浜松駅マックへ
僕は気賀から浜松駅まできていた。2週間に一回浜松駅近くのブラジリアン柔術教室に通うためだ。バスで山を越え、静岡大学のキャンパスを越え、1時間。浜松市には理由はよく知らないけどブラジル人が多い。おかげでこうしてブラジリアン柔術の中のグレイシー柔術を学べるんだからよかったよかった。というわけで浜松駅北口。ここからいくつものバスが出ているせいかバスターミナルが円形で広い。どこへいくのかわからないバスを二度と会うことのない人々が待っている。東海道新幹線の到着駅だけあって人も大勢いきかっているけど、みんなそそくさどこへ行くのだろう。他にも背の高い商業施設が空を阻むかのように立ち並んでいる。山だらけの気賀とは大違いだ。
浜松駅に来て楽しみなことがある。それはマクドナルドのハンバーガーを食べること! ビッグマックは社会の味! これ覚えておくこと。気賀にはさわやかはあるけどマックがないんだよなー。意気揚々と浜松駅に入っていくとそこには見知った一人の女がいた。
葉具君エル(ハグキミエル)だ。子ども会で篠笛を一緒に習った女で、今年から浜北高に行ったバイオリン弾きの才女。結構お金持ち。中学から私立だったから当たり前か。一応幼なじみ。おかっぱ頭で大きめのカヌレに似ている。灰色のパーカーを着ていて小さな子どもが一人ぽつんと迷っているようにしか見えない。実際まだ子供か。駅中のマックの前を右往左往している。さあ、なんて声をかけてやろうか。僕はひっそりと近づいた。
「おおおおい、エル!」
僕はエルの肩をがっしり掴んで前後に振った。
「わあああ」
エルのさらさらな髪が光に反射してきらきら光る。あまりに大きな声をだしたから周りから注目を浴びてしまった。
「大げさだよ、恥ずかしいなぁ」
「こっちのセリフだよ! びっくりさせないで!」
「何をしているのさ」
エルは髪を手ぐしで直している。聞こえなかったのかな。
「ここで何をしている」
指の銃をエルに向ける。
「怖っ。ただお昼をどうしようか迷ってただけだよ」
「マック?」
「うん、食べたことないから来たんだけど、一人だと不安で」
「友達と来たらいいのに」
「……」
無言になってしまった。きっとまだいないのだろう。
「じゃあさ、一緒に食べるか」
「うん!」
エルが笑うと健康的な歯とピンクの歯茎が見えた。
「僕はマックに来たらビッグマックとポテトLって決めているんだ」
にこやかに接客するお姉さんの前で僕は言った。飲み物はいらない。紙ストローで飲むとおいしくないんだもん。
「何にしよう……。決めてきたけどいざとなると迷う……」
エルはメニューを見上げながら口をぽかんとしている。
「こちらのセットなんかいかがですかー」
Mの文字が入った帽子をつけたお姉さんが手元を指した。
「うーん……」
長い。いてもたってもいられなくなってしまった。
「じゃあ、僕は席を探してくるよ。空いているかな」
ここのマックは店舗型ではなくフロア型だ。フードコートも広くはない。ざっと5組くらいかな、はいれるとしたら。まあまあ混んでて空いてるところがない。きょろきょろする僕を見てか奥のカップルがどいてくれた。僕はそこに座って待つことにした。
しばらくするとエルがオドオドとやってきた。
「こっちこっち、隣空いてるよ」
僕は手招きをする。エルは親鳥を見つけたヒナのようにこちらにやってきた。
「なんか紙持ってお待ちくださいって言われてびっくりしちゃったよー」
ビッグマックらを乗せたおぼんを手にサクラは対面に座った。結局フィレオフィッシュとポテトS、あとアップルパイにしたようだ。
「メント君の分、ビッグマックとポテトLで750円だって」
「結局フィレオフィッシュにしたんだな」
「うん、マックのはないけどハンバーグなら食べたことあるし。やっぱりフィレオフィッシュにしたー」
僕は手をおしぼりで拭き、ポテトに手を伸ばす。アツアツ揚げたてだ。口に運ぶ。あー、この塩気と油。あーこのじゃがいも。あー、夏休み。心が満たされていく。脳内物質が出てる、アミノ酸が出てる。
「お金、750円」
僕はビッグマック専用の箱を開けた。ぼろぼろのレタス、とけたチーズ、そしてハンバーガーの臭い。これが都会だよなぁ。僕はひとしきり大きな口をあけて噛みつく。噛んでいるうちにぼそぼそのパテが唾液を含んでうまさが伝わってくる。僕はいつの間にかトリップしていた。ピクルスの酸味がいいアクセントになっていて舌が喜んでいる。
「ビッグマックはさー、社会の味がするんだよ。自分が社会に参加しているって、コミュニティに参加しているっていう味。確かに味もおいしいけどさ、そういう精神的な満たされ方もするわけ」
「ふーん」
「おまえもポテトばっか貪ってないでフィレオフィッシュたべなよ」
「うん」
こいつ、フィレオフィッシュの箱を開けると何を思ったかハンバーガーを指でちぎって食べやがる。お上品ぶりやがって。もっと両手で可愛く持ってリスみたいにかじれよ。そのまま小さく開けた口に運ぶ。
「どうだよ、初マックの味ってのは」
「……うーん」
エルは首をかしげるだけだった。なんだこいつ。
僕はビッグマックとポテトの箱を空にした。エルは神妙な顔をしながらノロノロと食べている。こいつ確か給食でも一人で残って食べてたっけ。
「じゃあ、僕はこのあとブラジリアン柔術の時間だから、行くわ。またな」
「あ、うん。ありがとう、付いて来てくれて」
「いやいや。どういたしまして。じゃあな」
僕は逃げるようにさっさと立ち去った。
「あ、お金!」
駅の出口に向かう途中、遠いところからエルの声がかすかに聞こえた。
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