第43話・信用と信頼と制約と

「八つ当たりなら俺にすればいい」


 静かな声に、一同はそちらを見る。


 冬服に着替えたエルが、椅子に座るところだった。


「俺が言った。お前に隠しておくようにと。お前に見せたくないのだと。だから、アルのせいでもリッターのせいでも、父さん母さんのせいでもない。ただひたすらに俺のせいだ」


「……お兄ちゃん」


 探るような視線を向けるジレに、エルは微かに目を閉じて言った。


「わたしを信用してるんじゃなかったの?」


「信用している。当然だ」


「なら、なんで言えないの? わたしが誰かに漏らすと思ってる、そうなんでしょう?」


「違う」


 エルは言い切った。


「お前が話を漏らすとは欠片ほども思っていない。お前を信用していないわけでも信頼していないわけでもない」


「なら、なんでよ!」


「お前を愛しく思うからだ」


 エルは真面目な顔で、真っ直ぐにジレを見た。


「そうして、お前に知らせるにはまだ早いと思ったからだ」


「……どうして?」


「お前は俺を、何だと思う?」


「何だって……エル兄さん」


「それだけか?」


 こくりと頷くジレに、エルは息を吐く。


「俺には別の顔がある」


「別の……顔? 蒼き峻嶮のエミール?」


「もう一つの顔……ずっと昔に捨てた顔」


「そんなのが……あるの?」


「そう」


「わたし、知らない……」


「だろう? それを知らないうちはお前に教えることはできない。お前には理解できない話だ」


「じゃあ、教えてよ」


 エルは静かに首を横に振る。


「なんで」


「俺たちは誓ったんだ。それを教えないことを。この制約は魔法使いによって宣言されているから、破ることはできない。お前がお前自身で見つけるまでは、俺たち誰一人としてお前に教えることはできないんだ」


「そんな」


 ジレはしばらく俯いていたが、何も言わず居間を出て行った。



「……あそこまで言って良かったの?」


 セルヴァントの不安そうな声に、エルは息を吐いた。


「言わないと納得しないだろ、あいつは」


「……僕にも同じ魔法がかかっていた?」


 アルの問いに、エルは頷いた。


「ああ。ヴィエーディア殿がお前たちを守るためにかけてくれた魔法だ」


「そうか……ヴィエーディア師匠、本当に僕らのこと、心配してくれてたんだ……」


 アルは今何処にいるか分からないヴィエーディアを思って遠い目をした。


「リッター、お前にはその呪縛はかかっていないが」


「分かっています。私にもかかっている……そういうことにすればいいんですね」


「ああ。済まないな、巻き込んで」


 リッターは首を竦めた。


「エル殿が私を庇ってくれるのですから、私もそれくらいはしなければならないでしょう」



     ◇     ◇     ◇



 ジレはクッションを抱きしめて、ベッドの中にいた。


「なんでよ……」


 頬には涙の跡が幾筋もできている。


「なんでわたしだけ……わたし一人だけ……」


 ひっく、としゃくりあげて、呟きを続ける。


「お兄ちゃんの顔を知らなかったらって、なんで教えてもらえないのよ……お兄ちゃんのもう一つの顔って、何なのよ……!」


 こん、こん、とドアをノックする音がした。


「…………」


 こんな時に来てくれる気の回る人なんて、今までなかった。


 ってことは。


「……リッター……さん……?」


「入ってもいいかい?」


「やだ……ダメ……」


 また八つ当たりしてしまうかもしれないから。


「八つ当たりされに来たよ、ジレさん」


 その言葉を聞いて、ピクリとジレは反応した。


「……盛大に八つ当たりするよ」


「覚悟の上だよ」


 ジレは立ち上がって、ドアを細く開いた。


 穏やかな笑顔を浮かべたリッターが、そこに立っていた。


「……いいよ。どうぞ」



「だいたい! エルお兄ちゃんは! 自分勝手!」


 ぼふぼふとクッションを自分の膝に叩きつけながら、ジレは叫ぶ。


「もう一つの顔がどうだか知らないけど、わたしはお兄ちゃんが結び罠に引っ掛かって転んだことも女の人に寝込み襲われて撃退しちゃって評判落としたことも、いろんなこと知ってんだよ?!」


「なるほど」


 リッターは手持ちの薄いワインを飲みながら苦笑した。


「それでもまだ知らない顔があるっていうなら、教えてくれればいいじゃない! 何よ魔法の誓いって! ヴィエーディアさんがそんなもの残してったって、聞いてない!」


 ぐしぐしと涙を拭い、また叫ぶ。


「魔法のことは詳しくないからなあ……」


「リッターさんは」


 鼻水をすすって、ジレはリッターを見た。


「わたしの知らないエルお兄ちゃん、知ってる……?」


「さて」


 リッターは天井を見上げて考え込む。


「知っているとも言えるし知らないとも言える」


「何それ、曖昧あいまい


「こうとしか言えないんだよ」


「……リッターさんにもヴィエーディアさんの魔法がかかってんの?」


「そうらしい」


 微妙に顔を歪める笑みを作って、リッターは肩を竦めた。


「でも、知らないほうが幸せだって言うことも、あるよ」


「何、それ」


「私はそういうことを見てきた。知らなくていいことを知って、自滅していった何人もの人を」


「……お兄ちゃんの別の顔も、その一つってこと?」


「……そうだね」


「それに、エル殿の別の顔は、今現在、絶対必要な情報かい?」


「…………」


「そうだよね、エル殿の顔を知らなくても、エル殿とジレさんが兄妹だってことは確かで、エル殿がジレさんとアルくんを大事にしているのは私から見てもわかるよ。今はそれだけで十分なんじゃない?」


「……うん」


 目を赤く腫らして、ジレは頷いた。


 頷いたように見えて、リッターはそっとその頭を撫でてやった。

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