた家族に、血の繋がりがない人が入ってきてどうなるか。あるいは祖母を置いて別居するとのも心配だ。
ひとまず相談しよう――帰路の途中でそう思っていたのに、家に着いてからはそんな考えなんて吹っ飛んだ。
「ただい……えっ?」
祖母が、倒れていた。なんにもない廊下で、うつ伏せになって。
「お、おばあちゃん!?」
駆け寄って揺さぶる。はたから見るとなんの異常もなく、眠っているようでもあった。いや、実際に眠っていたのだ。二度と覚めない眠りに。
――葬儀は静かに行われた。祖母は長寿だったから残っている友人たちもごく僅かだったし、家族葬といっても普段会わない親戚が数人来た程度。
葬儀から火葬に入り、骨も拾った。健康体の祖母らしく、骨はしっかり形を残して骨壷に収められた。
……数日会社を休み、遺品の整理を行った。祖母は物持ちが良い。多少衣服が裂けても、綺麗に縫い合わせてくれた。
特によく着ていた半纏。縫い合わせた痕がいくつも見られる。
昔は魔法使いのポケットだなんて、思ってたな。
私が必要なもの、欲しいものをすっと出してくれる。こんな大きくもないポケットで、よくぞまあ対応してくれたものだ。
試しにポケットへ手を入れてみる。かさり、と静かに紙が擦れる音。
なんだろう。好奇心の赴くままにスルリと取り出す。ポケットから出てきたのは、やけに分厚い封筒と、遺書と書かれた便りだ。
遺書――祖母は自分がこうなることを知っていたのだろうか。ひとまず中身を広げてみる。
書かれているのは、いろんな人への感謝の言葉。そして、レモネードのレシピ。祖母がいつも作ってくれている、あのレモネードに違いない。
封筒には葬儀代と書かれいて、過剰なまでの万札が入っていた。遺書によれば、余ったものは好きに使いなさい、と。
感情が昂ぶっていることを自覚しながら、私はどうしても祖母の味を口にしたかった。レシピ通りに、レモンとシロップを混ぜていく。
出来上がったレモネード。少しだけ口にして、いつもと少し違う味がした。それでも飲んで、飲み干して、最後にしょっぱい涙を口にする。
おばあちゃん。あなたはやっぱり魔法使いだよ。私の欲しいもの、全部知ってるんだから。
母さんとおばあちゃんの仏壇に、レモネードを一杯添えた。いつもおばあちゃんがしていたみたいに。
おやすみなさい、おばあちゃん。
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