第54話・叱られたかった子と叱れなかった人と

「……そうか」


 アルの瞳が虫入り琥珀になり、エルが傷を、プロムスが左腕を失った時のこと。


 確かに、大人からの判断とすれば、ジレが悪い。


 ジレが大人しく隠れていれば、あの三人の技量であればあの程度の冒険者崩れなど、楽に倒せていただろう。


 誰かが、ジレが悪い、そう言ってくれれば。


 そうすればジレは反省して、その汚名を被り、ひたすらに贖罪しょくざいしただろう。


 だが、誰もジレを責めなかった。


 お前は何も悪くない。


 エルは頬の手当てを受けながら、プロムスは錆が浮いた剣で斬られた左腕の手当てをされながら、そう言った。


 私が悪いんですよ。


 ジレの打ち身に軟膏を塗りながら、セルヴァントはそう言った。


 ジレ様がお兄様のところに行きたがるのなんて、分かっていたのですから。


 そこから気持ちが混乱して、ヴィエーディアの魔法で身動きが取れないようにされているアルプを見て。


 家族じゃないから?


 ジレはそう思ってしまった。


 家族だったら、叱ってくれた?


 その願いが、怒りに歪んだ魔法猫のわずかに残った純粋な金のハートに反応した。


 そして、ジレは。


 みんなが家族なのだと、頭の中の記憶を書き換えた。


 ヴィエーディアが気付いた時には遅かった。


 幼い彼女は自分の思い込みを、アルプの魔法力を使って脳みそに刻み込んだのだ。アルプ……アルをも巻き込んで。


 みんなが家族だから、プロムスもセルヴァントも家族だから。だから、次があっても、みんなはわたしを叱ってくれる。


「それは、違う。ジレさん」


 リッターは思わず声をあげていた。


「みんなは君が家族じゃないから叱らなかったわけじゃない」


 ちがわない!


 ヒステリックな拒絶の言葉。


 かぞくじゃないから、しかってくれなかった!


 プロムスも、セルヴァントも!


 かぞくじゃなくて、しんかだったから!


「家族じゃないから叱らなかったわけではない」


 千切れようとする絆の糸を大事に掌に包んで、リッターは伝えた。


「家族じゃないから叱らなかったのなら、エルアミル様が叱らなかったのは家族じゃないからかい?」


 だって、おにいちゃんは、わたしをかぞくだっておもってないもん!


 てがみこなかったもん!


「受け取っただろう? あの手紙の間で。エル殿が伝えたかった全霊の手紙を」


 でも、でも!


「……もう分かってるんだろう? ジレさん」


 そっと絆の糸を自分の胸に押し当て、リッターは告げた。


「君は外が怖いから出てこないわけじゃない。不安なんだ。これまでの家族でいられなくなってしまうのが。自分がジレフールに戻ることによって、プロムス父さん、セルヴァント母さん、アル兄さんが消えてしまうのではないかと……それが不安なんだ」


 …………!


「そして、私はこうとも言う。君の心配は杞憂きゆうだとね」


 なんでそんなこといえるの!


 あかのたにんのくせに!


「赤の他人だからこそわかることがある。だって、あの事件以前から、プロムス殿も、セルヴァント殿も、エル殿も、アル殿も……」


 ……いうなあっ!


「……守りたい家族だと思っているのだから」


  ぱしぃん!


 何かが割れる音が鋭く響いた。


 リッターは反射的に上空を見上げた。


 大きな光が空から降ってくる。


 これは……。


「ジレ嬢ちゃん、あたしたちのことも忘れちまったのかイ?」


 ヴィエーディアさんっ!


「ヴィエーディア殿?」


 光に乗って降りてくるのは、ヴィエーディア、フィーリア、プロムス、そしてアル。


「全く、うだうだ悩む癖は兄妹揃って同じだねェ。家族全員連れてきたから、ちゃあんとお話聞くんだヨ?」


 なんていう力技。


 アルが残された魔法力でエルとリッターの精神だけをここに届けたのに、ヴィエーディアは外にいた全員を連れて心の奥底まで問答無用で入ってきたのだ。


「ジレ嬢ちゃん、何だってそんな悩むんだイ?」


 だって、わたしのせいだもん!


 泣き叫ぶような声。


 わたしがむりやりみんなをかぞくにした! わたしがおもいだしておきちゃったら、みんなもとどおりになっちゃう!


「ならないよゥ」


 なる!


「そこの騎士殿が言ってたことと、今エル殿の考えていること。合わせて考えれば、答えは出てると思うけどねェ」


 エル殿?


 エルは目を閉じたまま。ヴィエーディアたちが現れたことに気付いた様子もなく、ひたすら思いを届けているのがわかる。


 ああ、そうか。


 最後の一歩を踏み出す勢い。今のジレにはそれが必要で、ヴィエーディアが尻を叩きに来たのだ。


 ちがうちがうちがう、きたいしちゃだめなんだ、きたいしてもうらぎられるだけなんだ。


「しょうがないねェ」


 ヴィエーディアは乗っていた光から飛び降りると、胎児と、傍で目を閉じているエルをひっつかんで、くいくいとリッターに手招きして、光の上に再び飛び乗った。


「実際に聞いてみナ!」


「「「「ジレ!」」」」


 アル、プロムス、セルヴァント、フィーリアの声が響いた。


「一生懸命だったジレを、誰が叱れるものか」


「そうよ、叱らなかったのは、叱れなかったから。可愛い娘を、何の間違いも起こしてないのに叱れるわけ、ないでしょう?」


「記憶を思い出したら僕が家族じゃなくなっちゃうって? ジレにとって、僕はそんなに薄情な兄ちゃんだったのかい?」


「ジレ。貴方は贅沢者。こんな優しいお父さんと、お母さんと、お兄さんたちがいて、心配してくれている人がまだいるだなんて、滅多にありやしないんだから」


 フィーリアの言葉が、トドメとなったように、四方八方から光が差し込み……。


 胎児は今のジレの姿となって、みんなの真ん中で泣きじゃくっていた。

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