第55話・手に入らない帰還

 ジレの本音は心の奥底に戻り、一同は現実世界に戻ってきた。


 一足先に目を覚ましたジレが泣いて泣いて、泣き疲れて眠ったのを確認して、エルはジレを抱いて部屋へ連れて行った。


 全員後をついてくる。


 ジレをベッドに入れて、エルは振り返る。


「ここで話をしたいんだが……」


「お任せあれ」


 ヴィエーディアが壁を杖で軽くつついた。


 しゅるる、と音がして、壁が後退する。


「こんなモンで?」


「ああ、十分だヴィエーディア殿。ありがとう」


 ヴィエーディアがついでにカタタッと椅子を出して、全員がそこに座る。


「ここで話さないとジレがまた拗ねるからな」


「分かってやンな。ワガママ言いたい年頃なんダ」


「~~~」


 エルはしばらく自分の頭を掻きむしっていたが、溜息をついて頭から手を放した。


「……そうだな。この年代の女の子、と言うのを俺は知らなかったんだ」


「済みません、私の目が行き届かず」


「それは何か違うような」


 セルヴァントの言葉に、プロムスが頭をひねる。


「で、何故戻っていらしたのです、フィーリア殿、ヴィエーディア殿」


 くるりとヴィエーディアは一同の方を振り向いた。


「終わったからだヨ。旅の目的を達成した……いや、できなかったからサ」


 ヴィエーディアの顔に一瞬影がよぎった。


「そっか……」


 アルは軽く俯いた。


「もう僕が魔法猫に戻れることはないんだね?」



 アルは軽く俯いたまま、言った。


「ヴィエーディア師匠が気休めを言うことはないからね」


「アル……」


「アルくん……」


 違う違う、と笑ってアルは手を振った。


「最初から覚悟はしてた。虫入りになった魔法猫が戻った例は……ない」


「ああ、あんた最初から言ってたもんネ」


「だから気にしてない。と言うか今が奇跡なんだ。虫入りの魔法猫が、猫の姿も取らないで正気を保ててるってのが」


「ごめんなさいね。アルプ」


 フィーリアが目を伏せる。


「貴方は私たちの為に色々なことをやってくれた。私が国から逃げられたのも、ジレフールの体がよくなったのも、エルアミル殿たちの願いが叶ったのも、全部貴方のおかげなのに。だから、少しでも可能性があるならと行ってはみたけれど……噂と想像と伝説に踊らされて、結局本物の話は何もなかった」


「正直、腹が立つヨ」


 ヴィエーディアは苛立たしそうに髪を掻き上げた。


「三年も旅をして、何も得られなかったなンて、サ。フィーリア様の魔法薬が辛うじて成果、かもしれない」


「フィーリア殿の、魔法薬?」


「……ええ」


 それは、己の薬を誇る薬師の顔ではなかった。


 開けてはいけない箱を開けてしまった子供のような……申し訳なさそうな顔と声。


「……一体」


 何があった、という視線がフィーリアに集まる。


「そうね、この薬は……言葉にするならば、希望と絶望」


「希望と絶望……?」


「せめて何か、と思った末に持って帰ったンだけどネ……ジレ嬢ちゃんのあんな様子を見ちまったら、良くないと思っちまって……」


「……何か心を操る魔法薬なんですね?」


 エルの伺うような声に、フィーリアは溜息をついた。


「感情を完璧に消し去る薬よ……」


「感情を?」


「ええ。怒りや悲しみ、そういう負の感情を消してしまう」


「ありがとう、フィーリア様、ヴィエーディア師匠」


 悲しそうな笑顔でアルは礼を言った。


「でも、それはいいいや」


「そうだネ」


「うん、それで心の一つを消し去ってしまったら、僕は僕じゃなくなってしまう…….魔法猫には戻れても、僕には戻れない」


 ジレの感情を目の当たりにして、アル……アルプは知った。


 すべての心が揃ってこそ、初めて一人の人間なのだと。


「じゃあアルプ……」


 エルは足を開いて座ったまま、アルプに視線を向けた。


「お前はこのまま、俺の弟でジレの兄だな?」


 え? とアルプが目を見開く。


「魔法猫に戻れない僕だよ?」


「魔法は使えるんだろう」


「使えるけど」


「そのままの姿なんだろ」


「そうだけど」


「なら、何の問題がある?」


 アルプは首尾何度も捻って……分からない、ともう一回首を捻った。


「……なんで?」


「お前もジレと同じか。いや、ちゃんと伝えなかった俺が悪いんだが」


 ジレは膝の上に手を置いて、アルプを見据えた。


「お前は既に俺たちの家族なんだ。確かに言い分ではヴィエーディア殿の弟子で俺たちを見張る役割だったが、俺たちは確かに三兄妹だった……違うか」


「……いいの?」


「いいも何も」


 エルは真剣な目で言った。


「俺たち三人で「不倒の三兄妹」だろうが。一人抜けても格好悪いし、何よりジレがまた塞ぎ込んでしまう」


 あれを塞ぎ込む、という言葉で説明してしまっていいのだろうか。


「じゃあ、僕も兄妹でいいの? エル兄?」


「お前まで疑ってたのか」


 エルはふー、と長く息を吐いて、髪を掻いた。


「俺が伝えようとする努力が足りなかったんだな」


「あ、ううん! エル兄を疑ってたわけじゃないんだ! ただ……夢で、そうだったらいいな、って思ってたことを言われたから……ちょっと、すぐには信じられなくって」


 そして、アルプは微笑みながら話を聞いていたリッターに目を向けた。


「リッター兄は……どうするの?」


「私?」


 リッターは自分を出した。


「私、か」

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