第50話・寝台の空間
道標の光が途切れたところは、また別の空間らしかった。
どちらにせよ暗いのに変わりはなかったが。
「ここは……ジレさんの何処でしょう?」
「……寝室、だ」
エルがぽつりと呟いた。
言われたリッターが手で探ってみると、暗い中、確かに布の手触りが。
「寝室と言うのは、生まれてからずっとあの子の唯一居られる場所だった。そして縛られている場所だった。ここにしかいられないという思い、ここから出たいという思い、色々な思いが入り混じった場所」
『お可哀そうに』
突然聞こえた女性の声に、エルとリッターは身構えながらあちこちを見回した。
暗闇の中、見えるのはお互いだけ。二人とも気配を探るが、どこにも人の気配がない。
『この子は生まれつきお体が弱い。十まで生きれるか、それ以前にベッドから降りられるか分かりません』
「……誰の声だ?」
「ジレさんが聞いたことがある声だと」
『ええいこの厄介者め』
今度は男の声。これは聞き覚えがある。数年前まで直で聞いていた声。レクス王。
『これのせいでレジーナは死んだ。十まで生きられれば幸運だというのに王鷲としなければならないのか』
『どうせすぐ死ぬんだから、ブローチを与える必要などないのに』
これはフィリウス? いや、王鷲の誰か?
「……寝台の上で聞いた言葉、だと思います」
リッターの声が震えた。
「物心つく前……いえ生まれた時から、意味も分からず耳に飛び込んできた言葉を覚えていたのでしょう。狭い世界で、罵倒を言われて」
「……ジレ……!」
『お可哀そうな事』
今度は女の声。
『舞踏会に行くこともできないような王鷲なんて、王鷲の資格はないのに』
「アッカー姉さんの声だ」
エルの言葉に、リッターは王鷲の一人アッカーを思い出した。女性では継承権が高いが、派手好きな浪費家だった。噂によればフィリウスに真っ先に暗殺されたと聞いているが。
『大丈夫、元気になれる』
その声に、リッターとエルは顔を見合わせた。
エルの声。
『兄さんが、必ず魔法薬師を見つけてくる。お前の体を直せる薬師を。だから、諦めるな。兄さんが絶対に元気にして見せる』
「俺の言葉……覚えててくれたのか?」
『大丈夫ですよ、ジレ様』
セルヴァントの声。
『お兄様は絶対に、ジレ様に会いに来てくださいますから』
『ええ、そうですとも。エルアミル様はいつでもお嬢様のことを思っていらっしゃいます』
プロムスの声。
「……おかしいな」
リッターは呟いた。
「何故、エル殿やプロムス殿、セルヴァント殿の声があるのに、彼女はここから出てこないのでしょうか」
「……そういえば」
「さっきの手紙の空間は分かります。エル殿からの手紙はなかった。なのに、この寝台の部屋で皆さんの声があるのに、どうして彼女はこの空間を閉ざしているのか……」
『それなら……』
二人はすぐに分かった。
ジレの声。
『なんで、そばにいてくれないの? おにいちゃんは、なんで、いま、そばにいてくれないの?』
「……ジレ」
『でも、わがままいっちゃいけないんだよね……わがままいうことは、ゆるされないんだよね……』
「!」
『わたしには、わがままをいうしかくはないんだ……』
「この、馬鹿!」
エルが叫んだ。
「いくらでもワガママ言ったって良かったんだ! お前が口に出して言ってくれないと、分からないだろ! 言ってくれよ、俺に!」
『わたしは、ワガママいっちゃダメなんだ……』
すぅ、と声が離れて行った。
「ジレ!」
「……彼女は、寂しかったんですね」
リッターがぽつりと呟く。
「病弱の身で、王家の者としてワガママを言うことは許されないと……同じ血を引く兄にもワガママを言ってはいけないと……」
「そんな……!」
エルは頭を抱えた。
「傍に居てやれば……良かったのか? すべてを投げ捨てて……」
「彼女自身もどうしたらよかったのか分かってないんでしょう」
エルの背を叩きながらリッターは慰める。
「ジレさんはエル殿が自分の体を治そうとしているのを知っていたんでしょう? 体が治れば何処へでも行けるしエル殿とも一緒に居られる。でも治るかどうかわからない。……小さい頃の彼女は、それを悩んでいたんですよ」
「……どうして俺は……気付けずに……」
「気付かせないように彼女が気を使っていたんでしょう。貴方に嫌われたくもないし邪魔もしたくないと」
ふぅ、とリッターは息を吐いた。
「私の出番ですかね」
「リッター?」
「まだ言いたいことがあるでしょう!」
リッターは声を張り上げた。
「言いたいこと! 全部! お兄さんに言えないというのであれば、臣下に言えないというのであれば! 赤の他人で騎士を捨てた私に言えばいいでしょう!」
『何も……』
ジレの声が戻ってきた。
『何も知らないくせに!』
「何を知らないって言うんです?」
『全部よ!』
金切り声が響いた。
『わたしがどんな思いで黙ってたか! どんな思いで我慢してたか!』
「どんな思いですか?」
『お兄ちゃんに嫌われたくない! お兄ちゃんの邪魔になりたくない! 言いたいことがいっぱいあった、聞きたいこともいっぱいあった! でも言えないし聞けない、嫌われたら……もし嫌われたら!』
「俺がお前を嫌うことなんてありえないだろうが!」
今度はエルが声を張り上げた。
『分からないじゃない! ワガママを言う妹なんて嫌いって言われたら、私……』
「ワガママを言ってほしかったんだ! 全部! 俺はそれを全部受け止める覚悟ができてた! ……確かに、ワガママを言っても嫌わない、と言う言葉を継げなかった俺に一番の原因があるだろうが……それでも、お前のワガママで、俺の気持ちが揺らぐことなんて、ない!」
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