太陽に、弓を引く。
水野酒魚。
太陽に、弓を引く。
百年ぶりに雨が降った。
中原を離れていた
百年の間続いた
天帝の
始め、御子たちは一日に一人が中天を渡って天下を照らしていた。
陽の恩恵によって地は程よく温められ、作物は良く実り、人々は良く働き、
だが、次第に御子たちは十日に一度の責務では満足できぬようになった。
我こそは第一。我こそが日輪。競い合うように一人、二人と御子たちが天を行く。兄が行くなら我も、弟が出しゃばるなら我も。斯くして十の太陽が同時に天空に並ぶこととなった。
困り果てたのは、天下の民草。十の太陽が
雨水を
『御子様をお
天帝は御子たちを呼び集め、元の通り十日に一度の勤めを果たせと厳命した。
しかし、御子たちはその言葉を聞き入れなかった。
『九日も、退屈を持て余すのは苦痛でございます。仲の良い兄弟たちと、いつでも一緒に居とうございます』
声を揃えてもっともらしい事を言う十人の御子たちは、いつまでも互いに譲ろうとはしなかった。
やがて、天帝は深く嘆息して、一人の武臣を呼び出す。
弓の名手として聞こえたその英雄は、名を
天帝の勅命により、后羿はただちに
英雄神は、天下を預かる地の帝の前に現れた。
地の帝は驚くと同時に天を仰ぎ、天帝に感謝の礼を捧げる。
天に十の日輪が昇るようになって、地の時間ではすでに九十九年。その数を多く減らした人々は、高い山の陰に隠れるように都を作りようやく命脈を繋いでいた。
英雄神は、太陽がよく見える山に足場を定め、御子たちに向かって矢を射かける。
無論、御子たちを傷付ける訳には行かぬ。白羽の矢は虚空に向かって放たれた。
『御子様、天帝陛下の
后羿の言葉など、さざめき合う御子たちには届かない。今日も最後の御子が西の山々に沈むと、地の帝とその臣下たちは、后羿に縋り付いて悲痛な叫びを上げた。
「このままでは、我らは絶滅を待つばかり。どうぞ我らをお救い下さい。民草をお救い下さい。中天にある日輪は、たった一つで良いのです」
『あの日輪は、天帝陛下の御子様たちだ。射殺してしまう訳にはいかぬ。御子様を射落とせば、臣下としての分を越えることになるだろう』
「御子としての本分を忘れ、天下万民をいたぶり、苦しめ、それでも己のが所業を省みることも無い、そんな非道の御子を
『
地の帝と約定を交わして、后羿は翌日もその翌日も山に降り立った。
后羿は、白羽の矢と共に御子たちを諫める言葉を放つ。十人の御子たちは聞く耳など持たず、后羿をせせら笑う。白羽の矢が、自分たちを傷付けることなど無いと高をくくって。
三日目も、后羿はやはり山に立った。
『お願いでございます。御子様方。職責をお果たし下さい。天下の民草を、禽獣を、草木を顧みて下さい。皆苦しみに喘いでおります』
その日、后羿は声が
──夜が来た。
后羿は意を決して、十の太陽が消えた空を見上げた。
翌日の日の出。一番
御子たちが、次々と山間から現れた。
一つ二つ……十。ずらりと並んだ太陽が、今日も地上を灼き焦がす。
『お許し下さい。天帝陛下。
始めの一矢がひょうと澄んだ音を立てて、一直線に真ん中の御子を射貫く。
『
驚愕の叫びを上げて、御子の一人が天空から転がり落ちた。灼熱していた御子の遺骸は、真っ黒く
慌てふためき、御子たちは
弓を引く度に后羿の矢は精確に、御子たちを射落として行く。御子たちの悲鳴を聞きながら、それでも英雄神は弓を扱う手を止めない。
九本の矢で、九つの太陽が天から消えた。
たった一人、陽烏たる御子は震えながら中天に残された。
それは一番幼い御子。最も年若い太陽だった。后羿は、御子に向かって一礼する。
その横顔は苦悩に満ちていたが、固く結ばれた唇には、全てを覚悟した者の穏やかさがあった。
后羿が御子たちを射落として、七日後。
百年ぶりの雨が、渇ききった大地に降りた。
雷鳴と共に。地上に天命が下る。
地の民草の苦しみを除いた功により、丹弓と白羽の矢は后羿に
だが、御子たちを弑逆した罪により、后羿は妻もろとも神籍を
美しい虹色の羽衣を天に返した妻は、泣き出しそうに眉を寄せながら、夫に寄り添った。
「貴方様は、
后羿は愛しい妻を抱き寄せて、何度もすまぬ、すまぬと
天の英雄神は地の英雄となり、数々の
それはまた、別のお話。
太陽に、弓を引く。 水野酒魚。 @m_sakena669
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