第45話・ジレフール

 はっ、はっ、と息を切らせて、ジレは治癒院までの道を駆け通した。


 途中でリッターファンの女性陣に通用口からもう少ししたらリッターが出てくる、と言ったから、彼女たちが足止めになってくれるはず。


 まっすぐ治癒院へ向かって、呼吸を整えて。


「こんにちは」


 ジレは治癒院のドアを叩いた。


「おや、ジレ嬢ちゃん」


 クラルが奥から出てくる。


「ルイーツァリさん、だっけ? どうしてる?」


「寝てるよ。怪我がひどいからね、起きてると負担がかかる」


「起こしてくれませんか?」


「無茶言うねえ」


 寝癖だらけでくしゃくしゃの髪の毛をさらにクシャクシャにしながらクラルは言った。


「痛みで体力を消耗するのを、無理やり眠らせて傷を治してるんだ。それを起こしたら、激痛で死んじまうかもしれないよ?」


 それほどまでして聞きたい話なの? とクラルは目線で聞いてくる。


「…………」


「起きたら知らせをやるから、ちゃんと眠らせてやんなさい」


 だが、ジレは固い顔で、首を横に振る。


 聞けるならば、聞きたい。何か自分たちに秘密があるのならば。それを彼が知っているのなら。


「しょうがないねぇ」


 クラルは静かに、と合図すると、ジレを奥へと招き入れた。



 異臭が微かに鼻につく。


 薬を塗った油紙で傷を覆われたルイーツァリは、一見布で覆われた死体に見えた。死んでいないのは、ゆっくりと上下する胸を見ればわかる。


 この人は、リッターと同じブール国の騎士で、リッターと同じ目的で、反対側の南の国の方を旅していたと言った。


 それが自分の家に関係あるかもしれない。


 大人しく枕もとの椅子に座ると、クラルは肩を竦め、決して無茶はさせないようにと言いおいて、部屋を出て行った。


 治癒師は他に診ている患者がいるのだ。重体であろうと、命の危険がとりあえず去ったなら付きっ切りではいられない。


 それをジレは知っていた。大人しい振りをしていればクラルは強くは出ないからと。


 クラルの足音が消えたのを確認して、ジレはそっと声をかけた。


 ヴィエーディアが隠したものを、眠っている男は何か知っているかもしれない。


 そう思うと、男の容態ようだいを気にする気がなくなった。


「……ルイーツァリさん?」


 耳音で、声をかける。


「ルイーツァリさん」


 ぴくり、とその体が動いた。


「……起きてますか? ルイーツァリさん」


「今……目が覚めた……」


 しゃがれた声が聞こえる。


「声からして……女性が、このような状態の男に、何の用で……?」


「私はジレ。冒険者のジレーヌです」


「ジレー……ヌ……」


 途切れ途切れの声がする。


「ジレ……」


「あなたは……わたしのことを知っているんですか?」


「顔、を……」


 ルイーツァリは掠れた声で言った。


「顔、を……私の……目の、前に」


 ジレは覗き込むように身を乗り出して、油紙で固められている顔の、眼の切れ目に自分の顔を近づけた。


「おお……レジーナ様の……藍の瞳……」


 掠れ声が感極まったように潤んだ。


「ジレ……」


「ええ、わたしの名前です」


「ジレフール……様……!」


 掠れた声が、その名を呼んだ。


 呼んでしまった。



「ジレ……フール……?」


 男の言葉を繰り返す。


 奇妙に懐かしい、その呼び名。


 違う。私はジレーヌ。『不倒の三兄妹』の末妹で、神の愛し子の二つ名を持つ冒険者。


 なのに、頭の奥から声が響く。


 ……ソウ、ワタシハじれふーる。


 ジレフールって誰!? 私はジレーヌ。蒼き峻嶮のエミールの妹!


「エル……アミル様は……いずこに……?」


 エルアミル? 違う。兄さんの名前はエミール。冒険者「蒼き峻嶮の」エミール。


 ……ソウ、えるあみるが兄サンノ真ノ名。


 なんで、それを隠すの?


 愚カナじれふーる。


 兄ガ、父ガ、母ガ、セッカク忘レサセテクレテイタノニ。


 オ前ハ、ぶーるノ。


 王鷲ノ一人ナノダカラ。



  バターン!


 治癒院のドアを蹴り開けて、エルが飛び込んできたのに、クラルは肩を怒らせて奥から出てきた。


「おい! 妹と言い兄と言い、治癒院は静かにと言う教えは受けてないのか!」


「ジレは……ジレーヌはどこだ!」


「なんだ、あんたが来させたんじゃなかったのか?」


「クラル、ジレは……」


「大声を出すな。一番奥のルイーツァリの部屋だよ。何かどうしても聞きたいことがるって……あんたの用事じゃなかったのかい?」


 それを聞くなり、エルは大股で治癒院の中を歩き、奥の部屋へ行った。


「ジレ……ジレ!」


 ドアを押し開ける。


 薄くなったとはいえ鼻にかかる異臭。


 そんな中、油紙で固められた男と、その枕もとで頭を抱えてベッドに突っ伏しているジレ。


「ジレ……ジレーヌ、しっかりしろ」


「ジレ……フール……様」


 ルイーツァリのうわ言のような声で、エルは悟った。


 ルイーツァリは言ってしまったのだ。ジレの本当の名を。その名が意味することを。


「ルイーツァリ……」


 ルイーツァリに罪はない。


 だが、重傷だということをさておいてもぶん殴りたいくらいにはエルは頭に来ていた。


「ジレ、帰るぞ」


 瞼を腫らして意識を飛ばしてしまっているジレを、エルは抱え上げた。

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