第48話・手紙の空間

「にゃあ」


 アルプは言うと、ちょいちょい、と茨の壁を前足で掻いた。


「ここかい?」


 リッターは膝をついて、そっとアルプが示した場所を見る。


 ぎっちりと絡み合う茨の中に、隙間があった。


 小指の先ほどの穴。


「……どうしろと」


「入れるのかい?」


「にゃあ」


 アルプは返事して、鼻面を隙間に突っ込んだ。


 途端、アルプの姿が霧のようになって隙間に吸い込まれていく。


「エル殿は私の後から」


 リッターは細い穴に人差し指の先を近づけた。


  ぐねん。


 一瞬上下左右が分からなくなる空間失調が起き、我に返った時には、傍にエルがいた。


「ここは」


「ジレさんの心の中の壁一枚向こう側、でしょうね」


 微かに残る頭痛を首を振って追い払い、辺りを見回す。


 黒い床(?)の上に、何枚もの紙が落ちていた。


 エルもリッターもしゃがみ込んで、それを拾う。


「手紙……か?」


 リッターは目を通す。


「くだらないことで手紙を寄越すのではない。私は忙しい……」


 レクス王だ、とリッターは思った。


「ジレさんへ来た、手紙?」


「ああ。……こっちはフィリウスだ」


 エルはリッターにそれを見せる。


「無能の妹よ、王鷲に相応しくない者は去れ」


「あの世へ、というものだ」


 エルは右手を握ったり開いたりしながら呟いた。


「くそ、あの野郎、両足へし折ってやっても良かったな」


「それに関しては全く同感なのですが」


 リッターは落ちている紙に一つ一つ目を通しながら返事する。


「殺したあのゲスに何をしても、ジレさんの慰めにはなりませんよ」


「そうだな、もう殺ってしまったからな」


 エルは唸る。


「第一の門は、ここでしょう。誰からも愛されていない証拠。……失礼ですが、エル殿」


「何だ」


「エル殿はジレさんに手紙を書いたことは」


「もちろんだ。離れている時は月に一度は書いていた」


「アルプくん」


「うにゃあ?」


「彼女に届いた手紙は、すべてここにあるのでしょうか」


 アルプは床をカリカリと掻いた。


「レクス王やフィリウス以外の手紙も、あると言うことですね?」


「にゃあ」


「じゃあ、この中から探しましょう」


「探す?」


「ええ、この紙の山の中から」


「要するに、あれだな」


 エルは片っ端から紙を拾いながら言った。


「見たくもないけど見なければならない嫌な手紙が多すぎて、もらった手紙の内容は全部この手紙の空間に閉じ込めてしまったんだな」


「ええ、恐らく」


「じゃあ、探してやる」


 ずんずんとエルは進んでいって、紙を集める。


「俺だって手紙を書いたんだ。あいつから返事も来た。力がないから普通はセルヴァントやプロムスに代筆させてたんだが、俺への手紙だけは、自分で書いてくれていた。細くて歪んだ字だったけど、一生懸命書いてくれていた。あのやり取りを忘れただなんて言わせない」


 紙を拾いながらエルは息まく。


「忘れた、ではなく封じた、でしょうがね」


 一面に散らばった手紙を一通り集め終わる。大の男二人でも持ちきれない重さなので、一所ひとところに集めた紙を今度は二人がかりで一枚ずつ確認する。


「あ、ダメだ、これ親父だ」


「これもフィリウス……あの男、嫌味には手間をかけるんだ」


 一枚ずつ飛ばして見ていくが、冷ややかな、厭味ったらしい、遠回しで分からないだろうの比喩、そんなのがぞろぞろ出てくる。


「最後の一枚……」


 生きているだけで迷惑だ、と書かれた手紙を置いて、エルは不審そうな顔をしていた。


「何故だ」


「何がですか?」


「俺の手紙が何一つない」


「アルプくん、ここにはジレさんに届いたすべての手紙の記憶なのかい?」


「にゃあ」


「……まさか」


 リッターはあることに気付いて顔を上げた。


「手紙は、届いていないのでは?」


「え」


 エルの顔が、一瞬、ポカンとした。


「手紙に、王鷲印は入れたのですか? ジレさんからの返事に王鷲印は?」


「なかった。兄妹の手紙だからと」


「今まで見ていた手紙には、すべて王印や王鷲印が押されていた。つまり、本人が出した手紙と認定されていたんです」


 王印や王鷲印は、ブローチについている印で、本人しか押せない、国王や王鷲が書いたという証拠。


「もしかして……届いてなかったのでは」


 リッターの言葉に、エルは訳が分からないと顔を上げた。


「どういう意味だ」


「ジレさんからの手紙にも、エル殿からの手紙にも、王鷲印は押してなかったのですね」


「ああ」


「……王鷲印が押されれば、本人に渡さないといけない。だけど、それがなければ、制約はない。代筆……別の誰かが書いたとしてもまったく調べることはできない」


「……まさか……!」


「レクス王かフィリウスか、あるいは他の王鷲かは知りませんが、エル殿の手紙を受け取って返事を書いていたのは別の誰かの可能性があるんです」


「…………」


 エルは考え込む。


「可能性は……ある。細くて歪んだ字なら、左手ででも書けば」


 そして床を殴る。


「くそっ! 妹に出すのは失礼かと思って押さなかった王鷲印が、ここで裏目に出ていたなんて……!」


「にゃあ」


 そこにアルプがやってきた。何かをくわえている。

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