第5話 食事の時は

「お昼まだだから少し待って」


 こちらの姿を見とめるなり、意外そうに目を見開いた。それでも声音はいつもと変わらぬ気怠げなダウナー。


「おう」


 ゴールデンウィークの翌週は人が少なくて歩きやすい。人が少ない分すぐにミゼを見つけることができた。


「あなたも一緒に来るの?」


 飲食店街を一通りミゼの後ろをついて歩き、オムライス屋の前で立ち止まったタイミングで聞かれた。


「俺もまだなんだ」


 規則正しい一日三食生活のおかげできちんと昼になれば腹が空く。


「そう」


 拒絶されるかもと思ったが案外すんなり承認してくれた。


 窓際、二人掛けの席に通される。


「なんか……変な感じだな」


 ひどく明るい店内で向かい合う。彼女がよく見える。俺もミゼからよく見えている。


 背中がむずがゆいような、平衡感覚がおぼつかないようなで何度も座りなおす。


「落ち着いて。側から見れば普通の男女だから」


 長いまつ毛が瞬く。


 そうだ。落ち着こう。ナイフを持っていること以外、何もおかしなところはないのだから。


「あのリュック、やめたんだ」


 胸の前に位置するポーチを視線で指していた。


「さすがにあれはダサい」


「気づいてたんだ」


 さも意外そうに笑う。


「今日、雨だから持ってこなかったんだよ」


 ナイフ、と口には出さずに伝える。真新しいポーチには財布と買ったばかりのスマートフォンが入っている。


「やる気ないじゃん」


 調子は変わらないけれど、どこか楽しそうに感じる。


「わざわざ雨の日にやる必要ないだろ?気分も上がらないし」


「雨嫌いなんだ……」


「好きなのか?」


 離れたテーブルで滑り落ちた傘が地面にぶつかって音を立てる。


「嫌いじゃない」


「どうして?」


「みんな平等に不幸な感じがするから」


 厚いガラスの向こうに降り注ぐ雨の音が聞こえるような気がする。柔らかな雨の音。


「面白いなそれ」


 晴れたところで楽しい予定なんてない。ならば全員暗い気持ちになってくれれば自分もその一人として同じ場所にいられるような気がする。


「なら俺も、雨、好きだな」


「そう」


 料理が運ばれてくる。それで会話が途切れる。


「それなに?」


 鮮やかな黄色の上に広がる白色のソースを指さす。オムライスにはケチャップ以外をかける文化が存在するらしい。


「ホワイトソース。知らないの?」


 ミゼは面倒くさそうに答えてから、一度持ち上げたスプーンを皿に置いた。


「初めて聞いた」


「あげないよ」


「いや、もらうつもりないから」


 やや鋭い目つきで言われて気圧される。本当にそんなつもりはないのに。


 ミゼはスプーンを皿に置いたまま一口も食べない。


「どうしたの?」


「私、食べ方きたないから」


「それ、この前で気にする?」


 すでに何口か食べられたオムライスに目を向ける。こんなにも食べやすいオムライスですら洗濯機の中のように混ざり合って、数分前の芸術的な鮮やかさをすっかり失っている。


「それもそうね」


「そうだよ」


 気にしていない風にしながら、ちらとミゼの食べる姿を見る。小さい口にスプーンで卵と味のついた米を運んでいる。何を気にする必要があるのかというくらい綺麗に食べているではないか。


 高そうな純白の器にスプーンがあたって高い音がなる。二つ音がなる。大きな音と小さな音。


「そういえば、これ買ったんだ」


 ショルダーポーチからスマートフォンを取り出す。むき出しの筐体の冷たさが手に浸透する。


 ミゼは口の中のものをゆっくりと咀嚼する間、その銀色の背をまじまじと見た。


「連絡先交換しよう」


 胸を張って言う。知っている限りのSNSも入れてある。準備は万全だ。


「ダメ」


「うぇ?」


 情け容赦ない一言に言葉にならない音が漏れ出た。


「どうして?」


「連絡先知ってたら、後で足がついちゃうでしょ」


「まー、確かに。俺は気にしないけどな」


「やるからにはちゃんとやって」


「そうなんだけどさ」


 せっかく買ったのだから連絡先は交換したい。そうでないとスマートフォンもとい携帯電話は誰とも連絡の取ることがない箱になってしまう。


「というか、連絡するわけじゃないならどうしてスマホ買えって言ったんだ?」


 先週の去り際、静かで落ち着いた声を思い出す。


「ニュースをテレビで見るのが馬鹿らしいから言っただけ。そうすればあわてて帰る必要なくなるから」


「その手があったか」


 呆れたような笑みを浮かべる。


「でもせっかくだから。どうせ一緒にご飯食べてればすぐに俺だってバレるしさ」


 それでも、と渋るミゼは勢いで押す。


「頼むよ。スマホで連絡とかしてみたかったんだよ」


「……わかった」


 根負けのような形でついに交換を承諾したミゼがあと三分の一ほど残ったオムライスを食べ始める。俺はそれを眺めるだけ。もう食べ終えてしまった。


 手持ち無沙汰でスマホをいじってみる。皆が取り憑かれたように覗く小さな液晶はそれほど魅力的ではない。


「QRコードの出し方わかる?」


「わからん」


 オムライスを食べ、紙ナプキンで口を拭い終えてからミゼもスマホを取り出す。


「ここ」


 赤く塗られた爪先が画面の右上を指した。言われた通りに押してみる。


 瞬時に表示されるQRコードをミゼが読み取る。


「ほう」


 テーブルに残されたスマートフォンを拾い上げる。


 ピロンッ


 手の中で震える。『ミゼ』という名前と友達になれたらしい。二頭身のキャラクターの真顔が送られてきている。これはどういう意味なんだ。


「ありがとう」


 格段に価値と重みの増したスマートフォンを握りしめる。


「別に」


 お皿が下げられて、広くなったテーブルに肘をついて素っ気なく答える。口が乾いて水をわずかに含んで、そっとテーブルに戻す。手についた水滴を太ももで拭った。


「このあとどこか行くのか?」


「行くところなんてもうあそこしかないでしょ」


 時刻は午後二時、店を出ると少し人が増えていた。


 濡れた靴底が床と擦れて甲高い音を鳴らす。


 ビニール傘をさす。傘は二人並んで歩くのに程よい距離を保ってくれるものだなと思う。つかず離れず、距離は離れているのにすぐ横にいる。


 雨音が沈黙を埋める。


 歩いているのは二人だけ。


 胸の高鳴りに似た動悸。


 背中が涼しい。


 汗で下着が張り付いているのがわかる。


 雨の日はこうなることなかったのになあ。


 ナイフないけど、どうしようかな。


 変調を悟られないように、傘を握る手に力を込める。持ち手部分の安いプラスチックが食い込む。


 雨音、足音、雨音、足音、、呼吸。


 足先にひんやりとした不快な感触が広がる。スニーカーの病的なまでの白がほどよくくすんでいる。


 歩く。

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