第9話 覚悟
田中一郎の件は終わった。
今、ホテルの部屋には俺と有栖の二人だけ。
部屋の外にいるであろう葛城と楓は、物音ひとつ立てない。
静寂が流れ、俺と有栖の視線が絡む。
この場とは対照的に、絡んだ視線に色っぽい雰囲気はない。
「私、可愛いって言われるのが嫌いなんです」
ベッドに腰かけていた有栖が、弱々しく笑いながら呟く。
俺も彼女に可愛いといった気がするが、その時も不機嫌そうな表情をしていたことを思い出す。
「嫌な目に遭ったり、損したり。今回ほど怖い思いはしたこと、ないですけど」
彼女は俯きながらそう言った。
当然だが、危険に巻き込んだ俺を責めているようだった。
「ないものねだり、って奴だな」
顔を俯かせたままの有栖に、俺は言う。
「有栖は嫌っているけど、『可愛い』って言われたいがために大金を出して整形する女は、たくさんいる。だからと言って、有栖が嫌な思いをしたことを否定して贅沢な悩みだ、なんて説教じみたことを言うつもりはない。……結局、誰もが配られたカードで|生きる(たたかう)しかねんだよな」
俺の言葉に、有栖は顔を上げて言う。
「だからって、暴力はダメだと思います」
今回、俺は暴力を振るわれた有栖の前で、暴力のカードを切った。
当然、受け入れられるものではないだろう。
「だけど――」
そう思っていたが、彼女の続く言葉を聞いて、単純な話ではないことに気付いた。
「だけど、あの男が先輩に殴られて、泣いて、喚いて、命乞いをして……私は、スカッとしました。ザマぁ見ろって思いました!」
有栖の口元には、仄暗い愉悦が宿っていた。
「だから私も、先輩に対して正論じみた説教が言えなくなっちゃいました」
この数時間で、彼女の価値観を変えてしまった。
そのことを悔やむのは――きっと偽善なのだろう。
「今回の経験で、思い知りました。私が家出をした理由、それが全然大した悩みじゃなかったってことに」
俺は無言のまま、彼女の言葉を待つ。
「私は今、お母さんと――3人目の再婚相手と、3人で暮らしてるんです」
「複雑な家庭環境だな」
俺の言葉に、彼女は苦笑した。
「私のお母さん、まだ若くて。今の私とおんなじ年に、私を産んでるんです。おまけに身内のひいき目抜きでも美人だから、子持ちでも言い寄ってくる男の人がたくさんいて」
有栖の母親なら、美人なのも納得だ。
「10歳の頃、一人目の再婚相手はよく私の身体を触っていました。最初は頭を撫でたり、肩に手を回したり。そのくらいだったんですけど、途中から太ももを触られだして。……お母さんに相談したら、すぐに離婚してくれたので、それ以上のことはなかったですけど。それから中学二年生の時、二人目の再婚相手は、私に自慰行為を見せつけるのが大好きな変態でした」
虚ろな目で、有栖は続けて言う。
「そして今、三人目の再婚相手には、下着を盗まれています。家にある下着に、変なことがされていないか……不安で不安で仕方がないです。そのことをお母さんに相談したら、『流石に三人目ともなると、あんたが色目使ってるんじゃないかと疑ってしまうわよ』と言って、まともに取り合ってくれませんでした。今の再婚相手、若くてすごいお金持ちだから、これまでみたいに簡単に離婚したくないみたいなんですよ」
「お前の母ちゃん、男見る目が壊滅的に
俺の言葉に、「まさしくその通りなんですよ」と、答えて、嘲笑を浮かべた。
「それで、これからどうするつもりなんだ……?」
有栖は俺の言葉に、力強く頷いてから答える。
「戦いますよ。私に配られた、たった一枚のカードで」
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