第47話・心の中のアルプ

 エルがジレを抱えて部屋に運びベッドに寝かせる。


「じゃあ、エル兄とリッター兄はジレの頭の方に座って」


「ああ」


 エルとリッターはジレを挟んで差し向いに座る。


「二人でジレの心の中の、心の奥の奥底にあるジレの本音の部分に、光の記憶を当てるんだ。楽しいこともあったんだって、思い出させるんだ」


 プロムスとセルヴァントが不安そうにその様子を見ている。


「エルアミル様……いや、エル」


 プロムスがエルに向き直った。


「ジレを、頼む。……私にとっても、愛しい子なんだ」


「分かってる。俺たちみんながそう思っていることを、ジレに伝えないといけない」


「リッター兄、エル兄がキレそうになったら何としてでも止めてね」


「……お前は俺を何だと思ってるんだ」


「不安な長兄」


「……おい」


「そこでキレそうになるからだよ」


 ぐむ、とエルは息をのんだ。


「こっち側と違って、ちょっとしたショックがジレに悪影響を及ぼしかねないんだから。馬鹿力で対応できる場所じゃないからね?」


「……分かった」


「心の中だから、無茶をしたらジレが壊れるんだからね。リッター兄は多分そのことを知っていると思う。それに、ジレはリッター兄に二回も本気を吐き出している。だから、リッター兄にも行ってもらうんだ。リッター兄にはエル兄と別の場所で頼りにしていると思うから」


「最大限、努力します。私が今生きているのは、ジレさんが私を見つけてくれたからなのですから」


「じゃあ、行くよ」


 アルは懐中電灯を握りしめて呪文を唱えた。


「我が望むはこの者の心の内。向かうは二人。心の壁を溶かし、内に立ち入ることを許したまえ。同調シンクロナイザー!」


魔法がかかった、と思った瞬間に、リッターの意識は遠ざかり、かくりとベッドに突っ伏したのを最後に途切れ。



     ◇     ◇     ◇



「リッター……おい、リッター」


 肩を揺すられて、リッターは意識を取り戻した。


「……痛……」


 頭痛を覚えて、頭を押さえながら立ち上がる。


 真っ暗だ。


 目の前が見えないほど暗いのに、エルの姿だけが暗闇にはっきりと浮かび上がっている。


「ここが……ジレの心の中か」


「真っ暗だ」


 リッターは呟いた。


「何故、光がないのだろう」


「……分からんが、とにかく奥底とやらに行かなければならないが……どこだ?」


「恐らく、厳重に隠され、守られている」


 リッターは歩き出した。


「どうやってそこへ?」


「呼びかけて、反応がある中で、一番拒絶している場所……だと思います」


「呼びかけ?」


「そうですね……ジレさん!」


 びくり、と空間が震えた。


「ジレさん、迎えに来ましたよ! 返事してください!」


 エルとリッターの目の前、地面が割れ、その隙間から無数の茨が現れた。


 茨同士が絡み合って壁となる。


「リッター、これは」


「これ以上ここに立ち入るな、と言う警告ですよ。ここより先は大事な部分だから、と」


「……つまり、この茨を乗り越えなければ奥へは行けないと?」


 エルはしばらく考えて、言った。


「……引きちぎったらどうなると思う?」


「いや、やめた方がいいと思います」


 リッターは首を横に振る。


「これは、ジレさんの心の壁。絶対触れられたくないという意思。我々が無理やり引きちぎれば、何か悪影響が出るかもしれません」


「じゃあ、どうするんだ」


「すべてが頑健に守られているわけではないと思います」


 リッターは茨の壁に沿って歩き出した。


「すべてを完全に守れるわけではないと思います。どこか、弱いところがあるはずです。そこから奥へと」



 緩やかに弧を描く壁に沿って歩く二人。


 茨がみっちりと壁になっているのは、これより先立ち入り禁止、と言うことなのだろう。


「本当には入れる場所があるのか?」


「我々が本当にジレさんの信頼を得ていたのであれば」


 茨の壁を見ながら、リッターは自分に言い聞かせるように言う。


「八つ当たりしても大丈夫。嫌われることはない。彼女がそう思ってくれていれば、何処かで心を開いてくれる場所があるはずです」


「これは、ジレの心か……」


 エルは歩きながらゆっくりと首を振った。


「兄などと言っても、ジレに嘘をついて、隠して……その結果がこの壁なのだろうな……」


「兄だからこそ見られたくない、そういう場所もあると思います」


 不安に陥りそうなエルに、リッターは噛んで含めるように言い聞かせた。


「赤の他人ならこの程度、でも身近な存在には見られたくないというものだってあるんです」


「分かっているが……さすがにこれはへこむぞ……」


 中の見えない茨の壁を見て、エルは溜息をついた。


「多分、私の心の中もこんなものだと思いますよ。心の中に壁のない人間なんて、赤ん坊しかないでしょうね」


「……しかし」


「ジレさーん? ジレさーん!」


 声をかけながらリッターは歩く。


 そして、唐突に足を止めた。


「にゃー」


「ん」


 反応があったことに頷いて、リッターは辺りを見る。


「にゃあ」


 黒い毛並みにマントを羽織った猫。金の瞳。


「アル……プ……か……?」


 リッターは古い記憶を呼び覚ます。あの時、レグニムの王宮で、ヴィエーディアの頭に乗っていた黒猫の姿を。


「にゃあ」


「アルくんではないでしょう」


 リッターは呟く。


「ジレさんの心の一部が具現化したものでしょう。多分、我々を案内するために」


「これほど徹底的に俺たちを拒んでいるのに?」


「恐らく、彼女の中では二つの心がぶつかり合っている」


 リッターは昔見た人の心の中に関する本を思い出しながら言葉を続ける。


「悪夢でもいい、二度と目覚めたくないという心と、起きなきゃいけない、このままじゃいけないという心。恐らく今は目覚めたくないという思いが強い。でも、起きたいという心が、私たちと言う異分子が侵入してきたのを知り、彼女の心の奥、本音まで連れて行こうというのでしょう。魔法猫姿のアルくんは、恐らくは、ベッドの上から冒険者へと導いてくれた、幸せの案内人だったのではないでしょうか」

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