第8話 落とし前

 拳に衝撃が走ると、目の前の男――田中一郎は壁に勢いよくぶつかった。

 蹲って悶えているのを確認してから、視線を有栖へと向ける。


 涙を目尻に溜め、憔悴した表情だった。

 俺は彼女に歩み寄り、膝を折って視線を合わせる。


 今にも零れ落ちそうな涙を、指先で拭ってから、俺は口を開く。


「悪い、この部屋に来るまでに少し手間取ったせいで、有栖に怖い思いをさせたみたいだな。……本当に、ごめん。でも、もう大丈夫だ」


 俺は出来るだけ優しくそう言ってから、有栖の手を引いて廊下に連れ出し、廊下で待機していた楓と葛城に彼女を任せた。


「頼んだ」


 俺がそう言って有栖を頼むと、二人は無言のまま頷いて応じた。


 俺は再び部屋に戻る。

 田中は俺に殴られた頬を抑えながら、必死の形相を浮かべている。


「俺はハメられたのか? サキが騙したのか? ……あのクソ女、絶対に許さねぇ!」


 田中の聞くに堪えない言葉を無視し、俺は彼を蹴りつけた。

 仰向けに倒れこんだ彼に馬乗りになり、胸倉をつかみながら顔が腫れ上がるまで何度もぶん殴る。


「サキがクソなら、お前は良いとこクソに集るハエってところだな」


 俺の言葉を聞いた田中は、こめかみに青筋を浮かべながら叫ぶ。


「元々俺は、パパ活女に詐欺られて、金をだまし取られたんだ! だから、正義の鉄槌を下した……売女は全員同類だ! 俺は何も間違ったことなんてしちゃいない!!」


「お前が詐欺の相手に復讐をしただけなら、俺は何も言わねぇ。でも、そうじゃない。無関係な、必死に生きてる人まで食い物にしようとした。お前がどう思おうが知ったこっちゃねぇが、俺にとっちゃそれが許せねぇんだよ」


 鼻息荒く俺を睨みつける田中に、俺は続けて言う。


「職業に貴賤はない。誇りを持って身体を売る女だっているし、そういう奴を俺は素直に尊敬してる。望まずにそういう職業に就くしかなかった女には、出来る限り他の仕事を斡旋できるように配慮もしてる。でも……お前みたいな性根の腐った変態野郎は、どんな立派な仕事をしていても、許せねぇ」


 俺はもう一度、田中の顔面に固く握りしめた拳を振るった。

 


「あああああぁぁぁぁっぁぁああ!!!」


 彼の前歯が折れて吹っ飛ぶ。

 田中は痛みに呻き、涙を流している。


「ぶぅざけるな! 殺(ごぼ)してやる、俺のケツ持ちが誰か、知(じ)らないだろおっ!?」


「……へー、誰だよ、教えてくれよ」


「櫻木會の若頭だ!!! てめぇ、殺されても知らねぇぞ!」


 血が混じった唾を飛ばしながら、田中は言った。

 カシラがこんな筋の通らない奴のケツモチをするなんて、ありえない。

 ……だめだ、ムカついてきた。


「……そうか、そいつはおっかないな。悪かったよ、俺もやり過ぎた」


 そう言って俺は、田中の上から離れる。

 彼は一瞬キョトンとしていたが、


「は、はは……分かればいいんだよ」


 そう言ってから立ち上がり、自分のカバンの中を物色し始めた。

 

「なーんて言うと思ったか、馬鹿野郎が―!!!」


 態度を一変させ、田中はカバンから取り出した刃渡り7センチ程度の小ぶりなナイフを構え、突っ込んできた。

 非常に単純な思考回路で、俺は嬉しくなって笑った。


 ナイフを持つ手を蹴り上げる。

 唖然とした表情で、空中に投げ出されたナイフを見る田中の前で、俺はそれを掴んだ。

 反対の手で宙を漂う田中の腕を掴み、それから握りしめたナイフで彼の手の甲を突き刺し、壁に貼り付けた。


「い、痛い! いたぁ~いっ!!!」


 滴り落ちる血を見て顔を青ざめながら、田中は涙を流しながら言う。

 その不細工な顔を見て、溜飲が下がった。


「櫻木會のカシラの名前を出してこの街で悪さするなら、殺されたって文句は言えないからな」


「……い、嫌だ! 殺さないでください……!!」


 情けなく泣き叫ぶ田中。

 

「殺すわけないだろ。とりあえず、今から聞くことには正直に答えろよ」


 俺は職業、年齢、家族構成や住所など、個人情報を一通り聞いた。

 尾行していたときにはそれなりに警戒心を持っていたように見えたが、財布を探ると免許証が入っており、少し笑ってしまった。


「定職なし、同居家族なし、おまけに特定の住居もなし。脅した女から金を巻き上げ部屋に住み着かせてもらってるってか……外道が」


 吐き気を催すような邪悪。

 こいつが死んで喜ぶ奴は腐るほどいるだろうが、悲しむ奴はいるだろうか?

 そんなことを考えていると、コンコンと扉が叩かれた。


「入れ」


「失礼します、若」


 そう言って入ってきたのは、葛城と櫻木會若頭補佐の志島(しじま)だった。


「おう、わざわざ悪いな」


「いえ、若がお呼びとあれば、駆け付けんわけにはいかんでしょう」


 志島は豪快に笑ってから、


「それで、|働き口(・・・)を探しているってのはこの男ですかい?」


 と、鋭い眼差しで田中を見た。


「ああ、いつも通りよろしく頼む」


「へい」


 そう答えた後、さらに部屋の中に毒島を含めた組の若い衆が入ってきた。


「お、おい……なんだよこれ、どういうことだよ一体!?」


 不安がる田中に、俺は言う。


「30代くらいの男の働き手が欲しいって言う、金持ちの変態がいてな。お前は今日からそこで、住み込みで働かせてもらうことになった。落とし前つけてもらわなきゃ、お前の被害者に俺は顔向けできねぇからな」


 田中は若い衆に羽交い絞めにされながら、絶望を浮かべて言った。


「ふざけるな! 絶対に許さないからな!」


「最初に言ったはずだ。俺の女に手を出したら、タダじゃ済まないってよ」


 俺の言葉を、田中が最後まで聞けたかは分からなかった。

 麻袋を被せられ、全身の自由を奪われた田中は、若い衆に担がれて部屋から出て行った。


「……終わったんですか、先輩?」


 廊下から部屋を覗き込んだ有栖が、不安げな眼差しを俺に向けながら問いかけた。

 俺はその視線から逃れるようにしてから、口を開いた。


「ああ、終わったよ」


 どうしてか、自分自身分からない。

 俺は有栖の顔を直視できないまま、そう答えていた。

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